3月29日(月)、保健省で開かれたコロックに参加した。WHOから生命倫理のための協力センターに指定されているエスパス・エティック (Espace Éthique/AP-HP) という組織ができて15年目を迎えるのを記念するコロックであった。WHOの協力センターは世界に5か所(内、ヨーロッパには2か所)ある。そのミッションは、保健の 倫理原則の作成に貢献する、能力開発の活動を行う、専門家の協力体制を作る、保健の倫理の領域におけるプロジェクトに協力するとなっている。午前のテーマ は、今日の倫理の枠組み、倫理への関与について、午後は保健衛生の具体的な危機における倫理からのアプローチになっていた。午前中だけの参加となったが、その印象を簡単にまとめてみたい。
コロックは保健省大臣のロズリン・バシュロー・ナルカンさん(写真中央)の挨拶で始まった。司会者のエスパス・エティックの代表者エ マニュエル・ヒルシュさん(パリ第11大学)(写真左)が、彼女の政治家としての信条やこれまで如何にこの分野に理解を示してきたかについて、エスパス・ エティックの歴史に照らしながら淡々と紹介していた。バシュロー大臣は一語一語噛みしめるように話していた。静かに広がりを見せるその世界には、倫理とい うテーマのせいなのか、あるいはフランスというお国柄なのか、哲学的な香りが流れていた。
聞こえてきた鍵になると思われる言葉は、倫理と 責任、共有する価値、正義、不公正に対する戦い、不足に対しての行動、末端から中心へ、専門家を超えて、倫理法の再検討、開かれた精神と討論、科学的真 理、厳密な省察、倫理の低下の拒否、主権国家フランス、国際基準と国際的な省察など。国のミッションは、最良の医療を提供すること。そのためには、主権国 家ではあるが、医療(治療と研究)に関しては国際的な規準に合わせなければならない。その上で倫理的視点を維持していくことが重要であると結んでいた。政治家の微笑みだけとは思えない素敵な笑顔を見せながら、« Je vous souhaite une fructueuse journée. » (実り多い一日になりますように!) という言葉を残して会場を後にしていた。
それから8人の方が自らの考えを発表した。以下順不同で。
倫理は哲学の領域に入るが、あくまでも実践と深く結び付いている。bioéthiqueという言葉は1970年にアメリカのがん研究者だった Van Rensselaer Potter (1911–2001) が初めて使ったとされることが多いが、実は1927年にドイツの神学者Fritz Jahrによってカントの道徳的視点を動物にまで敷衍する形で使われている。
WHOの方の発表によると、世界では未だに医療行為の30%はその内容がはっきり記載されていないという。このことは、今後有効な治療をすることはもちろんだが、それと同時に倫理的にそれが正しいのかを考えることが重要になるだろう。その意味するところを考えるヒントがいろいろなところに転がっていた。
遺伝学の専門家は医療のミッションをこう説明していた。第一に、現在の最高の医療を提供すること。この場合の「提供」だが、一方向の行為ではなく、一緒に働く (travailler ensemble) と捉えるべきもの。第二には、医学を前に進めるイノベーションをすること。治療とイノベーションを念頭に置きながら、看護・治療、研究、教育を一体のものにすることが求められる。この二つのミッションについては多くの方が指摘していたが、当然の目標になるだろう。
そのための教育は、まず学問的知識を吸収すること、どのように人に接するのかを学ぶこと、それから現場から一歩引いて考え、瞑想する機会を持つセミナーを取り入れること、さらに質問に答えるだけではなく、ある状況に対して質問を考え出すことを取り入れ、この両者を絡ませることなどが提唱されていた。
倫理というと過去に眠っている古臭いものと考えられがちだが、実際にはわれわれの生活のあらゆるところの中心にあるアクチュエルなものである。会場から、倫理的な問いかけの中で日常の医療に携わるのが理想だろうが、実際には忙しくそのような時間がなく困っているという質問が出ていた。これに対しては、こう答えていた。倫理を常時頭に入れて行動するのは不可能だろう。ある間隔をおいて、一度引き下がって内省の時間を持つことはできるのではないだろうか。その時に倫理的な修養が生きてくるはずである。
不安という概念や災害という人生の事件に対する時大切になるのが、日常的な意志になる。赤十字は戦争という状況の中で倫理に目覚めたアンリ・デュナンにより始められ、国境なき医師団もその延長線上にある。倫理で重要になるのは、自由な選択と情報を与えられたうえでの選択。一つの方向性を見出すには公開討論という場を活用することが重要になる。そこでは医学、科学、法学、経済、、など領域を超えた出会いがあり、一つの問題を一緒に考えることにより、最終的には新しいものの見方が生まれる可能性がある。そうなるように、この場を運営しなければならない。このような学際的な交わりについては多くの人が取り上げていた。倫理の性格を考えると避けられないキーワードになるだろう。
ただ、アメリカの大学で働いた経験のある方は、フランスの大学は規律が厳格 (disciplinaire)なので、multi-disciplinaire になりにくい特徴があるとやや皮肉を込めて指摘している方がいた。私自身は、現在領域を跨ぐようなプログラムにいるせいか、この点には必ずしも同意できなかったが、アメリカとの比較で言えば、やはりダイナミズムは落ちるのかもしれない。
倫理的な資質として重要な点について、マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)から3つの要素が引用されていた。
1) 内的生活 (la vie intérieure)
2) 他人の内面を想像しようとする共感 (l'empathie)
3) 科学的知識などの外的世界(l'extérieur)
このことに関連して、連帯感 (solidarité) という言葉も出ていた。
災害の場合には、被害を受けやすい人がいる。それは身体的な条件だけではなく、むしろ社会的・経済的要因によることが多い。この要因を考慮に入れた対応が求められる。予防原則 (principe de précaution) も念頭に置く必要がある。
行政の課題として、分散している保健と研究担当の省をまとめること、同様にいくつかの組織が出している生命科学・医学の研究費を一か所に統合すること、その上で研究責任者に対しては成果に応じた対応がされることなどが出ていた。現在、大学はアメリカ流に学長に権限を集中した自立した組織になったので、大学の運命は各大学に任されている。どのような人をリクルートしようが、どのような報酬を払おうが自由になったのだ。このシステムを通じて世界的な大学になることが求められている。病院も大学と結びついた研究病院にして、イノベーションを高めなければない。
これらの外的条件の整備とともに、あるいはその前に重要になるのは、科学知をもとにした共感や瞑想という個人の内的生活の充実になるのではないだろうか。
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