lundi 14 juillet 2008

モンテスキューとともに気候を考える


(18 janvier 1689 - 10 février 1755)


最近、ニーチェの風土と精神に関する以下の文章を仏版ブログに出した。

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栄養の問題と密接に関係しているのは、土地と風土の問題である。誰にしろ、何処に住んでも構わないというものではあるまい。ことに全力を振りしぼることが必要である大きな使命を果たさなければならない者は、この点できわめて狭い選択しか許されていない。風土が新陳代謝に及ぼす影響、新陳代謝を阻害したり促進したりする影響は非常に大きいために、いったん土地と風土の選択を誤ると、自分の使命から遠ざけられてしまうばかりでなく、使命そのものをわが身に授けもらえないということが起こり兼ねないのである。つまり、彼自らが使命に面と向かうことを一度もしないで終ってしまうわけだ。こういう人の場合、動物的 活力が十分に漲り溢れ出していないので、最も霊的な界域に洪水のように押し寄せて行くあの自由、かくかくのことをなし得るのはただ吾れ独りのみ、と認識するあの自由な境地には、到達しがたい。

・・・・・どんなに小さな内臓の弛みでも、それが悪い習慣になってしまえば、一人の天才を凡庸な人 物に、何か「ドイツ的な存在」に変えてしまうには十分である。ドイツの風土にかかったら、強健な内臓、英雄的素質を具えた内臓でさえも、無気力にしてしま うのはいとも簡単だ。新陳代謝のテンポが速いか遅いかは、精神の足がす速く動くか、それとも思うように動かないかに正確に比例している。「精神」そのもの がじつはこの新陳代謝の一種にすぎないのだからこれまた当然である。

ひとつ比べ合わせてみて頂きたい。才気に富んだ人々が住んでいたかま たは現に住んでいる土地、機智と洗練と悪意が一体となって幸福の要素を成していたような土地、天才がほとんど必然的に住みついていたような土地、等々を。 どれもみな空気が素晴らしく乾燥した土地ばかりだ。パリ、プロヴァンス、フィレンツェ、イェルサレム、アテーナイ----これらの地名は何かあることを証 明している。すなわち、天才の成立は乾燥した空気や澄み切った空を条件としていること----迅速な新陳代謝を、いいかえれば法外とさえいえる大量の力を 繰り返しわが身に取り込みうる可能性を条件としていること、それらのことを証明している。

私はある自由な素質を持つ秀でた精神が、たまた ま風土的なものに対する本能的鋭敏さを欠いていたというそれだけの理由で、狭量になり、卑屈になり、ただの専門家になり下がり、気むずかし屋で終ってしまったケースを、目の当たりに見て知っている。そして、私自身にしてからが、病気になったお陰で、否応なく理性へと、現実の中での理性に関する熟慮へと強 いられたのだが、もしもこの、病気によって強制されるということが起こらなかったならば、結局は右と同じケースになっていたのかもしれない。

ニーチェ 「この人を見よ Ecce Homo」 (西尾幹二訳) 
(段落改変をしてあります)

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そうしたところ、モンテスキューに も気候の理論(La théorie des climats)というのがありますよ、というコメントが届いた。モンテスキューと言えば、中学か高校で習った「法の精 神」(De l'Esprit des lois)というキーワードしか残っていないが、それが急に息を吹返してくる。自分の中が何かで洗われるという印象がある。こういう出会いにはいつも岩清 水が湧き出るような悦びが込み上げてくる。

18世紀の啓蒙の時代。理性と科学と人間尊重という新しいパラダイムが生れたこの時代は、ディ ドロとダランベールの百科全書やルソー、ヴォルテールの時代でもあった。モンテスキューは多種多様な法律がそれぞれの国の人びとの思いつきで作られている のではなく、ある法則に則っているのではないかと考え、その法則を説明しようとしたのが「法の精神」となった。その要因として、物理的なもの(風土など)、道徳的なもの(宗教、伝統、風俗く・風習など)を考えていた。ここに出てくるのが、今日のテーマになる気候と法律、政治体制との関連の分析である。

