mercredi 11 février 2009

科学という営み、そして科学教育の見直し



科学という人間の行為について定義するのは、他の定義と同じように非常に難しい。しかし、こちらに来てから調べたところ、次のようにまとめられるのではないだろうか。少なくとも私自身はこの定義を見て大いに参考になった。それは以下の4つになる。

1) décrire des phénomènes (現象を記載する)
2) prédire la conséquence (結果を予言する)
3) maîtriser la connaissance (知識を習得する)
4) expliquer, substituer des raisons aux faits (説明する、事実を理由に置換する)

上の4つの営みの中で特に重要になると考えているのが 「説明する」 という行いであるが、フランス語の辞書を見てみると次のようになっている。

a) 起こっていることを明確に理解させる
b) 理由や原因を明らかにさせる

上の a) は科学の目的の1番目、「現象の記載」 と重なるところがある。さらに、b) は科学の基本的なところを言い表していると考えられる。説明する "expliquer" の語源を辿れば、ラテン語の explicare になり、「包みを解く」ことを意味していた。つまり、科学には今起こっていること、これまでに起こったことを包みを解くように記載し、その事実の背後にある原因を明らかにしようとする営みであることがわかる。その後に、その蓄積を習得し、その知識を用いて将来起こるであろうことを予言することが加わり、一つのまとまった考え方を提示することになる。

科学をどのように見るのかという問題は、科学を学ぼうとする時に最初に出て来なければならないものだろう。この認識ができていないと、その後の対応も間違った方向に行くことになる。例えば、前回触れたように科学を 「知ること」と定義した時には、科学的な知識を与えれば科学を教えたことになるが、果たしてそれでよいのだろうか。上の4つの目的の中の3番目だけを教えたことにしかならないからである。

また、4つの営みを見てみると、これらは自然科学の中でだけ重要なことではなく、人間の営みの中で必須のものであることが分かってくる。つまり、科学を学ぶことは人間にとって不可欠なものを学ぶことを意味していることが明らかになる。私が前回のエッセイで強調したかったことはまさにこの点にあり、そこが現状では欠如していると感じている。科学者についてそうなのだから他の領域では況やということになる。最近の日本社会の目を覆うような状況の根にはこの科学精神の欠如が大きいと考えているが、これについては同意していただけるのではないだろうか。この状況を根本的に変えることができるのは科学をしっかりと教育する以外にはないという結論になる。


そして最近届いた雑誌 Science (2009年1月23日号) の巻頭言で編集長のブルース・アルバーツ (Bruce Alberts) 氏が 「科学教育を再定義する (Redefining Science Education)」 と題してこの問題を論じているのを見て、我が意を得たので以下に紹介したい (原文はこちらから)。

主な論点は、上に述べたことと重なっている。科学教育において、科学的に考えるということを教えるのではなく、科学について語られ、事実を覚えるように教えられているが、これが多くの問題の根にあると看破している。大学における科学教育では、どのような領域であれ、「自然界の現象を知り、それを使い、そしてその科学的な説明を解釈する」 ことを目的にしていて、中でも 「知ること」に重点が置かれている。それはアメリカの専門家が推奨している科学の4つの目的の一つにしか過ぎない。他の目的は以下の3つである。

1) generate and evaluate scientific evidence and explanations (科学的証拠や説明をし、それを評価する)
2) understand the nature and development of scientific knowledge (科学的知識の性質と展開を理解する)
3) participate productively in scieintific practices and dicourse (科学的実践と発表に生産的に参加する)

科学の定義に 「科学的」という言葉が入っているのは循環的に見えて抵抗がないわけではないが、科学には単に知ること以外に重要なことがあるという点に著者の主張があることは理解できる。さらに、大学を出ても科学的な理解や説明とそうでないものとの区別がつかない人が多いことに驚いている。特に、証拠に基づいて立証されなければならないという科学において重視されるやり方が理解されず、科学とは科学者が導き出した一つの真実であるかのような捉え方しかされていない、あるいはそのようにしか教えられていない。知ること以外の3点についてこれから教育していかなければならない。そして、その評価を国家レベルのプロジェクトとして始めるように提案している。長い目で見ると、それがビジネスや産業に見られる問題解決にも役立つと考えている。

これを読んで、アメリカにおいても同様の問題が横たわっていることに驚いていたが、アメリカでさえこのような動きがあるのである。日本はそれ以上に力を入れなければ、その原因の大半が科学精神の欠如ではないかと思われる社会に広範にみられる問題の解決は程遠いだろう。最近学会や研究機関などが社会との接点を求めて啓蒙活動を行っているが、その時に考えなければならない重要な点もここにあるだろう。科学精神の浸透に長い時間を要することは想像に難くない。それ故、いくら早く始めても早過ぎることはないのである。




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