jeudi 20 février 2014
mercredi 19 février 2014
BBC/PBS special "Oppenheimer - Episode 1" を観る
ロバート・オッペンハイマー(1904-1967)についてはこの場で何度か取り上げている
生々しい証言がある緊迫のドラマが観られなくなっている
こちらはBBC/PBSの1980年制作で、7回のエピソードから成る一大ドラマ
彼の人生がこれまでになく詳細に描かれている
これまでのものが科学だとしたら、こちらは文学に相当するような印象がある
少し別の角度から、オッペンハイマーという人間を見直すことにした
mardi 18 février 2014
ドキュメンタリー "Death by Design" を観る
1995年のドキュメンタリー "Death by Design" を観る
テーマは、タイトルから想像されるようにプログラム細胞死(programmed cell death: PCD)
20年ほど前の作品になるので知識を得るというより、このテーマがどのように語られているのかに興味があった
全体が芸術的な仕上がりになっていて、好感を持った
テーマは、タイトルから想像されるようにプログラム細胞死(programmed cell death: PCD)
この分野の中心人物が出ているが、皆さん本当にお若い
20年ほど前の作品になるので知識を得るというより、このテーマがどのように語られているのかに興味があった
全体が芸術的な仕上がりになっていて、好感を持った
最後の方に出てきたリータ・レーヴィ・モンタルチーニ(1909-2012)さんの話が印象に残った
最初に神経細胞の細胞死を観察したのが大戦中で、トリノの自宅寝室に作った実験室でのことだったという
ユダヤ人は大学から排斥されていたからである
その細胞死を補う物質として神経成長因子を発見し、1986年にノーベル賞を受賞している
当時は戦争中だったので、細胞死が兵士の死とも重なったようである
科学的というよりは、芸術的に仕事をしてきたようである
そして、科学と芸術で重要になるのが直観であるとも言っている
2012年末に103歳で亡くなっているが、まだ生存中にエッセイで少しだけ取り上げたことがあった
「エルンスト・マイヤーとシーウォル・ライトというセンテナリアン、あるいは100歳からものを観る」
医学のあゆみ(2012.11.10) 243 (6): 551-554, 2012
上のリンクからご覧いただければ幸いである
もう一つ興味深かったのが、マーティン・ラフ(Martin Raff, 1938-)さんの次の観察である
イギリスでは科学は軽蔑されている
イギリス人は音楽を聴き、劇場に行き、哲学的な問題を考えたりするのが立派な人間の証であると考えている
したがって、科学に疎いだけではなく、科学を理解しようとさえしない
多くの政策決定には科学の知識が重要になるので、喫緊の問題である
この時からすでに20年が経過しているが、事態は改善しているのだろうか
他の出演者は、以下の通り
2002年にノーベル賞を貰うことになるボブ・ホロヴィッツ(Robert Horviz, 1947-)氏
danger theory の提唱者ポリー・マッツィンガー(Polly Matzinger, 1947-)氏
この場でも取り上げた細胞死の専門家ピエール・ゴルシュタイン(Pierre Golstein)氏、他
リタさんの双子の相方で芸術家のパオラさんが一緒のところを見ることができたのは幸いであった
Libellés :
cell death,
evolution,
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vulgarisation
マルセル・コンシュさんによるエピクロスの哲学
哲学雑誌に、マルセル・コンシュ(Marcel Conche, 1922-)さんのインタビューが出ていた
もうすぐ92歳になるところである
わたしがフランス語を始めておそらく初めて触れた哲学者で、印象深いものがある
マルセル・コンシュ(II) (2006-09-26)
マルセル・コンシュ(III) (2006-09-27)
コンシュさんの母親は彼が生まれた時に亡くなっている
祖母とまだ未婚だった二人の叔母に引き取られる
母と呼ぶべき人がいないこの経験が大きな傷として残った
子供時代は自然との触れ合いの中で育つ
しかし、当時はそこに価値があることに気付かなかった
彼の父親は農民だった
省察の生活とは正反対の土を相手にした仕事をしていた
モットーは「土は常に人間を育む」であった
父親の唯一の野心は、家族に食事を与え、無事に育てることであった
