lundi 29 juin 2009

ロブ・リーメン 「精神の高貴さ」  Rob Riemen " La noblesse de l'esprit : Un idéal oublié "



5 月の散策の折、写真の本に出会った。オランダ語からの訳本で、そのタイトルに惹かれたことは言うまでもない。それ以来、その辺りに置かれていた本になる。 こちらに来てからの傾向として、その時の心象風景を記憶するために本を買うようなところがある。精神のスナップ・ショットをするような感覚と以前に書いたかも知れない。したがって、本は溜まる一方で、いつ手に取るのかわからない。この本は、昨日読んでいた谷口ジローの本を置いた下の方に目をやった時に飛び込んできた。

日曜の朝、いつもの強い光をバルコンで浴びながら目を通す。朝の強い光を浴びた紫煙を眺めなfがら。余談だが、一日の内で一番魅力的な紫の色は朝に見られることがわかってきた。強い朝日の中でその色に芯ができ、紫が美しさを増すようだ。

今朝はこの本のプレリュード "Un dîner au River Café" 「リヴァ―・カフェでのディナー」 を読む。リヴァ―・カフェ (The River Cafe) はニューヨークのブルックリン・ブリッジたもとにあり、マンハッタンを望むことができる。しかし、その内容は観光気分を誘うものとは程遠い。人生での大きな出来事は計画されたものではなく、上から落ちてくる。

2001年11月、トマス・マンを専門にしている著者のリーメンさんは悪についての会議のためアメリカを訪れる。専門家との会合のほかに、リヴァ―・カフェでのディナーが加わっていた。それはエリザベート・マン・ボルジェーゼ (Elisabeth Mann Borgese, Munich, April 24, 1918 – St. Moritz, February 8, 2002) さんとのランデブー。名前を見てもピンとこないかもしれないが、作家トマス・マンの末娘で、1918年ミュンヘン生まれ。両親に連れられ1933年にスイスへ、そして38年にはアメリカへ渡る。翌年には36歳年上のアンチ・ファシストのイタリア人作家ジョゼッペ・アントニオ・ボルジェーゼ (Giuseppe Antonio Borgese, 1882–1952) さんと結婚。戦後は世界平和を目指した運動に携わるが、夫の死後はより現実的に環境を対象にした運動を進める。

彼女はその他にも20世紀を代表する人たちと交友を深めている。例えば、ウラジミール・ホロヴィッツ、ブルーノ・ワルター、アインシュタイン、ジャワハルラール・ネルー、インディラ・ガンディ、W・H・オーデンなど。2001年には彼女は80歳を越えていたが、カナダのノヴァスコシア州ハリファックスにあるダルハウジー大学政治学部教授として国際法を教えていた。1999年にオランダに彼女を招待したのを機に交流が始まり、2001年6月にはその半年後にアメリカで会う約束をする。11月7日(水曜日)午後7時半、リバー・カフェで。

しかし、予想もしないことは常に起こるものである。その年の9月11日にワールド・トレード・センターに飛行機が突っ込んだ。それからその日、もう一人が加わることになった。ジョーゼフ・グッドマンという方で、若き日にカーティス音楽院でイザベル・ヴェンゲロヴァ (Isabelle Vengerova) の教えを受けた仲間であり、後でわかったらしいが、彼女と同じ船でニューヨークに辿り着いた縁があるという。1960年代の終わりに彼が店主をしているニューヨークの本屋さんで偶然再会する。ピアノは止めていたが、本を愛し、作曲を始めていた。特にウォルト・ホイットマンがお気に入り。1978年4月に彼から手紙を受け取る。そこには彼女のために作曲されたウォルト・ホイットマンの詩による曲と出生証明書が同封され、現在のところ娘は順調、人生で初めての平穏と幸福の中にいる、との言葉が添えられていた。しかし、その10年後、娘が感染症で亡くなったとの連絡が入る。同時に、離婚とチック症が彼を襲う。

カフェでは、ジョーが自由の女神 "la femme puissante" やアメリカ礼賛をするが、すでにカナダ人になっているエリザベートは必ずしも同意しない。西洋、特にアメリカは自らの持つ価値を欺瞞と言ってもよいくらいに裏切っている。資本主義には破壊する力があり、さらには退廃をも生み出すと見ている。1933年3月のことは決して忘れないという。スイスでの2週間の ヴァカンスの後ミュンヘンに帰ってみると、先生の言うことが180度変わっていた。ナチの信奉者になっていたからだ。15歳だったが、われわれの中にある悪を見てしまったのだ。

