samedi 22 septembre 2012

第4回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ


The Fourth Gathering SHE (Science & Human Existence)


テーマ: 「脳と心、あるいは意識を考える」

今回は、哲学と科学との交わりが特に強い領域について考えることにしました。19世紀末、ドイツの生理学者エミール・デュ・ボワ・レイモンは世界の9つの謎を挙げ、その中の3つに関しては人間はこれからも知ることはないだろうとの考えを発表しました。その中の一つに意識の問題が含まれています。脳内の物質の物理化学的変化から非物質である精神活動がどのようにして現れるのか。歴史的にはデカルトが明確に分けた空間を占める物質としての身体・脳 (延長実体)とそれとは重ならない非物質としての精神・心(思惟実体)との関係は、一体どのように考えられてきたのだろうか。最新の科学の成果と合わせて考える予定です。

2012年11月29日(木)、30日(金) 18:20-20:00
同じ内容です

会場: カルフール会議室 (定員15~20名)
Carrefour

東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1
電話: 03-3445-5223


参加費 
一般 : 1,500円 (コーヒー/紅茶が付きます)
高校生・大学生: 無料 (飲み物代は別になります)


会終了後、懇親会を予定しています。
この試みを始めて1年を迎えることになります。
皆様の率直なご意見を伺うことができれば幸いです。
参加を希望される方は、希望日と懇親会参加の有無を添えて
hide.yakura@orange.fr まで連絡いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。




samedi 15 septembre 2012

神経心理学会での教育講演を終える

今福一郎 (横浜労災病院)、西川隆 (大阪府立大学)、武田克彦 (国際医療福祉大学) の各氏


この世界、何が起こるかわからない。なぜ、いま、ここに、わたしがいるのかわからないという感覚に陥ることがある。昨日はまさにそれであった。何と日本神経心理学会という学会で教育講演という大役を担わされたのである。学会長である武田克彦氏からのお誘いであった。

吉本隆明氏だっただろうか、何事も10年やればプロですよ、とのことだが、その伝で言ってもまだ半人前。常人の感覚では考えられないお誘いであったが、学問の背景も知らない中、引き受けた方も相当なものである。学生に頼むのだから、それは頼む方の責任だとでも思ったのだろうか。いくら半人前だとしても、知を愛する語りである哲学にお誘いする営みに躊躇があってはならないと感じたのか。

お誘いを受けてから折に触れ、この学問を取り巻く哲学的問題について考えていた。一番困ったことは、会員の皆様の頭の中が全くわからないことであった。自分の領域であれば、ある程度の想像がつくので話のツボのようなものがわかるのだが、それができない。結局、会場に向かう寸前まで苦しむことになった。

お話は40分と言われいてそのように準備したのだが、結局10分以上オーバーしたのではないだろうか。特別講演以上の時間を頂戴することになった。話始めてこれまでになくゆっくり話していることには気付いていた。ただ、それほど気にすることもなく続けていた。そして予定の半分を経過した頃、事の深刻さを把握。時間内にはとても終わりそうにないのだ。座長の労を取っていただいた八田武志先生(関西福祉科学大学)に確認すると、実に寛大に対応していただき、驚く。その日の最後だったこともあるのか、ありがたく、そして心置きなく話し終えることができた。オーガナイザーの皆様には感謝しかない。

この日、武田克彦氏の会長講演、佐伯胖氏(青山学院大学) の特別講演があり、教育講演へと続いた。両氏の講演内容と繋がるはずもないと思っていたわたしの話が繋がってきたのには、心底驚いた。両氏が語る共感 (empathy) の重要性。診療にはもちろんのこと、植物状態からの帰還にも驚きの力を発揮するという。そんなことなど頭になかったわたしの話の中に、そこに繋がるポイントがあることに気付く。それは佐伯氏の語るネガティブ・ケイパビリティ (negative capability) へとも繋がるものであった。

