lundi 7 avril 2008

今感じる現代哲学の問題


哲学に外から入ってきた者の目に映ること。こちらに来てから感じ続けていること。それは、哲学に入る切っ掛けになった動機と関係がある。知識の所有から始ま り、それで満足する哲学、あるいはそこから体系の確立に至る哲学。もし哲学がそういうものであれば、全く魅力を感じなかった。そうではなく、自らの生き方 に直接絡んでくるような哲学。世に溢れる安易な人生論ではなく、知の所有でもない哲学。知への欲求を持ち続け、それを自らの中に映し出しながら生きる姿を 変えていくという哲学。そういう形があることを知ったからこの道に入ったのだが、そういう哲学に大学での講義で出会うことはない。

その原因は、哲学が学問になってしまったことと深く関係があるのではないだろうか。あるいは、他の科学と同じように哲学を捉えている間は、わたしを満足させ る哲学は生まれないのではないか。大学の講義を聴いていて感じるのは、このことである。ただ、大学で行われている学問的な哲学を否定しているわけではな い。それは一つの極として重要であるが、それだけでは不充分ではないかということである。

哲学の復権を語るとすれば、哲学に関係のないところにいる者が興味を持つような提示が必要であり、それはわたしが感じたような要素を含むものでなければなら ないのではないかという感触がある。そのためには、そのような営みが日常的に実際に行われていなければならない。それができないようなシステムになっているところに大きな問題を見る。哲学ほど人間として生きる上で、社会の中で生きる上で有用なものはないという感想を持っている者として、残念なことである。 あるいは、哲学とはそのような星の下に生まれた営みなのだろうか。




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