vendredi 7 janvier 2011

杉田玄白著 「蘭學事始」 を読む

杉田玄白著 「蘭學事始
(昭和三十四年第一刷、昭和四十二年第十二刷、校註者緒方富雄)


おそらく、必読書のようなリストに挙がっていたのだろう。しかし、いつの間にか忘れてしまったようで、"must" に挙げられた途端にやる気が失せるというわが身の性質を見る思いだ。昨年日本の本棚で発見。こんなものまで読もうとしていた昔の存在に想いを馳せながら持ち帰った。そしてこの正月、40年以上経ってやっとのことで読むことになった。

読み始めてすぐ、登場する人物が非常に近く感じられ、予想以上の面白さに時が消える。ただ、もっと早く読んでいればよかったのに、という感情は湧いてこない。今がこの本を味わうのに最適の時だったのだろう。まさしく、パングロス博士の言だ。年月を経て何かに辿り着くというこの感覚に繋がるところがあった。

「さてその好き嗜むといふことはアーンテレッケン(註:ひきつける)といふなり。わが身通詞の家に生れ、幼よりそのことには馴れ居りながら、その辭(ことば)の意何の譯といふを知らず。年五十に及んでこの度の道中にてその意を始めて解し得たり」

やっとわかったということを口に出しているところに、思わずにんまりする。至るところで昔の日本人の感性に触れ、このにんまりがしばしば現れるのだ。人物評も吹き出してしまうほど面白いところがある。言ってみれば、彼らは今の私と似たような境遇。漢学は留学生などを送り蓄積があるのに対し、蘭学は全く訳のわからない異文化、異言語だ。その壁に接し、暗中模索、悪戦苦闘している。玄白翁がその人間の姿と心を素直に語られているところがいとをかし、なのである。フランス語を始めて1-2年の間、壁が前に立ちはだかり、どうしても向こう側が見えないもどかしさを感じていたことを思い出す。

例えば、玄白は自らをこう評価している。

「翁は元来疎漫にして不學なるゆゑ、かなりに蘭説を翻譯しても人のはやく理會し暁解するの益あるやうになすべき力なし。されども、人に託してはわが本意も通じがたく、やむことなく拙陋を顧みずして自ら書き綴れり」

そして興味を惹いたのは、前野良沢という人物。幼くして親を失うも伯父の宮田全沢に育てられ、愛すべき人物に成長している。少し長くなるが、、

「さて、翁が友備前中津候の醫官前野良澤といへるものあり。この人幼少にして孤となり、その伯父淀侯の醫師宮田全澤といふ人に養はれて成り立ちし男なり。この全澤、博學の人なりしが、天性奇人にて、萬事その好むところ常人に異なりしにより、その良澤を教育せしところもまた非常なりしとなり。その教へに、人といふ者は、世に廢(すた)れんと思ふ藝能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし、當時人のすててせぬことになりしをばこれをなして、世のために後にその事の殘るやうにすべしと教へられしよし。

いかさまその教へに違はず、この良澤といへる男も天然の奇士にてありしなり。専ら醫業を勵み東洞の流法を信じてその業を勤め、遊藝にても、世にすたりし一節載(ひとよぎり)を稽古してその秘曲を極め、またをかしきは、猿若狂言の會ありと聞きて、これも稽古に通ひしこともありたり。かくの如く奇を好む性なりしにより、青木君の門に入りて和蘭の横文字とその一二の國語をも習ひしなり」

中に、「業は本草家にて生れ得て理にさとく、敏才にしてよく時の人氣に叶ひし生れ」の浪人、平賀源内も登場し、その奇才ぶりが紹介されている。

自ら腑分けに立ち会った玄白は、和蘭との間に「千古の差がある」とオランダの医学書の正確さに驚いている。漢書の比ではなかったようだ。玄白翁がターヘルアナトミアの訳書「解体新書」の出版により罰せられるのではないかとの恐れを抱くところがある。「江毛談(おらんだばなし)」というアルファベット入りの書がなぜか絶版になるのを見ていたので、出版すべきかどうか迷うのだ。中世ヨーロッパとは比べものにならないだろうが、当時蘭学に対する厳しい目があったことを想像させる。しかし、「解体新書」は何ごともなく出版され、後年こんな回想をしている。

「過ぎこしかたを顧みるに、未だ新書の卒業に至らざるの前に、かの如く勉勵すること兩三年も過ぎしに、暫くその事體も辦ずるやうになるに随ひ、次第に蔗(さとうきび)を噉(か)むが如くにて、その甘味に喰ひつき、これにて千古の誤も解け、その筋たしかに辦へ得しことに至るの樂しく、會集の期日は、前日より夜の明くるを待ちかね、兒女子の祭見にゆくの心地せり」

サトウキビを先端から噛んで根に向かうと、次第に甘さが増してくるという。次第にものが見えてくる悦びが表れていて、微笑ましくもあり、肖りたくもあり。時は下るが、福沢諭吉が明治二十三年(1890年)に再版によせた序などは予想もしない光景に驚いたが、最早そういう気持ちになることなど想像もできない世に生きていることを改めて思い知らされる。

「就中明和八年三月五日蘭化先生の宅にて始めてターフェルアナトミアの書に打向ひ、艪舵なき船の大海に乗出せしが如く茫洋として寄る可きなく唯あきれにあきれて居たる迄なり云々以下の一段に至りては、我々は之を讀む毎に先人の苦心を察し、其剛勇に驚き、其誠意誠心に感じ、感極まりて泣かざるはなし」


読んで感じるのは、あくまでも日常の経験の中で目に見えるところを工夫しながら一つのまとまりをつけて行くというやり方が行われていて、哲学的な思索は見られない。以前に NHKの 「プロジェクトX」 という番組を見て感じたことと近いものがここにもある。それはあくまでも細部の工夫に拘り、背後にある原理を探ろうとする精神運動に向かわないという日本文化の特徴のようなものだろうか。そこに懐かしさを感じたのかもしれない。





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