dimanche 28 février 2010

AAAS 2010 から: "EcoHealth, One Health & Conservation Medicine"


NGO の Wildlife Trust のピーター・ダスザック博士は、パンデミックの予見と予防のためにいろいろな研究分野を融合する重要性を説いた。

感染症が世界経済に与える負担を概観したデータによると、重症急性呼吸器症候群 (SARS: Severe acute respiratory syndrome) で 400-500億ドル、鳥インフルエンザ (Avian influenza; H5N1) で 250-300億ドル、口蹄疫 (Foot-and-mouth disease) はイギリスで 180-250億ドル、台湾では 50-80億ドル、牛海綿状脳症 (BSE: Bovine spongiform encephalopathy) はイギリス100-130億ドル、カナダ49億ドル、アメリカ32-47億ドルと甚大なものになっている。


              Hernán Cortés (1485–1547)

人類の感染症の歴史は古く、すでに聖書に記載されている。有名なものでは14世紀のペストがあり、人口の30%が亡くなったと言われている。1520年にはスペインのエルナン・コルテスが持ち込んだ天然痘によりアステカ族数百万が斃れ、メキシコ征服を決める一因となった。また20世紀初頭のスペイン風邪では2000-4000万人が犠牲になったとされる。

人口増加や森林の伐採などの自然破壊の影響で病原体の移動が起こり、野生生物の動向が変化したり、潜伏感染が進行する。野生生物との接触や狩猟の影響も無視できない。発展途上国では未だに動物と寝食を共にすることは稀ではない。さらに世界的な人の移動がパンデミックの危険を増すことになる。ただ、1998-2003年の鳥インフルエンザの例を見ると、飛行機便の頻度と発症の間には相関は見られないという。公衆衛生の管理の行き届いた国ばかりではないので、報告されていない可能性も否定できない。むしろ発症とその国がどれだけ公衆衛生に金を使っているのかの方が相関が強い。



それではわれわれは人獣共通感染症を予見できるのだろうか。1998年の論文で、F.A. Murphy がいつどこで何によって人獣共通感染症が起こるのかを予見することは不可能であるとの見解を発表している。ダスザック博士はこの考えに挑戦しようとしている。



そのための仮説として、社会経済的要因が人獣共通感染症を生み出す。とすれば、その危険性は緯度の高い富める国で高くなるだろう。薬剤耐性の感染症の分布は社会経済的条件と相関する。野生が将来の人獣共通感染症の主要な源泉になる。もしそれぞれの種が同等の未知の病原体を持っている仮定すると、哺乳動物の多様性に富む地域が最も危険性が高くなるだろう。アジアではコウモリを食べる習慣があるので、最初の試みとしてコウモリを対象に研究を進め、新しいウイルスを発見したとのこと。また、ネット上での噂話にも注目して不可解な感染症の出現をモニターしているようである。

EcoHealth journal
International Association for Ecology & Health




samedi 27 février 2010

AAAS 2010 から: "One Health: Environment, Animals, Humans, and Microbes"



次の演者はStanely Maloy 博士。

これまで環境というと野生動物を含むものとして捉えられていたが、今では水、土壌、植物などのすべてを包括したものとして捉え直さなければならない。この環境から細菌を除去したとすると、生物は数日の内に生存不能になるだろう。そこまでわれわれの生は相互依存の関係にある。最初に指摘したいのは、これら複雑に絡み合う現象の学際的研究を進めるための funding system が確立されていないことである。それから重要だったことは、1967年にアメリカ政府の Surgeon General が研究の重点を感染症からがんや心臓病に転換したことで、研究者の意識と研究費配分に大きな影響を与えたことである。




上の図は環境と感染症との関係を示している。まず、環境の変化により、動物からヒトへの感染が起こることがあり、新しい微生物の特徴が進化することがある。また、環境が微生物の隠れ家のようなところを提供している。そして、新しいテクノロジーの出現により、しばしばパラダイム・シフトが起こるが、"One Health" の概念も新たな解析方法の確立により、初めてでき上がってきたものになる。

これまでにいくつかの例が見られる。1976年、米国ペンシルベニア州で米国在郷軍人会が開かれた際、原因不明の肺炎で死者が出ている。その後、空調設備から新しい細菌が見つかり、レジオネラ(Legionella pneumophila)と命名された。これは環境中に普通に存在する細菌で病原性は低いが、空調装置からエアロゾルとして吸入されると感染症を引き起こす。

それから日本でも記憶に残っている大腸菌(Escherichia coliO157:H7 がある。最初は1982年、米国でハンバーガーによる食中毒(出血性大腸炎)を起こす病原体として報告された。食肉の原料に環境からの細菌が付着していた可能性が高い。

野生動物に寄生している Borrelia によりライム病が発症する。典型的な人獣共通感染症になる。その他、胃粘膜に感染するヘリコバクター・ピロリ、食中毒の原因になるサルモネラなどが有名である。

