“Nothing in biology makes sense except in the light of evolution.”
(Theodosius Dobzhansky)
(Theodosius Dobzhansky)
水平のつながりの中で今と格闘している時、そこを垂直に貫いている時の流れが意識から消え去る。しかし、その流れに気付く時、われわれの世界観に大きな影響を及ぼしてきた人々がそこから蘇ってくる。ニュートンやアインシュタインにも比肩され、自らも生物学におけるニュートンを目指したダーウィンなくして、進化に照らすことなく生命現象を理解することの無意味さを説いたドブジャンスキーの言葉も生まれなかったであろう。ダーウィンがケンブリッジ大学で神学を修めた後、ビーグル号で世界一周するチャンスが転がり込んでくる。船酔いに苦しみながらの5年に及ぶ航海が彼の一生を決めることになる。まさに人生の大事は計画によるのではなく、どこからか落ちてくることがわかる。航海から戻って6年後、彼は思索と執筆の生活を決意しケント州ダウンに引き籠り、病を抱えながらも真に独立した環境で40年に渡って進化について考え続けた。その一つの成果として、共通祖先に由来する漸進的で目的のない自然選択による進化を説いた「種の起源」(“On the Origin of Species”) が出版された。1859年のことである。
今年はその150周年であるのみならず、ダーウィン生誕200年という生物学にとっては記念すべき年に当たる。この機会に世界中でいろいろな催しが行われているが、私は夏休みを利用してダーウィンの母校ケンブリッジ大学で開かれた生誕200年祭 “Darwin 2009”(2009年7月5日-10日)に参加する幸運に恵まれた。このシンポジウムには、彼の影響がわれわれの営みのあらゆるところに及んでいることを示すように、生物学だけではなく哲学、歴史学、社会学、心理学、人類学、情報科学、経済学、神学、芸術など幅広い領域の専門家が集っていた。因みに科学の分野からは、ハロルド・ヴァーマス(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター、1989年ノーベル賞受賞者)、ポール・ナース(ロックフェラー大学、2001年ノーベル賞受賞者)、ジョン・サルストン(マンチェスター大学、2002年ノーベル賞受賞者)、ランドルフ・ネシー(ミシガン大学)、エヴァ・ヤブロンカ(テルアビブ大学)などが、また科学哲学関連ではリチャード・ドーキンス(オックスフォード大学)、ダニエル・デネット(タフツ大学)、エリオット・ソーバー(ウィスコンシン大学)、フィリップ・キッチャー(コロンビア大学)、エヴリン・フォックス・ケラー(MIT)などが参加した。会の構成は、午前が共通セッション、午後は3-4つのセッション、そして夜は音楽、文学、演劇、映画などの催し物となっていた。ここでは午前中のセッションから印象に残った話題を紹介したい。
午前中のセッションのテーマは「ダーウィンの広範なインパクト」、「社会と健康」、「人間の性質と信仰」、「ダーウィンと現代科学」、「未来は何をもたらすか?」で、ダーウィンの手紙の朗読で始まった。これらのセッションでは、できるだけ多くの人に届くことを願って発せられる言葉の美しさ、力強さ、そしてその底にある信念とユーモアの精神に目を見張っていた。
(左から)ギリアン・べア、リチャード・ドーキンス、ジョナサン・ホッジ、エリオット・ソーバー、デーヴィド・リード、パトリック・ベイトソン(Darwin 2009のチェアマン)、リュドミラ・ジョルダノヴァ
オープニング・セッションでは「この人の本を読むと自分が天才のように思われる」とニューヨーク・タイムズ紙が評したというリチャード・ドーキンスが登壇、会場を魅了していた。彼によると、ニュートンやアインシュタインの鋭い閃きは感じないが、人類に最も広範な影響を及ぼし続けているのはダーウィンである。同様のことを考えた人は4人いたが、進化論が確立されるまでに渡らなければならなかった4つの橋(「淘汰」の存在、進化の動力としての自然選択、すべての生命に当てはまる自然選択、そしてこの考えの社会での受容)のすべてを渡ることができたのはダーウィンだけであった。「社会と健康」のセッションでは、進化医学を押し進めているランドルフ・ネシーが、なぜわれわれの体は病という一見望ましくない状態に陥らなければならないのかという進化論からの問をすべての病気について投げ掛けること、さらに医学教育において一般基礎科学の重要性を説くだけではなく、あるいはそれ以上に進化論を取り上げるべきであることなどを提唱していた。
