samedi 26 décembre 2009

一口に科学者と言っても


先日、日本の学会で話した内容について何人かの方にコメントを求めた。その中のお一人、もう30年来の友人になる K 氏がコメントを送ってくれた。感謝。彼によると、科学者に哲学的心を求める考え方には賛成だが、身近の教授連中と話していると現実的には難しいところがあるとして、ピーター・メダワーのエッセイの一節が添えられていた。

"There is no such thing as a Scientific Mind. Scientists are people of very dissimilar temperaments doing different things in very different ways. Among scientist are collectors and compulsive tidiers-up; many are detectives by temperament and many are explorers; some are artists and others artisans. There are poets-scientists and philosopher-scientists and even a few mystics. …"
Peter Medawar: Hypothesis and Imagination

メダワーによると、科学者と言っても一種類ではなく、その心は多様である。例えば、多くが探究心を持っており、コレクターに始まり、哲学者、詩人、そして最後には神秘主義の傾向を持つ者さえ少ないがいる、と書かれている。確かに、現実を冷静に分析している。実際にその中にいる人間は、意識するか否かに関わらず、どれかを選択して歩んでいるはずである。

振り返ると、私の場合にはコレクターとは言えないが、見つかってきた一つひとつの事実をさらに深めようとする試みを続けてきたと言える。それで満足しながらやっていたようだ。しかし、その営みが終わりに近づくにつれ、何とも言えない不全感が訪れていた。その原因を探ると、何かを理解したという感覚がほとんどないことに行き着いた。そのことに気付いた時、全体を理解しようとする哲学の必要性に思い当たったのだ。現在の歩みは、科学全体の営みを見直す試みだとも言えるだろう。この試みが終わる頃、どのような感慨を持っているのだろうか。

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