散策に出る時に手にしたヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカー (Viktor von Weizsäcker: 21 April 1886 - 9 January 1957) の「病因論研究―心身相関の医学」("Studien zur Pathogenese")をメトロとカフェで読む。今回は解説から始めた。
彼はアウトサイダー的な立場を万事において取っていたという。そんな中、弟子や学会、教会に対して辛辣な言葉を吐くという複雑な人間であったようだ。また、保守的で論理的な社会が革新を排除しようとしていたところからか、ナチの台頭には革命の期待を抱いていた節がある。さらに、ナチによる優生手術、遺伝的精神病者の安楽死に対しても否定的ではなかったし、むしろ遺伝疾患に対する強制避妊手術に対しては歓迎の意を示していたという。また全体のための個の犠牲にも同調していた記述が残っている。その後、このような物質主義的ダーウィニズムを非難するようになるが、、、彼への興味は病気をどのように見ようとしていたのかという一点であったが、新たに社会との複雑な関係が現れた。これから問題になるだろう。
豊富な臨床経験から病気に対する考えが次第にまとまりを見せてくる。彼の考え方は、心の活動を身体面から説明しようとしたり(身体因論)、逆に身体の変化を心の側から説明しようとする心因論でも、心と体が相互に反応しあうという心身平行論でもなかった。むしろ、心と体を持つ有機体が環境に接する時に相互に代替可能であるとする心身相関論を基にしているという。さらに原因と見えるもの、結果に見えるものが実はつながっていて環を成す形態をとっているとするゲシュタルトクライス "Gestaltkreis" という概念を提唱することになる。
この本の中に少し立ち止まるところがあった。それは次のような記述に出会った時である。
「われわれは、いろいろな機能をもっているから生きているのではない。生きているからいろいろな機能をもっているのである。機能や活動が障害されるから病気になるのではない。病気になるから機能や活動も障害されるのである。」
これをどのように解釈すればよいのか、考えさせられたのである。まず、生きていること、病気になることに重きが置かれている。科学的に見ると、例えば病気の主原因が一つの遺伝子の変化や明らかな外因であるような場合は機能が障害されるから病気になると考えてよいだろう。しかし、それ以外の多くの病気については彼の見方には真理があるように感じる。病気に主体を置き、病気になることは健康な時とは別のやり方で環境に対することになると考えている。病気に創造性を見るカンギレムにも通じるようだが、そこまで積極的に解釈しているのかもう少し読んでみないとわからない。
また多くの病歴を見ていく中で、心と体の基盤となっている患者の生活史に目を向けなければならないという考えに至っている。つまり、病気をその人間の人生におけるひとつのドラマとして捉え直さなければならないという立場である。病気の分子論的な解析、心理的な解析という局所的な視点ではなく、患者を長い時間軸の中に置き直して「なぜよりによって今なのか?」("Warum gerade jetzt?")を問わなければならないとしている。訳者らは、非線形理論、カオス理論の医学への応用も視野に入れていかなければならないが、そのためには両者の脱皮が必要だと考えている。
今日のお話は、ヴァイツゼッカーへの入り口に着いたようなものである。
彼の人間像とあわせてその考えをもう少し読み進みたい。
lundi 27 octobre 2008
dimanche 19 octobre 2008
インパクト・ファクターの考え方
ノーベル賞受賞に際して、現在の科学のやり方が本末転倒になっているのではないかということを別ブログで書いた。簡単に言うと、どのような研究がよい研究かということについて考えることなく、インパクトの高い雑誌に発表された論文は優れた研究であるとされていることに問題はないかということであった。よい研究だからどこそこの雑誌に出たというのではなく、その雑誌に出たからよい研究であるとされていて、よい研究の条件にその結果が含まれる論理矛盾に陥っていると指摘した。このような状況になると、成された研究の中味を研究者が吟味し議論することがなくなり、他人任せの評価に委ねることになる。これで本当に画期的な研究が生まれるのか、溌剌とした科学が生まれるのかという疑問を下村脩氏の受賞対象になった研究を見て提示した。また以前に Martin Raff 氏がインパクトの高い雑誌のレフリーのやり方に疑義を呈した時に賛意を示した。
今日届いた10月10日発行の雑誌 Science の Editorial でドイツの Kai Simons 氏が同様の考えを発表している。また同じ号の Letters 欄には NIH の Abner Notkins 氏がインパクト・ファクター (IF) の悪弊を除き科学が本来の道を歩む方法として三つのことを提案している。第一に、研究所はIFを評価の対象とはしない宣誓書を出すこと、第二に研究室のヘッドも同様の宣誓書を作り、メンバーと堅実な研究の進め方についてディスカッションをすること、第三には雑誌社はIFを一切公表しないことである。これらが実行されればかなりの効果は期待できそうである。ただ雑誌の商業主義が今の傾向を煽っているところがあるので実現するかどうかは定かではないが、少なくとも科学者の側だけでもその姿勢を変えることができれば、大きく動き出す可能性は高いのではないだろうか。
以下に Simons 氏の発言の要約をした。詳細は原文を参照願いたい。
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IF が研究の質の反映ではない。雑誌がレビューを取り入れると引用回数が増えるので、雑誌の方がIFをあげる工夫をしている。驚くべきことに訂正の引用まで計算されている。なぜこれほどまでにIFが力を持つようになったのか。それが研究者の論文が評価され、研究費の配分から昇進など研究者や研究所の将来を決めるようになったからである。従ってIFの高い雑誌に出そうとして時間の浪費と研究者のやる気を削ぐことになる。