彼は決定論者ではなかったが、気候がそこに住む人の気質や習慣に影響を及ぼすと信じ、そのことを考慮に入れた法による支配が成されなければならないと考えて いた。例えば、気温の影響は大きく、寒い環境の人間は頑強で大胆、知識も多く快楽を求める傾向が少ないが、暑い国の人間はだらしなく臆病で決断力がなく、 情熱的で快楽に溺れやすい。前者は王政を持ち、後者は専制を好む傾向がある。

また、土壌の豊かさも政治形態に影響を及ぼすと考えていた。王政は土地の肥沃なところに多く、共和制は土地の痩せたところによく見られたが、モンテスキューはその理由として以下の三つをあげている。第一に、肥沃な土地の人間は現状に満足しているため、自由を求めるよりはむしろ安全を求めること。第二に、肥沃な国は常に平坦な土地の上にあり、人民はより強い力に抗う ことはできない。征服しやすいし、一旦屈服してしまうと彼らの精神に自由は戻ってこない。モンテスキューは王政は共和制よりも征服戦争をする可能性がある と考えていた。第三には、痩せた土地の人は生きるために必死に働かなければならず、勤勉で真面目、勇敢で辛苦に慣れており、戦争に適している。したがって、彼らは自らの防衛に長け、侵略者から自由を守ることができるとしている。痩せた土地が彼らにこのような特質を与えていることになる。

モンテスキューはアジアや日本の状況についても言及している。アジアになぜ専制が多いのか、そこにはヨーロッパと異なる2つの理由がある。第一に、アジアには緩衝になる地域がない。そのため、北の寒冷地帯がヨーロッパよりも南に達していて、その移行が急激ですぐに熱帯に入ってしまう。従って、勇敢で活力溢れ る者が怠惰で女々しく臆病な者たちを直ちに制圧してしまうのだ。これに対してヨーロッパでは、北から南に向けて徐々に気候が変わるため、強い国と強い国が 対峙して存在している。第二の理由として、アジアはヨーロッパに比して平野が広いことがあげられる。山岳地帯が離れ、川も侵略の障害にはならない。ヨー ロッパには小国が乱立しているので一国がすべてを制服することは難しい。アジアでは巨大な帝国が生まれ、そこは専制の温床になりやすいのである。

モンテスキューの解析がどの程度的を射ているのかはわからないが、気候、風土や地理的条件がわれわれの政治行動や考え方に影響を及ぼしているという点には同 意できそうな気もする。決定論に立つわけではないが、それほどまでに大きな要素である印象を拭えない。日本の若者を世界の同年代の人と比べて際立って見え るのは、ヨーロッパはいうに及ばず例えば中国、インドの若者を比べた時でさえ世界の中の自分、日本を世界の中で相対化する視点が非常に希薄なことである。 ある意味では自分の若い時とも重なるような気もするが、自由とか社会体制とか国家という視点の中で自らを見るところもないように見えて仕方がない。

私の場合には、まず自分のことをうまく説明できないという症状で現れたが、時代を経ればこのようなことはなくなるのではないかと思っていた。しかし、どうも そうではなかったらしい。まともな教育が成されていると仮定した場合、教育だけではこれらの条件を乗り越るところまで行かないのかもしれない。自然がわれ われに課している目に見えない影響はそれほどまでに大きいのかもしれない。日本の世界における存在感が国内でしばしば問題にされるが、日本という家の中に 入ってしまえばそんなこと(外とか他ということ)はどこ吹く風と言わんばかりである。日本は肥沃な土地なのだろうか。再び外に出て遠くから眺める機会を得 た今、そう感じることが益々増えている。もちろん決定論には組したくないのだが、この問題はほぼ絶望的な眺めにさえ見えてしまうのである。


ところで、今回のような出会いでいつも感じるのは、モンテスキューの考えはずーっと前からそこに転がっていたということ、それは当然のことながら専門家にとってはいわば当たり前のこと、知らなかったのはそれを取り上げている自分だけということだ。この世は自分の知らないことで溢れているということに改めて目を見張る。われわれはその膨大な宝の山から自らに飛び込んでくる何か拾い上げている存在だろう。言ってみれば、人間はその組み合わせの違いによって特徴付けられている存在であり、どの組み合わせを取っても同じものはないと推測される。この厳粛な事実が身に沁みると、人と会うということがどれだけ貴重な経験なのかがわかってくる。




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