今年の3月11日、日本を揺るがす地震・津波・放射能汚染の被害が東北地方を中心に広がった。まさに黙示録(アポカリプス)の世界とも言われるこの災害により、自然の驚異的な力に改めて畏怖の念を覚えただけではなく、科学技術を用いる際のわれわれの考え方に大きな問題があることも見えてきた。アポカリプスとはカタストロフィーではなく、それまで隠れていたことが顕わになることを意味している。それは科学を具体化する人たちの精神の荒廃であり、われわれ自身が持っていなければならない科学精神の衰弱をも意味しているように見える。
2010年10月のある夜、日本語を読みたくなった私はその前年日本の古本屋で手に入れた渡辺正雄著『日本人と近代科学』(岩波新書、1967年)を読んでいた(この本については2010年10月27日にここで取り上げている)。日本で科学をやった後フランスで科学哲学を学ぶ中、日本の科学は技術を優先し、それができれば事足れりとするところがあり、科学の精神面での理解が欠落しているのではないかと感じるようになっていた。この本を手に取ったのは、その問に何らかのヒントが得られるかもしれないという期待があったからかもしれない。
著者の渡辺氏は、西洋の近代科学を見る場合の軸として忘れてならないのはキリスト教であることを強調している。西洋の伝統的な世界観は神を基本とし、神が創造した自然の中に現れているだろう法則を見つけ出すのが科学(者)の仕事であったと考えている。その上で、明治期の日本が西洋の学術を摂取する際、それを生み出した思想的・文化的基盤に思いを致すことなく、技術的な導入・模倣に終始したこと、そして学術の諸分野の相互の関連を考慮することもなく、細分化された専門分野を個別に学び取ってきたその状態が継続したことが現在の問題を引き起こす原因になっていると見立てている。そして、しばらくするとこのような文章が現れ、目から鱗が落ちることになった。
「それだけに、同じ時代のこの日本の一部にキリスト教的観点を最重要視したキリスト教主導の教育(女子教育も含む)が開始されていたこと、またW.S.クラークを初代教頭に迎えた札幌農学校のように、国立でありながらキリスト教と近代科学の両面に重きを置いた教育機関が存在していたことの意義は無視してならないところである」
つまり、北海道大学の前身には科学を技術的側面だけではなく、その文化的・思想的背景を含めて学ぶことが可能な環境が揃っていたことが見えてくる。著者はこの本のテーマの外にあるとして、この問題に深入りしていない。このような指摘を読むのはこの時が初めだったので、当時の状況を調べてみた。
Source: Hokkaido University Library
札幌農学校では第一期生からキリスト教精神としての理想主義、道徳教育、博愛精神などが教育の基本に置かれ、英語で教育が行われていた。一期生には後の農学校長で、東北帝国大学農科大学長や北海道帝国大学初代総長を務めた佐藤昌介、二期生には新渡戸稲造、内村鑑三などの日本、そして世界をリードする人材がいたことはあまりにも有名である。しかし、時代とともに当初の理想が忘れられ、内村鑑三は1926年5月14日に開かれた大学創基50周年の折に次のような言葉を北海タイムス紙(現在の北海道新聞)に発表し、式典への招待を断っている。「明治の初年において、私どもが北海道についていだいた理想は、はなはだ高いものでありました。その第一は北海道を浄化せんとすることでありました。
・・・ここ札幌を日本第一の収穫地ならびに精神の修養地となさんことでありました。
しかしながら今日にいたって事実如何と観察すれば、理想はいずれも裏切られたのであります。北海道は日本を浄化するどころか、かえって内地の俗化するところとなりました。いまや日本中で北海道ほど俗人のばっこするところはないと思います。
・・・
札幌が出したものは多数の従順なる官僚、利欲にたけたる実業家、又は温良の紳士であります。しかれども正義に燃え、真理を熱愛し、社会人類のために犠牲たらんとする人物は一人も出しません。積極的の大人物でありません。進んで善事を及ぼさんといたしません。主として消極的の人間であります。
私はクラーク先生の精神は、札幌に残っているとは思いません。残っているのは先生の名であります。そして今度先生の銅像ができたとのことであります。しかしそれだけのことであります。先生の自由の精神、キリストの信仰、それは今は札幌にありません。札幌は先生のボーイズ・ビー・アンビシャスの広い意味においてこれを知りません」
(蝦名賢造著 『札幌農学校・北海道大学百二十五年―クラーク精神の継承と北大中興の祖・杉野目晴貞』p.64-65; 西田書店、2003年)
事に当たる時、自らの精神の中に入り、自らを振り返ることの大切さを農学校開校当時の教育者は教え、学生もその哲学の下に研鑽に励んでいた。知識(だけ)ではなく、その知識を支えるべき精神的基盤を重視する教育であった。しかし、その精神が次第に風化し、内村の痛烈な批判を受けることになる。
わたしは経験を積み重ねる中で、教育についてこのように考えるようになった。それは、行動の基に哲学的思索を置き、その哲学を生きることにより世界を変えることができることを次世代に伝えることに尽きるのではないかというものだ。背後にある精神を忘れたまま、技術に偏った片肺飛行を続ける日本の現状を目にする時、ウィリアム・クラーク博士の精神性溢れる教育に想いを致し、その精神を蘇らせることが今求められているのではないだろうか。
Ⓒ 2004 National Diet Library, Japan
ここで、クラーク精神という言葉からさらに想像を羽ばたかせてみたい。この精神の基本にはキリスト教の理想主義や博愛精神があったとされるが、それを可能にするためにはものを考える時に省みる姿勢、自らに戻る精神運動がなければならないだろう。自らを対象にすることもその一つだが、自らの行っている仕事や研究、自らの属する社会(家庭から国家まで)も対象になり得るし、すべきだろう。それならほとんどの人がやっていると答えるかもしれない。しかし、ここで言う「考える、省みる」とは、仕事や研究の中の細かい事柄、家の中の具体的なやりくりを対象にしているのではない。仕事をするということ、仕事が対象としているもの、仕事と他のこととの関係など、仕事そのもののについて考えることを意味している。ここで言う仕事はあらゆることに置換できる。例えば、医者はいろいろな病気の発症メカニズム、診断法、治療法については詳しく知っているが、そもそも病気とは何なのかについて考えているとは限らないという状況と似ている。つまり、専門の中で考えるのではなく、それを超えた知を求める姿勢、専門を上から見て考える姿勢とでも換言できるかもしれない。
哲学の定義は人様々だろう。わたしは上で述べたような姿勢で対象に当たるのが哲学的態度だと考えている。そうすると、遠くから眺める日本の空間にはこの姿勢が著しく乏しいように見える。そして、おそらくそのことが原因ではないかと想像されるが、日本が一人の大人としてこの世界に生きているという姿が見えてこない。日本人の知性が見えてこないのだ。上で述べたような意味での哲学を一人ひとりが実践することがなければ、いつまでもこの状況は変わらないだろう。生き生きとした空間には変貌しないだろう。その基礎ができて初めて日本の科学のみならず国としての再生が静かに始まるような気がしている。ユートピアンの遥かな夢だろうか。