幸い新しい試みも始っている。Howard Hughes Medical Institute では研究者の選んだ限られた論文について詳細に検討するようになっている。また雑誌の方でも、例えば PLoS One などはある分野への貢献度を主観的に考慮することなく、テクニカルにしっかりしているものであれば掲載することにしている。European Molecular Biology Organization でも研究者のやる気を削ぐようなやり方ではないレビューの方法を導入しようとしている。
どこに発表された論文であろうが、研究そのものの質を研究者が評価しなければならない。しかし、出版社、研究者、研究機構すべてが真剣にこの問題に取り組まなければいつまでもこの数字に怯えることになるだろう。
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Science 10 October 2008:
Vol. 322. no. 5899, p. 165
Editorial
The Misused Impact Factor
Kai Simons*
Research papers from all over the world are published in thousands of Science journals every year. The quality of these papers clearly has to be evaluated, not only to determine their accuracy and contribution to fields of research, but also to help make informed decisions about rewarding scientists with funding and appointments to research positions. One measure often used to determine the quality of a paper is the so-called "impact factor" of the journal in which it was published. This citation-based metric is meant to rank scientific journals, but there have been numerous criticisms over the years of its use as a measure of the quality of individual research papers. Still, this misuse persists. Why?
The annual release of newly calculated impact factors has become a big event. Each year, Thomson Reuters extracts the references from more than 9000 journals and calculates the impact factor for each journal by taking the number of citations to articles published by the journal in the previous 2 years and dividing this by the number of articles published by the journal during those same years. The top-ranked journals in biology, for example, have impact factors of 35 to 40 citations per article. Publishers and editors celebrate any increase, whereas a decrease can send them into a huddle to figure out ways to boost their ranking.
This algorithm is not a simple measure of quality, and a major criticism is that the calculation can be manipulated by journals. For example, review articles are more frequently cited than primary research papers, so reviews increase a journal's impact factor. In many journals, the number of reviews has therefore increased dramatically, and in new trendy areas, the number of reviews sometimes approaches that of primary research papers in the field. Many journals now publish commentary-type articles, which are also counted in the numerator. Amazingly, the calculation also includes citations to retracted papers, not to mention articles containing falsified data (not yet retracted) that continue to be cited. The denominator, on the other hand, includes only primary research papers and reviews.
