夜の散策中、タイトルに惹かれてシネマの中に入る。
"A Dangerous Method"
案内を読んでみると、カール・ユングに纏わるお話だ。フロイトも出てくることがわかり、観ることにした。昨年、東京で開いた会でユングの言葉についても触れていたからでもある。
この世に偶然はない。これはわたしの底を流れるアイディアになっている。この映画でユングも同じ考えの持ち主だったことを知り、驚く。この世の出来事には何かの意味があると考える傾向があったのだ。
この世に偶然はない。これはわたしの底を流れるアイディアになっている。この映画でユングも同じ考えの持ち主だったことを知り、驚く。この世の出来事には何かの意味があると考える傾向があったのだ。
ユングとフロイトが決別したことは知っていた。精神分析の分野は 「いずれ」 のリストの相当先にしかない。その背景について調べるところまでは行っていなかった。ただ、この映画で両者の考え方の違いが少しだけ見えたような気がした。
フロイトはユングを精神分析という自らの領域の後継に、と考えていた。フロイトは開拓しつつあった領域を科学的批判に耐え得るものにしようとしていた。彼の周りには多くの批判者がいたのだ。
一方のユングはフロイトが科学的として囲い込んだ領域を超えようとする。この世に偶然はなく、すべてに意味があると考えるような人間である。テレパシー、神秘主義、シャーマニズムなどにも興味を示す。
患者に対する態度でも二人は意見を異にしていた。フロイトは患者のあるがままを観察し、分析するところで止めようとする。ユングは患者の持てるものを十全に発揮できるようにしたいと考えていた。患者への踏み込みがより強いと言えるのだろうか。両者の決別は必然だったのかもしれない。
カナダ人監督デヴィッド・クローネンバーグさん (David Cronenberg, 1943-) のインタビューによると、この映画のもう一つの要素として、台詞としても語られていたが、人種の問題があることがわかる。フロイトはユダヤ人だが、ユングは言ってみればアーリア人。当時のオーストリア・ハンガリー帝国ではユダヤ人が虐げられるということは少なかったようだが、かと言って社会の中心を占めるということもなかった。フロイトがユングを取り込もうとした背景には、自らの精神分析が社会的認知を受ける上で助けになるのではないかという思いもあったとみている。ユダヤ人で無神論者のクローネンバーグさんは、ユングよりはフロイトの立場にシンパシーを感じているようだ。
今のわたしから見ると、どちらが正しいのかわからない。二人の立場が可能だということを理解できるようになっているからだ。それぞれの進み方に意義を見出していると言ってもよいだろうか。そんな曖昧なところにいる。もう少しその中に入ってみなければ、それ以上のことは言えそうにない。
今のわたしから見ると、どちらが正しいのかわからない。二人の立場が可能だということを理解できるようになっているからだ。それぞれの進み方に意義を見出していると言ってもよいだろうか。そんな曖昧なところにいる。もう少しその中に入ってみなければ、それ以上のことは言えそうにない。
ところで、この映画のメイン・テーマはユングの女性関係である。1903年、裕福な家庭の出のエンマ・ラウシェンバッハと結婚。5人の子供を授かり、エンマが亡くなるまで夫婦関係は維持する。彼の人生にはこの他にも女性が登場する。今回の主人公である彼の患者だったザビーナ・シュピールライン。映画の最後で名前だけが出てくるトニ・ヴォルフ。ユングは一体どのような内的人生を歩んだのだろうか。これまでになく興味が湧いている。それとは別に、ヨーロッパのゆったりした空気とフロイトのシガー姿を味わっていた。
ユングさんが1914年から1930年にかけて書いたご自身の 「内なる大聖堂」 (cathédrale intérieure)とも言える「赤の書」が今年、フランスで翻訳された。この書は彼の死後厳重に保管されていたが、2年前にアメリカで出版され、その翌年には日本でも翻訳されている。格段にお高いが。
Amazon.com (The Red Book: Liber Novus, 2009; $112.21)
Amazon.co.jp (The Red Book, 2009; 15,693円)
Amazon.fr (Le Livre Rouge, 2011; Euro188,10)
創元社のサイト (「赤の書」、2010; 42,000円)
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科学的な観察と治療に止めようとするフロイトさんの立場と科学を超えて神秘主義にも興味を持ちながら、患者の生を十全に発揮させようとするユングさんの立場。自らの性向を比較してみると、ユンギアンの要素を否定できそうにない。より正確には、理性(科学的な思考)を徹底した上で、神秘の世界にも目を閉じないでいたいと思っているのではないだろうか。それが存在すると感じた時には科学で説明できないからと言って捨て去るのではなく、その先に行ってみたいと思っているようだ。そこにこの世界の豊かさが隠れているようにも見える。このような世界の観方は、科学主義に染まってしまうとなかなか採れないはずのものである。