lundi 6 décembre 2010

最前線に立つという感覚、あるいは拡大から深化へ



もう30年ほど前のことになる。7年に亘るアメリカでの研究生活を終え、日本に帰ってきた。その時に感じたことがある。それは日本ではあるモデルを見ながら進んでいるので、生きるのが楽な国だなというものであった。それは、意識していなかったが、アメリカでは目の前がワイド・オープンになっていると感じていたことを意味している。自分がいつも最前線に立っているという感覚である。そこではモデルなどはないので選択の幅が日本より広く、その選択のために個々人が思考しなければならない。人それぞれに自らを満たすために多様な生き方が生まれる社会と言ってもよいだろう。そのやり方に慣れていない場合には大変だが、この過程こそ社会にダイナミズムを生み、時に創造的な営みが行われる源泉になっているはずである。この感覚が日本に帰って消えていくのを感じていたことになる。考えないで済むという点で楽だと言ったが、別の言い方をすれば、視界が広がっていない予定調和の世界を進むという意味で足枷がかかっているようなものである。生きる上で心が躍らないのだ。

今日の日本は閉塞状況にあり、日本人から元気がなくなったと言われている。もし、あるモデルを見ながら一丸となって進む時に感じた昂揚感がなくなったところに原因を求め、あの昂揚感よ再び、と模索しているとすればあまり期待できないのではないだろうか。あの昂揚感ではなく別の昂揚感が必要になるような気がしている。それはそれぞれが見習うモデルのない最前線に立っているという感覚と、それ故自らが考えて進まなければ立ち行かなくなることを認識することから始まる。時に昂揚感とは対極の感情も招くことになるだろう。しかし、それは与えられたものではなく自らが選んだ結果になるので、それこそ生きている証として受け入れることができるのではないだろうか。その感覚を持ち、日々を新しく生きようとするなかで道は開けるような気がしている。どこかにあるモデルを見るのではなく、それぞれの内面と向き合いながら自らの考えを深めるような生活が広がれば、何かが変わるのではないだろうか。数の世界から質の世界へ、あるいは一方向の拡大ではなく多方面での深化。今フランスに生活して感じる落ち着きの基にはこのような生活態度があるように想像している。これからの日本にとって、一つのヒントがそこにありそうである。


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