dimanche 4 octobre 2009
エリー・ウォルマン記念シンポジウムより ― 「ウイルスは生きている」
昨年亡くなったエリー・ウォルマン(Elie Wollman, 1917-2008)を記念するシンポジウムに先週参加した。パトリック・フォルテールさん(Patrick Forterre; パスツール研究所、パリ第11大学)がウイルスの定義、生命の起源に関係するお話をしていた。
彼の視点はいつもできるだけ広くものを見ようとするところが特徴だろう。今回の講演の前に、1961年に Scientific American (204:93-107)に発表されたフランソワ・ジャコブとエリー・ウォルマンのエッセイ "Viruses and genes" を読んでみたという。彼らの精神の中にも、自らの細菌遺伝学の成果を他の領域、特に癌の発生と結びつけるという統合的な視点が見られることを指摘している。現在の傾向はこれに逆行するもので、本来は一緒に考えなければならないウイルス、プラスミド、ファージなどの研究がそれぞれの分野に固まってしまい、ミーティングもどんどん細分化していると警告を発している。そんなこともあってか、来年6月には細菌とウイルスをまとめて考えるシンポジウムを計画しているようだ。
人の遺伝子の40%(~80%)はレトロウイルス由来であることが明らかになっている。ウイルスが人から遺伝子を盗んでいると考えられていたが、実は人の方がウイルスから遺伝子を盗んでいることになる。ウイルスやプラスミドが新しい遺伝子や機能の貯蔵庫の役割を担っており、細胞に創造性を与える元になっている。最近、真核細胞の核、細胞壁、ミトコンドリアの複製、転写などはウイルス由来で、胎盤、合胞体 (syncytium)などはレトロウイルス由来とする報告が出され、哺乳類の起源にも関与している可能性が高い。
また、人間とチンパンジーはおよそ600万年前に共通の祖先から分かれて進化したが、その遺伝子は96%~99%共有されている。両者に差があるのはレトロウイルスの組み込みの程度だという。ある意味ではウイルスが人間らしさを生み出していると言えなくもない。
フォルテールさんが強調したかったのは、ウイルスをどう捉えるかという点にある。ウイルスとは、という問になる。第一の問題(ドグマと言ってもよいだろう)は、ウイルスをウイルス粒子 (virion)と考えていることである。ウイルスをその生活環の中で見ると、細胞内にある時期は細胞をウイルス生産工場に変えることができる。しかし、これはウイルスは細胞をウイルス粒子生産工場に変えると改めなければならないだろう。
前の記事でも取り上げた巨大なミミウイルスを古細菌に感染すると、宿主の遺伝子は変性し、そこにあるのはウイルス・ゲノムだけになるという観察をしている。つまり、この古細菌はウイルスの遺伝子を持った細胞になる。彼は、ウイルスとは感染した細胞である、ウイルスは細胞生物であると提唱したいようだ。つまり、ウイルスは細胞であるので生きているとの結論になる。
さらに、生物の世界をリボソームとカプシドを持つ二つに分けるように提唱している。つまり、生命の世界は細胞とウイルスの二つに分かれるというものだ。興味深いお話である。最後にこう付け加えていた。この二つの世界(細胞とウイルス)は進化の過程で大戦争をしてきた。その戦争が進化のモーターであった。最近、この両者は相互に折り合いをつけるように進化してきたという、謂わば甘い考えも出されているが、彼は理由ははっきり語っていなかったがその立場は取らない。大部分の科学者は戦争を嫌うので、細胞とウイルスの戦争を過小評価する傾向があるのではないかと推測している。政治的には正しくないかもしれないが、戦争こそ新しいものを生み出す大きな力があると考えている。ジャコブとウォルマンのエッセイにも 「ウイルス感染の全過程は、一国が他国を占領するのに比することができる」 と書いている、と結んでいた。
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