Why does impact factor matter so much to the scientific community, further inflating its importance? Unfortunately, these numbers are increasingly used to assess individual papers, scientists, and institutions. Thus, governments are using bibliometrics based on journal impact factors to rank universities and research institutions. Hiring, faculty-promoting, and grant-awarding committees can use a journal's impact factor as a convenient shortcut to rate a paper without reading it. Such practices compel scientists to submit their papers to journals at the top of the impact factor ladder, circulating progressively through journals further down the rungs when they are rejected. This not only wastes time for editors and those who peer-review the papers, but it is discouraging for scientists, regardless of the stage of their career.
Fortunately, some new practices are being attempted. The Howard Hughes Medical Institute is now innovating their evaluating practices by considering only a subset of publications chosen by a scientist for the review board to evaluate carefully. More institutions should determine quality in this manner.
At the same time, some publishers are exploring new practices. For instance, PLoS One, one of the journals published by the Public Library of Science, evaluates papers only for technical accuracy and not subjectively for their potential impact on a field. The European Molecular Biology Organization is also rethinking its publication activities, with the goal of providing a means to publish peer-reviewed scientific data without the demotivating practices that scientists often encounter today.
There are no numerical shortcuts for evaluating research quality. What counts is the quality of a scientist's work wherever it is published. That quality is ultimately judged by scientists, raising the issue of the process by which scientists review each others' research. However, unless publishers, scientists, and institutions make serious efforts to change how the impact of each individual scientist's work is determined, the scientific community will be doomed to live by the numerically driven motto, "survival by your impact factors."
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*Kai Simons is president of the European Life Scientist Organization and is at the Max Planck Institute of Molecular Cell Biology and Genetics in Dresden, Germany.
今日届いた10月10日発行の雑誌 Science の Editorial でドイツの Kai Simons 氏が同様の考えを発表している。また同じ号の Letters 欄には NIH の Abner Notkins 氏がインパクト・ファクター (IF) の悪弊を除き科学が本来の道を歩む方法として三つのことを提案している。第一に、研究所はIFを評価の対象とはしない宣誓書を出すこと、第二に研究室のヘッドも同様の宣誓書を作り、メンバーと堅実な研究の進め方についてディスカッションをすること、第三には雑誌社はIFを一切公表しないことである。これらが実行されればかなりの効果は期待できそうである。ただ雑誌の商業主義が今の傾向を煽っているところがあるので実現するかどうかは定かではないが、少なくとも科学者の側だけでもその姿勢を変えることができれば、大きく動き出す可能性は高いのではないだろうか。
以下に Simons 氏の発言の要約をした。詳細は原文を参照願いたい。
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IF が研究の質の反映ではない。雑誌がレビューを取り入れると引用回数が増えるので、雑誌の方がIFをあげる工夫をしている。驚くべきことに訂正の引用まで計算されている。なぜこれほどまでにIFが力を持つようになったのか。それが研究者の論文が評価され、研究費の配分から昇進など研究者や研究所の将来を決めるようになったからである。従ってIFの高い雑誌に出そうとして時間の浪費と研究者のやる気を削ぐことになる。
幸い新しい試みも始っている。Howard Hughes Medical Institute では研究者の選んだ限られた論文について詳細に検討するようになっている。また雑誌の方でも、例えば PLoS One などはある分野への貢献度を主観的に考慮することなく、テクニカルにしっかりしているものであれば掲載することにしている。European Molecular Biology Organization でも研究者のやる気を削ぐようなやり方ではないレビューの方法を導入しようとしている。
どこに発表された論文であろうが、研究そのものの質を研究者が評価しなければならない。しかし、出版社、研究者、研究機構すべてが真剣にこの問題に取り組まなければいつまでもこの数字に怯えることになるだろう。
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Science 10 October 2008:
Vol. 322. no. 5899, p. 165
Editorial
The Misused Impact Factor
Kai Simons*
Research papers from all over the world are published in thousands of Science journals every year. The quality of these papers clearly has to be evaluated, not only to determine their accuracy and contribution to fields of research, but also to help make informed decisions about rewarding scientists with funding and appointments to research positions. One measure often used to determine the quality of a paper is the so-called "impact factor" of the journal in which it was published. This citation-based metric is meant to rank scientific journals, but there have been numerous criticisms over the years of its use as a measure of the quality of individual research papers. Still, this misuse persists. Why?
