今福一郎 (横浜労災病院)、西川隆 (大阪府立大学)、武田克彦 (国際医療福祉大学) の各氏
この世界、何が起こるかわからない。なぜ、いま、ここに、わたしがいるのかわからないという感覚に陥ることがある。昨日はまさにそれであった。何と日本神経心理学会という学会で教育講演という大役を担わされたのである。学会長である武田克彦氏からのお誘いであった。
吉本隆明氏だっただろうか、何事も10年やればプロですよ、とのことだが、その伝で言ってもまだ半人前。常人の感覚では考えられないお誘いであったが、学問の背景も知らない中、引き受けた方も相当なものである。学生に頼むのだから、それは頼む方の責任だとでも思ったのだろうか。いくら半人前だとしても、知を愛する語りである哲学にお誘いする営みに躊躇があってはならないと感じたのか。
お誘いを受けてから折に触れ、この学問を取り巻く哲学的問題について考えていた。一番困ったことは、会員の皆様の頭の中が全くわからないことであった。自分の領域であれば、ある程度の想像がつくので話のツボのようなものがわかるのだが、それができない。結局、会場に向かう寸前まで苦しむことになった。
お話は40分と言われいてそのように準備したのだが、結局10分以上オーバーしたのではないだろうか。特別講演以上の時間を頂戴することになった。話始めてこれまでになくゆっくり話していることには気付いていた。ただ、それほど気にすることもなく続けていた。そして予定の半分を経過した頃、事の深刻さを把握。時間内にはとても終わりそうにないのだ。座長の労を取っていただいた八田武志先生(関西福祉科学大学)に確認すると、実に寛大に対応していただき、驚く。その日の最後だったこともあるのか、ありがたく、そして心置きなく話し終えることができた。オーガナイザーの皆様には感謝しかない。
この日、武田克彦氏の会長講演、佐伯胖氏(青山学院大学) の特別講演があり、教育講演へと続いた。両氏の講演内容と繋がるはずもないと思っていたわたしの話が繋がってきたのには、心底驚いた。両氏が語る共感 (empathy) の重要性。診療にはもちろんのこと、植物状態からの帰還にも驚きの力を発揮するという。そんなことなど頭になかったわたしの話の中に、そこに繋がるポイントがあることに気付く。それは佐伯氏の語るネガティブ・ケイパビリティ (negative capability) へとも繋がるものであった。
それから 「detachment から personal participation へ」。これは日常だけではなく、これからの学問のあり方にも関わるのではないだろうか。最後に郷田棋士を引いて次のように締めくくられた会長講演。わたしがこのお話を引き受けた時に心の底にあった気持ちと重なるものを感じていた。
「仕事に出会ったことを感謝し、その仕事に全身全霊で打ち込み、その素晴らしさを知ってもらうことが使命」
話を始める前、学生時代に机を並べていたF氏を会場で見かける。長い時を経ての思いもかけない再会となった。わたしの話を聴くためだけに来られたとのことで恐縮すると同時に、ありがたく感じる。
会終了後、同じく教育講演をされた若き日から哲学に打ち込んでこられたという西川氏、さらに今福氏を加えて一日を振り返る。その時やっと、今回の訪日の肩の荷が下りたように感じた。hectic と形容するしかない一週間であった
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今日の会場でのこと、予期せぬ出会いがあった。昨日の講演で、医学概論を始められた澤瀉久敬氏(1904-1995)の言葉について触れた。最後の最後に入れたスライドだった。その名前を見て昔の記憶が蘇ってきたとのことで、大阪でお仕事をされている方からお声を掛けていただいた。お父上が澤瀉氏のお弟子さんに当たり、子供の頃、澤瀉氏からの電話を受けたことも思い出されたようである。やはり、この世界、何が起こるかわからない
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