サルモネラは、食肉や動物製品、ペットだけではなく、植物や植物製品にも存在する。しかも植物の場合には、植物の中に入る endophyte の形を取るので、同定や殺菌が難しくなる。

最近の metagenomics の進歩により、環境に存在する病原体が明らかにされつつある。例えば、海水 1 ml 当たり100万以上のウイルスを検出できる。これを利用して、種々の環境における外毒素遺伝子を同定する試みを行っているという。このようなモニタリングにより、実際には起こっているが目には見えない環境の変化を掴むことができる。



Dr. Stanley Maloy (SD State U)



vendredi 26 février 2010

AAAS 2010 から: "One World - One Health"



2月18日~21日までカリフォルニアのサンディエゴであったアメリカ科学振興協会の年会に参加した。サブタイトルが "Bridging Science and Society" で、ある特定の分野に閉じこもるのではなく、その外との関係を探るお話をいくつか聞いた。この機会に簡単にまとめておきたい。

19日には "One health: Attaining optimal health for people, animals, and the environment" というセッションに参加。現代の健康問題はヒト、動物、環境(物理的、社会的)が不可分に絡み合っているので、それに対応したアプローチが必要になることが強調されていた。

CDCP (Center for Disease Control & Prevention) の Carol Rubin 博士は、まず "One Health" の概念が実は新しいものではなく、ルドルフ・ウィルヒョー (Rudolf Virchow, 13 October 1821 – 5 September 1902) の考えの中に見出すことができるとしている。彼はすべての細胞は細胞に由来する "omnis cellula e cellula" という細胞説を唱えた(細胞)病理学の大家であるが、人の病気と動物の病気との間に境界線はなく、また境界線を引くべきでもないと考えていた。そして、Zoonose (de., fr.) 人獣共通感染症 (en. zoonosis) という言葉を造っている。それだけではなく、ヒトの病気の予防のための食肉検査まで唱えている。それから近代医学の父と称されるカナダのウィリアム・オスラー (William Osler, July 12, 1849 – December 29, 1919) は、1870年代に医学部と獣医学部で教えていた。1890年代に入り、医学と獣医学が協力することにより cattle fever の原因となる Babesia bigiminia を発見したり、病気がマダニによって起こることを明らかにし、黄熱病を媒介する蚊の発見へと導く基礎を築いた。

20世紀に入ると医学は益々細分化され、ヒトと動物の病気も分断されることになる。その結果、医学部において人獣共通感染症が強調されることはなくなり、獣医学部もペット・動物の医学に変容していった。しかし、21世紀に入り、2004年9月には World Conservation Society がロックフェラー大学において地球における健康を分野を超えて総合的に見直そうとするシンポジウム "Building Interdisciplinary Bridges"を開き、12の原則 "12 Manhattan Principles" を発表する。その後、この運動は "One World - One Health (OWOH)" として現在も継続されている。

2009年にアフリカのペストがほぼゼロに激減したが、それは医学的な理由に因るのではなく、世界的な気候変動が媒介するノミなどに影響を及ぼした可能性が考えられ、病気の全体像を捉えるためには広い視点が求められる証左としていた。このようなアプローチをする上で重要になるが異分野間の協力であるが、そこで障害になっているのがお互いに敬意を払う姿勢の欠如であるという。これからの研究者は specialist であるだけでは不十分で、generalist の視点も併せ持たなければならないだろう。その上で、異なる領域の研究者と積極的に交わり、共同で事を進めることが求められる。



Dr. Carol Rubin (CDCP)



lundi 8 février 2010

科学をどこまで深めるべきか・・・哲学のためには


先日のコレージュ・ド・フランスの講義を聞きながら、科学の専門領域の知識を深めるほど哲学的なテーマのヒントが生まれるかと思いきや、必ずしもそうではないのではないか、という疑問が湧いていた。ある話題に初めて触れた時に、そこには何らかのテーマが埋まっていると感じることがある。しかし、その領域をどんどん進んで行ったからといって、哲学的テーマが目の前に現れるわけではなく、逆にポイントがボケてくることもあるのではないかという意味だ。

もしそうだとすると、最初に霊感のようなものを得た時に放っておかず、そこで集中的に考え、その意味するところの核になるものをはっきりした形にしておくことが重要になるだろう。もちろん、科学の進歩をフォローし、その領域の理解を深めておくことは、それ自体に意味があるのでこれからも地道に続ける必要がある。ただ、それと哲学的な問題の抽出とが必ずしも相関するものではないことを頭に入れておく必要がありそうだ。

samedi 6 février 2010

Steven Weinberg さんの科学者へのアドバイス


今日初めて入ったリブレリーでこの本を見つける。

Lake Views: This World and the Universe by Steven Weinberg (2009, Harvard UP)