The annual release of newly calculated impact factors has become a big event. Each year, Thomson Reuters extracts the references from more than 9000 journals and calculates the impact factor for each journal by taking the number of citations to articles published by the journal in the previous 2 years and dividing this by the number of articles published by the journal during those same years. The top-ranked journals in biology, for example, have impact factors of 35 to 40 citations per article. Publishers and editors celebrate any increase, whereas a decrease can send them into a huddle to figure out ways to boost their ranking.
This algorithm is not a simple measure of quality, and a major criticism is that the calculation can be manipulated by journals. For example, review articles are more frequently cited than primary research papers, so reviews increase a journal's impact factor. In many journals, the number of reviews has therefore increased dramatically, and in new trendy areas, the number of reviews sometimes approaches that of primary research papers in the field. Many journals now publish commentary-type articles, which are also counted in the numerator. Amazingly, the calculation also includes citations to retracted papers, not to mention articles containing falsified data (not yet retracted) that continue to be cited. The denominator, on the other hand, includes only primary research papers and reviews.
Why does impact factor matter so much to the scientific community, further inflating its importance? Unfortunately, these numbers are increasingly used to assess individual papers, scientists, and institutions. Thus, governments are using bibliometrics based on journal impact factors to rank universities and research institutions. Hiring, faculty-promoting, and grant-awarding committees can use a journal's impact factor as a convenient shortcut to rate a paper without reading it. Such practices compel scientists to submit their papers to journals at the top of the impact factor ladder, circulating progressively through journals further down the rungs when they are rejected. This not only wastes time for editors and those who peer-review the papers, but it is discouraging for scientists, regardless of the stage of their career.
Fortunately, some new practices are being attempted. The Howard Hughes Medical Institute is now innovating their evaluating practices by considering only a subset of publications chosen by a scientist for the review board to evaluate carefully. More institutions should determine quality in this manner.
At the same time, some publishers are exploring new practices. For instance, PLoS One, one of the journals published by the Public Library of Science, evaluates papers only for technical accuracy and not subjectively for their potential impact on a field. The European Molecular Biology Organization is also rethinking its publication activities, with the goal of providing a means to publish peer-reviewed scientific data without the demotivating practices that scientists often encounter today.
There are no numerical shortcuts for evaluating research quality. What counts is the quality of a scientist's work wherever it is published. That quality is ultimately judged by scientists, raising the issue of the process by which scientists review each others' research. However, unless publishers, scientists, and institutions make serious efforts to change how the impact of each individual scientist's work is determined, the scientific community will be doomed to live by the numerically driven motto, "survival by your impact factors."
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*Kai Simons is president of the European Life Scientist Organization and is at the Max Planck Institute of Molecular Cell Biology and Genetics in Dresden, Germany.