コンシュさん ご自身は土との仕事の中で、理性と哲学に目覚める
キリスト教の中で育ったが、悲惨な目に遭っている子供たちを見て、神の存在に疑いを持つ
1956年のことであった
そして、1963年にモンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)を発見する
これが哲学人生において重要だったのは、自然な哲学と人工的な哲学との違いに気付いたことだという
そして、神を中心に回る近代の人工的な哲学ではなく、古代ギリシャの自然な哲学に回帰することを決意する
モンテーニュがルクレティウス、エピクロス、ピュロン、そしてヘラクレイトスへと導いてくれたようだ

祖母とまだ未婚だった二人の叔母に引き取られる
母と呼ぶべき人がいないこの経験が大きな傷として残った
子供時代は自然との触れ合いの中で育つ
しかし、当時はそこに価値があることに気付かなかった
彼の父親は農民だった
省察の生活とは正反対の土を相手にした仕事をしていた
モットーは「土は常に人間を育む」であった
父親の唯一の野心は、家族に食事を与え、無事に育てることであった
コンシュさん ご自身は土との仕事の中で、理性と哲学に目覚める
キリスト教の中で育ったが、悲惨な目に遭っている子供たちを見て、神の存在に疑いを持つ
1956年のことであった
そして、1963年にモンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)を発見する
これが哲学人生において重要だったのは、自然な哲学と人工的な哲学との違いに気付いたことだという
そして、神を中心に回る近代の人工的な哲学ではなく、古代ギリシャの自然な哲学に回帰することを決意する
モンテーニュがルクレティウス、エピクロス、ピュロン、そしてヘラクレイトスへと導いてくれたようだ

エピクロスにとっての自然は、われわれの目に触れるものを超えた世界の全体を意味していた
エピクロスの物理学は、自然は原子と空虚からなるとする
分割不能な原子が無限の空間を飛び回っている
そして、原子が突然その軌跡を変え、それによって新しい世界が生まれるのである
後に、ルクレティウスが clinamen と名付けた原理である
この世界には、創造主も、インテリジェント・デザインも、必然性も、神の摂理も存在しない
エピクロスの世界観である
善く生きるには、衣食住のための自然で必然的な欲求を満たすだけでよい、とエピクロスは言う
食はパンと水だけで良いとも言う
隠遁や禁欲を薦めるものではないが、過度の欲を求める快楽主義とも違う
食べることではなく、食べたことを愉しむという立場になる
この微妙に見える差は、よく考えると途方もなく大きい
さらに、精神だけに関わる喜びがあるとエピクロスは主張する
それは哲学することで、人間の自然で必然的な欲求に分類されている
現代の大きな問題は、自然を忘れ、すべてを計りに掛けることと関係している
そこから、自然でも必然でもない欲求が生まれているからである
金、物質的な快適さ、名誉や栄光の追及
都会では出世主義者(arriviste)が富や権力を求める
それをエピクロスは常軌を逸したことと呼ぶ
それに挑戦し、そこから離れるのがエピキュリアンである
ストア派と違い、政治への参加も拒否する
しかし、友情は大切にする
世界と断絶しているわけではなく、パーティに誘われれば参加する
しかし、ダンスに興じることはない
重要になるのは苦痛の除去、それが幸福の規準となる
エピクロスの愛についての考えには教えられるところがあるという
愛、肉欲は、自然な欲求だが必然ではないとされる
それがなくとも、散歩したり、走ったり、、、、他の活動で遣り過ごせる、と考える
ただし、憑りつかれたら節度を以って当たること
愛は人生の多くの時間を奪い、重要なことから遠ざけるからだ
コンシュさんの人生にとって重要なことは、哲学することだという
パソコンについても触れている
目をやられ、人生を複雑にするだけなのでもう止めたという
これには同意したい今日この頃である
mercredi 12 février 2014
ハイデッガーの 『黒のノート』
今週のル・ポワンに、ハイデッガーの 『黒のノート』 (Schwarze Hefte)が来月出版されるという記事があった
二つの顔を持つ哲学者として最初のブログで取り上げたこともある
その時もル・ポワンの記事からであった
ハイデッガーの二つの顔 (I) (2006-07-09)
ハイデッガーの二つの顔 (II) (2006-07-10)
ハイデッガーの二つの顔 (III) (2006-07-11)
今回の 『黒のノート』 はハイデッガーが1930年から書き始めたもので、本人が公表を希望していたという