イギリスのサン紙は彼のことを “David Beckham of science” と書いていると紹介されたポール・ナースは、「サンの問題は私がボールを蹴るのを見たことがないことだ」と切り返して会場の爆笑を誘っていた。今回の特徴は、このような全体を包み込むような温かい笑いが至るところに溢れていたことだろうか。ダーウィンの自然選択の考えがバーネットのクローン選択説やがんの発生と遺伝の研究にも影響を及ぼしていること、さらに、すべての生物は一つの共通祖先から生まれたとする「生命の樹(Tree of life)」は、下等生物での研究がヒトに応用可能であるという哲学に繋がっていることを指摘し、自然免疫に関与するtollはまずショウジョウバエで見つかったことやヒトの遺伝子を酵母に導入しても全く問題なく機能する例などをその証左としていた。癌の生物学については「ダーウィンと現代科学」のセッションでハロルド・ヴァーマスが詳細に考察を加えていた。永遠の増殖という細胞にとっては望ましいが生体にとっては不利になるジレンマを抱えた形質が、なぜ進化の過程で選択されたのか。この疑問についての明快な答えはまだ用意されていないようである。
ポール・ナースがbon vivant の印象を与えるのに対して、ジョン・サルストンは人類の悩みを背負った哲学者の風情がある。「理解から責任へ」と題した話の始めに、彼自身が「種の起源」を読みながらガラパゴスを旅した時、ここでダーウィンがドグマから解放され新しい哲学に進む経験をしたことに想いを馳せたエピソードを語っていた。「自然選択による進化」は最早一つの理論ではなく生命の定義になっている。しかし、それは生命がどのようなものであるのかを教えてはいるが、その保持のためにわれわれが何をしなければならないかについては語ってくれない。それはわれわれ自身が考えなければならない問になる。そこで出てきたキーワードは“global justice”であった。西欧的な自己中心主義、そこから生まれる過度の競争はこの世界やそこに生きる生命を脅かすのではないかという問題提起をし、選ばれた少数のためではなく、全体の発展のために社会的、経済的な目を注ぐ必要があると力強く結んでいた。このメッセージは会場から熱のこもった拍手で迎えられていたが、学問の世界を考える上でも示唆に富む視点ではないだろうか。
今年はC.P. スノーの名著「二つの文化」(“The Two Cultures”)出版50周年にも当たる。そこで問われた文理の乖離の問題は解決されないばかりか、同一分野においても専門が尖鋭化し相互理解が益々難しくなっている。われわれを取り巻く自然とそこで営まれている生命現象により深く迫るには、尖鋭化とは対極にある統合 (synthesis) という作業が求められる。この尖鋭化と統合という両極をどのように調和させていくのか。これはわれわれに課せられた21世紀の大きな問題のように見える。科学の歴史においてトマス・クーンの言うパラダイム・シフトをもたらしたのは、しばしば哲学者や哲学的思索をする科学者であった。自然の中から一つひとつの事実を見つけ出そうとするのではなく、自然全体がどのように動いているのかを理解しようとしたダーウィンの歩みを振り返る時、そこに一つのヒントがあるような気がしている。
この問題に関連して興味深いことが二つあった。一つは、夜の催しに作家の対談が組まれていたが、その中でイアン・マキューアン(「アムステルダム」でブッカー賞受賞、他に「贖罪」、「土曜日」など)が芸術と科学の関係に興味を持っていることを知った。物理学者を主人公にしてこのテーマを掘り下げるという次回作の原稿5-6ページをご本人による朗読で聞くという贅沢を味わった。また、会場に出ていたheffersという書店のブースで何冊か購入した時、係の方が手渡してくれたカードには次の言葉が刻まれていた。
“If you want to build a ship, don’t drum up the men to gather wood, divide the work and give orders. Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.”
(Saint-Exupery)
最終日、「未来は何をもたらすか?」 のセッションのインターミッションに高円宮妃久子様がステージ上でスピーカーの方々と完璧なイギリス英語で言葉を交わされていたのは強い印象を残した。ダーウィンの歩みに始まり、21世紀の科学について想いを巡らせたケンブリッジの一週間であった。
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