lundi 13 octobre 2008
アレックス・ローゼンバーグ氏で哲学と科学の接点を想う
新学期の最初の週が終った。ゆったりした日曜の朝である。昨日はデューク大学の科学哲学者アレックス・ローゼンバーグ氏(Alex Rosenberg)のセミナーを聞く。テーマは、発生遺伝学における還元主義の問題について。正式には、以下の通り。
"Five challenges to genocentrism in molecular developmental genetics"
まず言葉の定義から始った。
"genocentrism" (遺伝子中心主義):発生の説明を還元主義 (reductionism) で説明しようとすること。遺伝子が発生プログラムを規定し、そこで特別の役割を演じるとする見方。
"reductionism" (還元主義):生物学の説明が分子機構の詳細を明らかにすることにより改善され、その情報が加わるほどその完成度が増すとする考え方。還元主義と対するものとして、生物学には法則がない(メンデルの法則以外)とする考え、物質的基盤のはっきりしない欲望、信仰、魂などの存在を排除する eliminativism の否定、それにボトムアップ型の研究などをあげていた。
彼が指摘した遺伝子中心主義に対する挑戦は以下の5つになる。
1)Contra-induction
2) Anti-reductionism
3) Contra-genocentrism
4) Against the informational programming role of the genes
5) Replacing the univocal gene
発生のプログラムに細胞全体が不可欠であるとすれば、単純に遺伝子や分子だけで説明できるのか。脊椎動物の発生が蠅と同じではないはずである。遺伝子そのものの中には生物学的な情報までは入っていないのではないか(遺伝子産物が細胞の中でどのように振舞うのかまでの情報はないのではないか)。 epigenetic transmissionをどう捉えるのか。遺伝子以外の要素(環境など)が重要であるというholisticな立場が必要なのではないか。 natural selectionは還元主義にとって障害になるのではないか。自然選択は物理的な法則に基づく過程ではなく全く偶然に任されたものであり、物質主義者とは相容れないのではないか。
このような還元主義への疑問が出されているが、実際の科学の営みは最初に掲げた還元主義に深く根ざしていて、最早如何ともし難いものがあるかに見える。それ以外に科学の進む道はないかに見える。しかし、そこから全体の理解につながる視点が得られるだろうか。そして科学が全的理解に辿り着く新たな道を見つけることができるのだろうか。それが不可能であるとわかった時、科学と哲学の接点が見えてくるように思えるのだが、、。
"Five challenges to genocentrism in molecular developmental genetics"
まず言葉の定義から始った。
"genocentrism" (遺伝子中心主義):発生の説明を還元主義 (reductionism) で説明しようとすること。遺伝子が発生プログラムを規定し、そこで特別の役割を演じるとする見方。
"reductionism" (還元主義):生物学の説明が分子機構の詳細を明らかにすることにより改善され、その情報が加わるほどその完成度が増すとする考え方。還元主義と対するものとして、生物学には法則がない(メンデルの法則以外)とする考え、物質的基盤のはっきりしない欲望、信仰、魂などの存在を排除する eliminativism の否定、それにボトムアップ型の研究などをあげていた。
彼が指摘した遺伝子中心主義に対する挑戦は以下の5つになる。
1)Contra-induction
2) Anti-reductionism
3) Contra-genocentrism
4) Against the informational programming role of the genes
5) Replacing the univocal gene
発生のプログラムに細胞全体が不可欠であるとすれば、単純に遺伝子や分子だけで説明できるのか。脊椎動物の発生が蠅と同じではないはずである。遺伝子そのものの中には生物学的な情報までは入っていないのではないか(遺伝子産物が細胞の中でどのように振舞うのかまでの情報はないのではないか)。 epigenetic transmissionをどう捉えるのか。遺伝子以外の要素(環境など)が重要であるというholisticな立場が必要なのではないか。 natural selectionは還元主義にとって障害になるのではないか。自然選択は物理的な法則に基づく過程ではなく全く偶然に任されたものであり、物質主義者とは相容れないのではないか。
このような還元主義への疑問が出されているが、実際の科学の営みは最初に掲げた還元主義に深く根ざしていて、最早如何ともし難いものがあるかに見える。それ以外に科学の進む道はないかに見える。しかし、そこから全体の理解につながる視点が得られるだろうか。そして科学が全的理解に辿り着く新たな道を見つけることができるのだろうか。それが不可能であるとわかった時、科学と哲学の接点が見えてくるように思えるのだが、、。
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