mardi 16 juin 2009
倫理と道徳
パリに来る直前の2007年夏、私の尊敬する先生からお手紙をいただいた。そこにはこれまでの研究を止めることは残念ではあるが、21世紀において重要になるであろう医学倫理について考えを深めようとする決断にエールを送りたいとのメッセージが書かれてあった。当時は倫理の問題について考えようという具体的な目標を持っていたわけではないが、こちらに来てからわが人生を振り返ったり、友人との語らいやこちらの大学での話を反芻するうちに、この問題は避けて通れないということを悟るようになってきた。この問題に哲学者が興味を示さないで一体誰が向かって行くのだろうかと思うようになってきた。という訳で、これから少しずつ調べながら考え始めることにしたい。
若い時から倫理や道徳と言われると、深く考えることもなく拒否反応を示していた。考えていなかったのである。良心にさえなまれることもあったが、その根源を考えようとする所には向かわず、そこから逃げていた。しかし、この問題は私のテーマでもある人間存在の根本に深く関わっている。逃げることはできないだろう。
医学の進歩により、これまでは考える必要のなかったことまで考えざるを得なくなり、生命倫理の問題として取り上げられるようになっている。例えば、臓器移植の領域では脳死の判定や最近では病気腎移植の是非が問題になった。人工授精や代理母の問題も出ている。遺伝子治療やクローンの問題もある。これらの基礎には生命をどのように捉えるのか、人生の意味をどこに置くのか、人間の尊厳とは一体どういうことを言うのかなどの哲学的な問が横たわっている。
さらに、倫理の問題は医学に限ったことではない。例えば、報道における倫理のあり方。情報を捻じ曲げて広めることに倫理的な問題はないのか。それをどのように判断し、修正していくのか。あるいは、どのようなやり方でも経済活動は許されるのか、という経済活動における倫理もある。スポーツにおける薬物使用の問題。教育における教師の倫理など、数え上げると限がない。つまり、倫理の問題を切り離して人間活動を考えることができないということになる。
この問題に入る前に、まず言葉の問題から調べてみたい。倫理は英語では "ethics"、フランス語では "éthique" と言われる。この語源はギリシャ語の "èthos" にある。古代ギリシャではこの言葉をいくつかの意味合いで使っていた。
第一には、ある動物種のこの世界における在り様を意味していた。魚は泳ぎ、鰓で呼吸し、鳥は飛び、さえずる、という具合に。この意味は、現在の生態学、動物行動学にあたる "ethology", "éthologie" の中に生きている。第二には、一人の人間が生物としてこの世にどのように存在しているのか、という意味合いがある。それからその人間がある時代、ある社会においてどのように振舞うのかという、社会の風習、習慣、法律などの下での人間の行動を意味していた。
現代的倫理を意味する "èthikè" は "èthos" の形容詞に相当し、アリストテレスが振る舞いに関する知識を意味する "èthikè théôria" という表現で最初に使っている。この知識に対する態度には大きく二つの方向性が考えられる。一つは、振る舞いの在り様を客観的に事実として調べ記載する方法で、現在科学が使う手法でもある。もう一つは、そこで観察されたことについての価値判断、善悪の判断を加え、ある条件下でどのような行動が望まれるかまで考えようとする態度があり得るだろう。
そこで倫理と道徳との関連になるが、両者の相違については専門家の間でも意見の一致を見ていないようである。この二つの概念は同じものとする人もいるようだが、すべての言葉はある特別な意味を表すために造られたと考えている者にとっては、そこには違いがあるはずだという立場に立ちたい。道徳の語源を調べてみると面白いことがわかってくる。古代ギリシャでは、個人、あるいは集団がある風習や習慣の下に如何に振舞うのかを意味していたが、ローマ時代にキケロが "èthos" をラテン語に訳す際にフランス語の "mœurs"(風習)に当たる "mos" という言葉を選び、その複数形 "mores" から "moralia" という言葉を新たに造った。すなわち、このモラリアという言葉が古代ギリシャの倫理 "èthikè" に当たり、現代における混乱はキケロの造語に由来すると言えそうである。
現代における道徳という言葉には倫理とは違った意味合いが含まれていると考える人がいる。彼らの考えでは、道徳には社会的規範、過去から引き継がれた伝統、さらには宗教的な価値観が含まれていて、固定的なニュアンスがある。それを拒絶するのも受け入れるのも個人に任されている。これに対して倫理という場合には、新しい時代に生まれた問題についてどのように対応するのか、という作り上げる道徳、現在進行形の道徳というニュアンスが含まれている。一つの宗教で支配されているような社会ではないので多様な考え方があり、そのために議論の対象として常にわれわれの目前にあるのが倫理ということになる。人種的にも宗教的にも文化的にも異なる人が共に生きていくためには、人間の在り方に関して共通する価値観を見出し、創り上げていくことが求められている。それが倫理に課せられた大きな仕事ということになる。まさに、人間存在に関する深い洞察が求められる仕事になるだろう。
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