そこでは恐ろしいレベルにまで達している反ユダヤ主義が哲学にまで高められている、とある
以前の記事にもあるが、これまではどちらかというと類推や関係者の証言を基にしたものが多かった
そして、ハイデッガー主義者たちはご本尊の反ユダヤ主義を否定してきた
しかし、今回は1,200ページにも及ぶ本人による著述なので、最終的なところに行き着く可能性がある
すでに検討した人の話によると、彼の反ユダヤ主義は疑いようがなく、悪意に満ち、有害でもあるという
ユダヤ陰謀論の立場を採り、ヨーロッパ文化のユダヤ化と闘うことを考えていた
ヨーロッパ文化とは、個人主義、理性主義、民主主義、科学的厳密さ、そしてユダヤ・キリスト教を含むものである
その上で、第二次大戦をユダヤ人に対する戦争と主張している
ナチスのプロパガンダと完全に重なるのである
国籍を持たないコスモポリタニズムは反ユダヤ主義者の一つのテーマである
ハイデッガーは、ユダヤ教は 「存在」 に行き着かないと考えていた
人間が世界内存在であるとすれば、世界を持たないものは人間どころか動物以下であるとしたのである
7年前にも批判的な立場を採ったエマニュエル・フェイ(Emmanuel Faye)は、検討の結果こう言っている
「それは存在論や必然性、さらには運命論に帰する議論で、この本における省察の最悪の部分である」
今やアングロ・サクソンの国ではほとんど読まれていないが、フランスでは未だに擁護者がいるという
この記事を書いたロジャー・ポル・ドゥロワ(Roger-Pol Droit)は、こう問いかけている
これだけの証拠が蓄積していても不十分だと言うのだろうか?
更なる証拠を待たなければならないのか?
そして、21世紀の哲学はハイデッガーなしでできるし、そうしなければならない、と結んでいる
ところで、この記事には 「古代ギリシャ語とドイツ語でしか哲学することがなかった偏狭な傲慢さ」 という件がある
最近その傾向が顕著になっているという内にしか向かわない思考ともどこか通じるものを感じる
この流れに抗するためにも、外国語教育が重要になるはずである
単なる道具としての言葉ではなく、精神を開く上でも有効であるという視点で考え直す必要がありそうだ
lundi 10 février 2014
パリから見えるこの世界 (13) 21 世紀の科学,あるいは新しい 「知のエティック」
雑誌 「医学のあゆみ」
に連載中の 「パリから見えるこの世界」
の第13回エッセイを紹介いたします
« Un regard de Paris sur ce monde »
医学のあゆみ(2013.2.9) 244 (6): 572-576, 2013
ご一読、ご批判いただければ幸いです
mercredi 22 janvier 2014
エヴァ・ヤブロンカさんの 「文化の生物学」 を聴く
Prof. Eva Jablonka (Tel Aviv University)
昨日は夜の8時半から始まるエヴァ・ヤブロンカさんのセミナーを聴くため大学へ向かう
もう4年半ほど前になる
イスラエルで開かれたラマルクとイギリスのケンブリッジであったダーウィンに関する会でお会いした
そのことを今年最初のエッセイに書いたところだったので、何というタイミングかという思いで案内を受け取った
「後世はラマルクの復讐をしたのか、そして初めてのイスラエル」
医学のあゆみ (2014.1.11) 248: 174-178, 2014
興味をお持ちの方はご一読、ご批判いただければ幸いである
セミナーのタイトルは、「文化の生物学」
最近、エピジェネティクスというDNAの断片(所謂、遺伝子)に因らない遺伝が話題になっている
お話は、生物学に始まり、同様のことが文化の伝承においても起こっているという流れであった
彼女と共同研究者のマリオン・ラム博士による先駆的な著作 Four Dimensions in Evolution (MIT Press)に詳しい
タイトルにある4次元とは、遺伝子、細胞、行動、文化のレベルを指している
昔から 'nature or nurture' と言われ、われわれの今を決めているのは遺伝子か環境かという問いがある
日本でも 「氏か育ちか」という言葉があるが、これまでの生物学ではすべて氏が決めているとされてきた
しかし、育ちも無視できないという成果が出始めている
一卵性双生児でも時間が経つと、外からわかる変化があることは観察されていた
さらに、両者の差異は細胞内でも観察されることが明らかになってきた
エヴァさんは、このエピジェネティクスを文化のレベルにまで広げようとしている
どんな環境にいるのか、どんな人と出会うのかで脳の構造が変わる