それから 「detachment から personal participation へ」。これは日常だけではなく、これからの学問のあり方にも関わるのではないだろうか。最後に郷田棋士を引いて次のように締めくくられた会長講演。わたしがこのお話を引き受けた時に心の底にあった気持ちと重なるものを感じていた。
「仕事に出会ったことを感謝し、その仕事に全身全霊で打ち込み、その素晴らしさを知ってもらうことが使命」
話を始める前、学生時代に机を並べていたF氏を会場で見かける。長い時を経ての思いもかけない再会となった。わたしの話を聴くためだけに来られたとのことで恐縮すると同時に、ありがたく感じる。

会終了後、同じく教育講演をされた若き日から哲学に打ち込んでこられたという西川氏、さらに今福氏を加えて一日を振り返る。その時やっと、今回の訪日の肩の荷が下りたように感じた。hectic と形容するしかない一週間であった

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今日の会場でのこと、予期せぬ出会いがあった。昨日の講演で、医学概論を始められた澤瀉久敬氏(1904-1995)の言葉について触れた。最後の最後に入れたスライドだった。その名前を見て昔の記憶が蘇ってきたとのことで、大阪でお仕事をされている方からお声を掛けていただいた。お父上が澤瀉氏のお弟子さんに当たり、子供の頃、澤瀉氏からの電話を受けたことも思い出されたようである。やはり、この世界、何が起こるかわからない




vendredi 14 septembre 2012

国立感染症研究所での講演終わる


昨日は国立感染症研究所へお話をするために出かけた

アメリカ時代からの友人であるK氏、学会でわたしの話を聴き興味を持たれたというオーガナイザーのA氏のお誘いで

現場の科学者を知を愛する語りである哲学へお誘いするためもあり、お引き受けした

国の研究所なので、国の医療行政に寄与する仕事でなければ受け入れられない状況とのこと

目的が決まった研究、さらに業務も加わる

わたしの研究スタイルとは相容れないものがあり、耐えられそうにない

研究そのもののあり方について、立ち止まって考える人間が出てきてもよさそうなのだが、、、


その状況はある程度予想できたので、ヨハネス・ケプラー (1571-1630) の考えについても触れることにしていた

彼は科学を創造された完璧な世界について瞑想し、自らの精神を高めるための手段と見ていた 

 物を中心に置く考えから離れ、本質的な問いを考えるための道であるとも見ていた

 経済的な価値ではなく、音楽や絵画と同様の美的価値の追求こそ科学であると考えていた

つまり、突き放した客観的態度で臨むのではなく、精神を含めた全身が関わるような営みとして科学

心身分離の激しくなっている21世紀ではなかなか受け入れられなくなっているのだろうか

今の状況について一歩引いて考えることはせず、流れに身を任せているだけになっているのだろうか


そういう環境なのでK氏はどの程度の参加者がいるのか心配されていたようだが、ご本人の予想は超えていたとのこと

この日は村山庁舎ハンセン病研究センターとの三元中継を予定していたようだが、都合で村山庁舎との二元中継となった

それにしても、このような話に興味を持たれる方が多いということに驚かされる

その期待に応えることができたのかは、いつものように心許ない

話の後のディスカッションでもたくさんの質問が出てきて、こちらの方が刺激を受けた

 このような活動をしていると、科学と社会との接点で仕事をされている方とのお話も抵抗がなくなる

と同時に、お互いの間に引力が働くように感じる

いつのことになるのかわからないが、日本でそのような方向に歩み出すことはあるのだろうか


会場では思わぬ方々と顔を合わせることになった

研究領域が一緒だったO氏とM氏、昔の研究所、研究室で一緒だったダブルW氏など

日本に住んでいれば驚くことなどないはずなのだが、遠くにいてそのあたりの繋がりが飛んでしまったようだ


夜はK氏、A氏、M氏の他、部長をされているK氏、退官後広報を担当されているF氏の皆様が加わり、夕食を共した

話題は研究内容そのものではなく、研究体制の問題、科学論、文化論、そして現世のお話が出たように記憶している

最後に残るのは、そちらの問題になるのだろうか

大いに楽しませていただいた

皆様に感謝したい