jeudi 10 avril 2008

カンギレムから病気、治癒を考える


カ ンギレムを読む。病気や治癒の考え方がわたしのこれまでの経験から得た考え方と近いものがある。病気や健康の定義、概念についての議論はいろいろ人から出 ているが、どこか思考実験的なところがあり、臨床にどれだけ貢献できるのかについては疑問が多い。確かに、臨床に近い人は定義など必要がないという考えに 見られるように、より現実的な思考をすることが多い印象がある。

病気になった後、完全に元に戻ることはない。それは人間がこの生を歩むことと同じである。病気はわれわれの生とともにある。そして、病気が終わった後には、 それ以前にあった規範とは異なる規範が表れる。あるいは、そのように治癒を捉える必要がある。 元に戻ることを望むのではなく、新しい生を積極的に受け入れるという姿勢が必要になるということである。このような考えには強く共振する。もう少し詳し く、この問題を考えてみてはどうか。

病んでいる方にとってもこの考えは有効な思想になるのではないだろうか。医療の側も、機能的に元に戻すことを目指しながらも、新しい規範に対応する必要があることを伝えるべきだろう。病める側のこの体を元に戻してほしいという言い方を聞く時、このことを想起する。

病気はなぜなくならないのか。さらに言えば、人間はなぜ死を運命づけられているのか。哲学者はこれらの問題についても解を出すことができるのだろうか。医学 はそれぞれの病気についての対応策を持っていることが多い。しかし、個々の病気についての知ではなく、病気に罹り、治り、あるいは死に至る過程に対する見 方、精神的な支えになるような思想を生み出すことは医学の埒外にある。哲学の使命は、そのあたりになるのだろうか。少し考えただけでも、大きな使命であ る。

これらの問題を考える 時、現状から始めないこと、「いま・そこ」にある問題を解決するためにどうするかという思考をしないこと。そこから始めると、大きなところには行きつかな いのではないかという感触があるからである。より本質的な問題を探りながら、そこを突き詰めることを先にやるべきだろう。応用に至る道はその後から開ける のではないかと考えているからだ。あまりにもナイーブな見方だろうか。




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