samedi 23 octobre 2010

生物多様性と生命倫理の交わるところ、ジャン・クロード・アメイセンさんの視点



10月21日午後からフランスの科学祭(La Fête de la Science)と言われているものの様子を見るため、4世紀の歴史を誇るサン・ルイ病院に講演会を聴きに行く。この病院にはドクターに入ってから科学史のクール(マスター向け)を聞くために何度か訪れている。歴史が残る建物を中心に据え、上の写真のような新しい建物が加わっていて、不思議な落ち着きを持つ空間である。

3人の演者がいたが、ここでは最後に演壇に立ったパリ大学の免疫学教授で INSERM(国立健康・医学研究機構)の倫理委員会の代表も務めるジャン・クロード・アメイセン(Jean-Claude Ameisen)さんの「生物多様性と生命倫理」について紹介したい。現在名古屋で生物多様性についての会議(COP10)が開催中なので時宜を得た今後に繋がるテーマである。彼はスライドなしで1時間語り続けた。以下、印象に残ったところから。

生物多様性がなぜ重要なのか。そもそも生物多様性とは新しいものを生み出し続ける能力を意味し、進化する能力に繋がる。したがって、われわれ自身の生存にも重要な意味を持ってくる。この多様性を維持することはわれわれの責任であるだけではなく、膨大な研究の必要性を意味している。一方、まだ40年ほどの歴史しかない生命倫理という概念には、生命科学・医学における倫理という意味と生物をその環境の中で捉える倫理の二つの要素がある。生物多様性と生命倫理がお互いに絡み合っていることがわかる。ここで環境と言う場合、動物や植物を含む目に見えるものだけではなく、この世界の大部分を占める目には見えない微生物の存在にも目を向ける必要がある。われわれ自身もその微生物からできていることは言うまでもない。

残念ながらここ数十年、新しい生物を作り出す能力が落ち、生物多様性を傷つけている。ダーウィンはもう130年も前に多様性を破壊する懸念を書き遺している。一般的には深い考えもなく何かをやった(ここでは破壊した)後にその対策を考えるのだが、ダーウィンは先を見て考えていたことがわかる。この世界は多くの生物が共存して均衡状態を保っているので、ある特定の状況に不都合が出たからと言って、単純にそれを排除すればよいという訳にはいかないし、そうすると多くの問題が出る可能性がある。これは外の世界の出来事だけではなく、われわれの体の中の細菌についても当て嵌まることが最近の研究で明らかになりつつある。

ここで注意しなければならないのは、生物多様性が単に種の多様性を意味しているだけではなく、種の中の個体の多様性をも含んでいる点である。そして個体の多様性の中には、ある年齢層の中での多様性だけではなく、時間軸に沿った多様性も入る。優生学的な考え方には常に警戒の目を向けなければならない理由がここにある。また最近の研究によると生物の運命は生まれつきの遺伝子だけではなく、環境が遺伝子の働きに重要な影響を及ぼしていることが明らかになってきている。環境というコンテクストの中で生物を考えることの大切さが益々増している所以でもある。

世界的にみると、科学的な原因よりは社会・経済的な原因が人間の運命を決めている場合が多い。つまり、経済的な要請を無条件に受け入れてよいのか、環境や生物多様性を破壊するような営みにどのように対していくのかがこれからの大きな問題となる。レッセフェールでやりたいようにやらせるのか、厳格な計画を立てるのかという問題でもある。しかし、アメイセンさんはこの両者とも幻想であると考えている。自由放任は論外であるし、自然の未来を予測して計画を立てることなど不可能だということなのだろうか。いずれにしてもこれから経済活動を見て行く場合、それが健康、平和、正義、生物多様性にどのような影響を与えるのかを考えることが不可欠になる。その時、自らと異なるものに対する敬意、共に分かち合うという感覚が求められるだろう。われわれの生き方、考え方を変えることなく、この問題の解決はないという結論に落ち着いていた。


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