mardi 3 novembre 2009
ミシェル・セールさんの 「地球の第三革命、あるいは世界の語られないこと」
ミシェル・セールさんの科学に関するエッセイを読む。それは当然のように、われわれを取り巻く広い世界との関係に繋がってゆく。わたしが感じ、考えていたことと余りにもよく響き合う。21世紀の大きな課題になるだろう。以下に、その概略を紹介したい。
Michel Serres " La troisième révolution sur la Terre ou le non dit du Monde "
科学と社会との最初の緊張関係はガリレオ裁判になる。物理学者は 「世界」 について代数学の言語で語っていたが、教会の伝統は宗教的、神秘的、神学的なものである。ここで忘れがちなのは、この 「世界」 というものである。当時は、誰ひとりとしてガリレオの言うところを理解できなかった。古代ギリシャでも同様の裁判があり人は死んでいるが、中世のような考え方の対立ではなく、市民の義務を果たさなかったり、観察する態度によってさえ、死が宣告された。そこでは 「世界」 は対象になっていなかった。
よく言われることに科学と社会の二項対立がある。そこでは、賢者と軍人との緊張関係、生物学者・医学者と法律家・宗教家の衝突、創造論、倫理委員会の必要性、代理母の悲痛、、、などが強調されて語られる。少なくとも純粋科学は 「世界」 を対象にし、社会の側は社会や政治を扱う。古代ギリシャにおけるシテ(polis に由来)の管理・運営は都市が対象であり、「世界」 の問題ではなかった。
われわれと同様の国においては、この数十年で農民が70%から2%に減少した。社会に影響力を及ぼす哲学者、インテリ、政治家、ジャーナリストは若い時から人文社会科学にだけ接し、「世界」 のものを語る科学に出会っているだろうか。古代ギリシャやガリレオの時代から科学は自らを分割して、それぞれが世界を眺めてきた。しかし最近になり、グローバル・パートナーとして 「世界」 ということを言うようになってきた。諸科学を統合して、「世界」 を発見し、緊急のメッセージを社会に発している。
西洋文明や歴史は、少しずつ 「世界」 の問題から離れている。われわれの文化は都市で生まれ、その中でナルシストの行為をしてきた。田舎や素朴さや純粋科学や 「世界」 の外で生きてきた。それがここに来て急に 「世界」 が出現し、全体を見る視点が必要になってきた。現在の環境問題、自然災害、感染症などは、この視点なしには解決できない問題である。従来の二項対立では解決できないだろう。
ここで必要になるのが、「科学と社会と世界」 のトライアングルである。三者の立体的な関係である。現在のインターナショナルな機関は、結局のところそれぞれの国の利害の対立処理に追われていて、そこでは 「世界」 が除外されている。最近、空気、水、エネルギー、地球、生物種などを扱う国際的ではなく(non international) 「世界的な」 (mondial) な機関を提唱した。そこで 「世界」 を全的な対象として捉えると、それが新たな主体となり、新しい社会を形成することになる。これまでは受け身で存在していた 「世界」 が、決定的な要因となりわれわれの前に顔を出してきた。
科学にも変化が現れ、例えば地球生命科学(SciViTe ; la science de la Vie et de la Terre)という学際的な分野が新たな視点でこの問題を研究している。プトレマイオスは世界の中心に地球を置き、太陽はその周りを回っているとした。コペルニクスはその見方を180度転換し、主客を逆転させた。今起こっていることは新たに見方の転換を迫るもので、第三革命と言えるだろう。現在の危機は、「世界」 をその視野に入れない文化であり、政策ではないか。この問題解決には歴史はあまり役立たないだろう。全く新しい見方や行動が必要になる。
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