教育における含みも大きく、われわれをオプティミスティックにしてくれる
逆の見方をすれば、劣悪な環境にいる人たちの状況が将来どのような結果を齎すのかにも思いが至る
実際、そのような例が第二次大戦中にナチに占領されたオランダの飢餓状態で見られた
その状態を経験した母親から生まれた子は、後に統合失調症になる頻度が高かったという
母親のいた環境が子供に影響を与えていることを示唆する結果である
これまで精子や卵子は代を超えてDNAを運ぶものだと考えられてきた
しかし、上の結果は生殖細胞にはDNAの他に環境から受けた情報も含まれていなければならないことを示唆している
どのようなメカニズムで起こっているのかは明らかではないが、その昔葬り去られたパンゲン説を彷彿とさせる
体細胞が受け取った情報がジェミュールという粒子に蓄積され、それが生殖細胞に運ばれる
ラマルクが19世紀初めに提唱した獲得形質の遺伝のメカニズムを説明する説とも言える
ダーウィンが1868年に提唱した考えである
こちらについても一昨年のエッセイで触れている
「ダーウィンのパンゲン説,あるいは科学が求める説明」
医学のあゆみ 243 (10): 929-933, 2012
歴史の畝りが見えるようだ
ところで、このセミナーは英語で行われた
しかし、スライドは世話人(写真左)が作り直したフランス語版になっていた
エヴァさんの横で自分のパソコンからスライドを進めていた
ディスカッションも会場からの「フランス語で!」という声で、フランス語で行われた
ある意味では、演者そっちのけで議論が進むことになる
このようなことは日本では考えられないだろう
丁重で柔らかな雰囲気の中で進むのだが、そこに文化的な誇りのようなものを見るのは感じ過ぎだろうか
さらに言えば、英語しか受け付けないというもう一方のアロガンスにも繋がるように見える
dimanche 12 janvier 2014
パリから見えるこの世界 (12) 「初めて知る 『世界哲学デー』 で哲学教育を考える」
雑誌 「医学のあゆみ」
に連載中の 「パリから見えるこの世界」
の第12回エッセイを紹介いたします
« Un regard de Paris sur ce monde »
医学のあゆみ(2013.1.12) 244 (2): 196-199, 2013
ご一読、ご批判いただければ幸いです
jeudi 12 décembre 2013
パリから見えるこの世界 (11) 「ダーウィンのパンゲン説,あるいは科学が求める説明」
雑誌 「医学のあゆみ」
に連載中の 「パリから見えるこの世界」
の第11回エッセイを紹介いたします
医学のあゆみ(2012.12.8) 243 (10): 929-933, 2012
ご一読、ご批判いただければ幸いです
mardi 10 décembre 2013
進化医学と適応主義について聴く
Dr. John Matthewson
(Massey Univ, New Zealand & Univ of Sydney, Australia)
(Massey Univ, New Zealand & Univ of Sydney, Australia)
進化医学の現状、より正確には問題点についてのお話を聴く
進化医学のことを聞いた10年以上前、新しい視点が生まれていることに少し興奮した
しかし、よく読んでみると、その説明が殆ど後付けに見えたのだ
つまり、今ある状態(形質)は最良の適応の結果であると考え、そこから理由付けをするのである
この分野の言葉で言えば、適応主義(adaptationism)を採用していることになる
これが度を過ぎると、しばしばその証拠もなしにどんなことでも説明できることになりかねない
進化医学には20年ほどの歴史がある
確かに、抗生物質の耐性や癌の進化には貢献があった
しかし、その後の経過を見ると過度の適応主義が蔓延っているとの批判的分析が出されている
それは進化医学の考え方が間違っているというよりは、やり方の問題だとジョンさんは考えていた
さらに、医学の現場への還元や新しい研究プログラムが進化医学から出ているのかという問題もある
メカニズムに基づく説明に優る歴史的な説明は可能なのだろうか
そして、そのための証拠を集めることができるのだろうか
この辺りの問題が総合的に論じられていた
個人的な印象は、これからの道はかなり厳しそうだというもの
セミナー後にお話を伺ったところ、同様の感触をお持ちであった
しかし、これからの進展をしばらくの間見守りましょうというとことで落ち着いた
Libellés :
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