その中に、"Four Golden Lessons" と題した2003年6月にモントリオールのマギル大学で行った卒業式での挨拶が出ていた(pp. 146-149)。科学者の卵に向けた4つのアドバイスとは、
  1. No one knows everything, and you don't have to.
  2. Go for the messes---that's where the action is.
  3. Forgive yourself for wasting time. If you want to be creative, then you will have to get used to spending most of your time not being creative.
  4. Learn something about the history of science, or at a minimum the history of your own branch of science.
もともとはNature誌(Nature. 426:389, 2003)に出たものとのこと。今の私からも勧められることは、4だろうか。ワインバーグ氏は哲学嫌いのようなのでここには入っていないが、歴史の他に科学哲学を加えるとさらによいアドバイスになるだろう。なお、私自身が参考にしたいのは、3になる。


jeudi 4 février 2010

科学の歴史教育を通して己を知る


今日の午前中、新たなクールの様子を見るために創立400年を超えるパリ市内の病院へ。科学の歴史について勉強する。中世までは古い方が権威があった。プラトン、アリストテレス、ヒポクラテス、ガレノスなどは権威であり続けた。特にアリストテレスやガレノスは1000年以上に渡って西欧の頂点に君臨したことになる。この間、彼らの著作は場所を変え、翻訳され、解釈され続けてきた。これが変わってきたのは、19世紀に入ってからだろうか。新しいものが古いものを消していくようになった。今や古いものは捨て去られる運命にある。膨大な科学の成果が詰まっている雑誌など、一定期間を過ぎると廃棄されるのが現代である。「今やアルシーヴを捨てるようになっています」 とは先生の言葉。人間と同じように、科学者の存在も儚いものである。

ただ、私は過去人がやってきたことに触れるたびに、感動に震えるのだ。現代の科学者でも到底かなわないようなものを残している。こんなことを100年前、200年前、いや2000年以上前に考えていた人間がいたことに心底驚き、慄くのだ。知見の新しさではなく、ものに対した時の彼らの精神の動きがすばらしく、しかもその動きが論理的に、時に詩的に綴られている。芸術に近い域にまで達しているものも稀ではない。科学者の残したものも芸術家のそれと同じように見方を変えて評価するようになると、これまで見えなかったものが見えてくるかも知れない。特に、科学の歴史の浅い日本にとって、多くのものを齎してくれそうな予感がしている。今科学を始める若い人は、現時点かせいぜいここ5-6年のパラダイムを学ぶところから始めているのではないだろうか。それだけでは科学という壮大な営みについての感触を得ることは難しいだろう。その一端を自らが担っているという意識には至らないだろう。

ところで、今日のクールで気に入った言葉があった。それは « visible par la raison »。つまり、観察によるのではなく、理性で突き詰めていく(仮説を立てて演繹していく)と見えてくる、それがなければおかしいと結論される状況を意味している。仮説演繹法を言い換えた言葉になるのだろうか。今日の例ではそれが見えなかったのだが、この精神の運動こそ科学を支えているものであり、その運動のやり方を学ぶのが科学という営みになるのだろう。われわれはこの運動が苦手であると感じることが多くなっている。


mardi 2 février 2010

エルンスト・ヘッケルの歩みを読み始める




Robert J. Richards

エルンスト・ヘッケル(1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)の伝記を読み始める。読み終わった最初の章には、どのような姿勢で幅広い領域で活躍したこの複雑な人物に迫ろうとしたのかが語られている。ヘッケルと言えば、ドイツにおけるダーウィン主義の普及に大きな役割を担い、その解釈がナチに繋がったとも言われている生物学者で、個体発生は系統発生を繰り返す、という有名な言葉を残している。また、エコロジーの概念を確立した人とされている。

この本で著者は、ヘッケルがなぜダーウィン主義をまるで信仰のように受け入れたのかに答えを出そうとしている。そのためには科学的な視点だけではなく、それを生みだした人間の深奥に迫るという方法を取るようだ。そこには本書のタイトルにもなっているヘッケルの人生に対する悲劇的な見方があったのではないか。そこから逃れるために、超越性へと向かったのではないか、というような結論が語られるようだ。そこに至るまでに500ページが準備されている。

このようなアプローチを取ったものとして、Thomas Söderqvist 氏によるニールス・イェルネの伝記 Science as Autobiography: The Troubled Life of Niels Jerne (Yale Univ Press, 2003) を読んだことを思い出す(10 juin 2008)。イェルネが科学の上で生み出したものは、彼の内奥に潜む人間を表現したものであったという捉え方である。科学と人間を分けて扱うのが謂わば科学的な伝記の書き方であるような印象を持っていたが、この二つは不可分に結びついているとするこれらの流れは私には興味深いものがある。


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(21 novembre 2010)



Prof. Robert J. Richards (Univ. of Chicago)


上のお話のその後になる。今年の10月上旬、カナダのロンドンで開かれた科学の歴史と哲学に関する会議で著者のロバート・リチャーズさんにお会いし、この本の感想についてお伝えした。話し振りは非常に快活で、論旨がしっかりしている。お話した印象は柔らかいものであったが、ナンセンスなものは受け付けないという強いところがあるように感じた。