dimanche 16 janvier 2011

ジャン・マリー・ブイスーさんによる日本の科学 La condition de la science au Japon selon M. Bouissou



先日、「問われる科学」とでも訳すべきこの本にざっと目を通した。昨年、11月に出たばかりの科学者、哲学者数名によるもの。この中に「日本における近代科学受容の問題点 ― 渡辺正雄さんの見方」(2010年10月27日)で触れた点に関連することが出ていたので振り返ってみたい。近代日本の専門家ジャン・マリー・ブイス―(Jean-Marie Bouissou)さんは日本における科学をこう見ている。

「日本と科学の歴史はトラウマの歴史である。1853年における日本の技術レベルは3世紀前と変わらなかった。例えば、蒸気機関はなかった。日本人はその技術は知っていたが、政府がすぐにその使用を禁止した。文字通り、歴史を止め、社会を停滞させた。しかし、アメリカ船の到来で、すべてが変わった。自らの技術の遅れに気付き、蒸気機関を持っていなかった僅か30年後には驚異的な発展を遂げた。そして1905年にはロシアとの海上戦を制することになり、その数十年後にはアメリカに空中戦を仕掛けることになる。これほどの技術の進歩を見せた国はどこにもなかった。

この点を指摘した上で、日本人が技術の模倣に務めたにもかかわらず、1945年までは科学の本質的なところには特に興味を示さなかった。しかし、広島、長崎の経験で日本は科学に負けたと考えるようになった。そして、ベビーブーマー世代は科学万能、日本復興の旗頭の下で育てられる。ここでは漫画などによる科学の普及も行われた。しかし、80年代にこれが覆る。科学で西欧に追い付いても名声も得られなければ、国際的な尊敬も幸福も手に入らなかったので、科学への熱狂が冷え、特に若者は科学から遠ざかることになる。学生の科学のレベルの国際比較にもそれが表れている。科学がそのオーラを失ったのである。それに気付いた政府はコミュニケーションに力を入れ、公開討論や重要な政策の宣伝に努めている」


これを読んで思い出したのは、昨年参加したアメリカ科学振興協会の総会での日本、中国、韓国の政府関係者の発表である。そこで感じたのは、もちろん国内的なコミュニケーションも大切だが、それ以上に外に向けてのコミュニケーションが重要になるのではないかということだ。そのやり方がいかにも稚拙というか内向きに見えたのである。つまり、西欧と同じレベルの論理構成で話をしたり、特に共通の意識でそこに参加しているという姿勢に乏しい印象を与えるのである。戦後半世紀以上経っても対外的なやり方はあまり進歩していない、あるいは外の視線に対する感度が弱く、外に対する対処法を戦略的に考えていないのではないか、という感想を持った。それは、今のままではいつまでも彼らの枠の外にいる存在としてしか見られない可能性が高いという危惧でもある。しかし同時に、日本はそもそもそんなことはどうでもよいと思っているのではないかという諦めに近い思いも巡っていた。それは科学政策の関係者に限らず、広く政治のレベルにも浸透しているような気がしている。


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