著者のリーメン氏は、彼女の意見に同意するが、一体何をすべきなのかと問いかける。その問に対して答えがあると言って、ジョーは表紙にこう書かれた楽譜を出した。




これが見せたかったものだと言う。「草の葉」 にあるニューヨーク、自由、民主主義、アメリカ、詩への賛歌をもとに作られている。なぜこのテーマを選んだのかとの著者の問に、精神の高貴さこそ至高の理想だからとジョーは答える。それこそ真の自由の実現を意味するからだと答える。その精神が底になければ民主主義も自由な社会もあり得ない。「草の葉」 は、人生は真、善、美、愛、自由を探究する旅なのだという深い確信に基づいている。そこにこそ、精神を耕すことによって人間的になる術がある。人間の尊厳を体現すること、それが精神の高貴さの意味するところである。

リヴァ―・カフェでのディナーから丁度2ヶ月後の2002年1月6日に ジョーは心筋梗塞で亡くなる。彼は自らの作品を破棄していた。エリザベートは父が言っていた仕事をするために必要になる忍耐と執拗さが彼にはなかったのだと考える。自分の目に適うもの以外はこの世に残しておきたくなかったのではないかと考える。そして、ジョーの遺志を継ぐようにリーメン氏に勧める。音楽はわからない上、ホイットマンも読んだことがないので躊躇すると、彼女は自分のやり方で彼の言う精神の高貴さを求めればよいと伝える。

その僅かひと月後の2002年2月8日、エリザベートが若き日にピアニストになることを夢に見、両親が最後の時を過ごした国で亡くなる。彼は自宅の書斎でゲーテの 「詩と真実」 を手に取り、自国のユダヤ人哲学者スピノザがこの文豪に心の安らぎを呼び起こしていたことを知る。そして、ジョーの言う "la femme puissante" はこの哲学者の娘であること、ジョーの遺志を継ぐのはニューヨークでもドイツでもスイスでもなく、オランダであることを悟ることになる。リーメン氏は、2001年11月7日(水曜日)午後7時半、リバー・カフェでの出会いの意味を噛みしめていたことであろう。

――スピノザについてはこちらから――

24 歳でユダヤ人社会から追放され、その後の人生を真理の探究に費やしたスピノザ。彼は、人生のすべての日常の出来事は虚しく無意味 (vain et futile) であることを知ってしまった。彼の世界は富と名誉と快楽で動いている社会とは相容れないものであった。なぜなら、この社会には真の魂の平安も幸福もないこ と、善き生き方、真理とは何かを探ろうとする精神の運動なくして、永続的な平安も悦びも得られないことを知ったからである。同時に、真理と自由とは分かち 難く結び付いていることも理解していた。異端を嫌悪し、暗愚主義を貫く伝統の力が強い中では、人は自由に考えることができないのだ。時の王子が金と名誉と権力をちらつかせながら大学に誘った時も彼は丁重に、しかし断固として断っている。真の思索には独立が必要で、金や権力はその自由を縛る以外の何ものでもないことを知っていたのだ。自由の真髄とは人間の尊厳以外の何ものでもないことを知っていたのだ。そして、こう書いている。

"Sed omnia praeclara tam difficilia, quam rara sunt."
(Mais tout ce qui est excellent est aussi difficile que rare.)

「しかし、すべての優れたものは、稀であると同時に難しいものである」

Le salut に至る道は至難の道なのである。これがスピノザがゲーテに教えた真の自由であり、それをこの詩聖は精神の高貴さと名付けたのだ。


ところで、ゲーテの 「詩と真実」 を紐解いている時、この言葉に出会った。

―― 若き日の願いは年老いてのち豊かにみたされる ――


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アマゾンによると、英訳は9月に出るようである。

"Nobility of Spirit: A Forgotten Ideal"
(Yale U Press)




jeudi 18 juin 2009

発展のための生物学 "Une biologie pour le développement" de François Gros




昨年2月にあったコロック 「生命を定義する」 の開会講演を行ったフランソワ・グロさんの本が出ていた。

この本の骨子が講演になっていたようである

22世紀を見据えた時、今世紀の生物学はどのように歩まなければならないのか

その問題を省察するヒントがあるかもしれない

生物学をどれだけ広いところと結びつけて考えることができるのか、それが鍵になりそうである




mardi 16 juin 2009

倫理と道徳



パリに来る直前の2007年夏、私の尊敬する先生からお手紙をいただいた。そこにはこれまでの研究を止めることは残念ではあるが、21世紀において重要になるであろう医学倫理について考えを深めようとする決断にエールを送りたいとのメッセージが書かれてあった。当時は倫理の問題について考えようという具体的な目標を持っていたわけではないが、こちらに来てからわが人生を振り返ったり、友人との語らいやこちらの大学での話を反芻するうちに、この問題は避けて通れないということを悟るようになってきた。この問題に哲学者が興味を示さないで一体誰が向かって行くのだろうかと思うようになってきた。という訳で、これから少しずつ調べながら考え始めることにしたい。

若い時から倫理や道徳と言われると、深く考えることもなく拒否反応を示していた。考えていなかったのである。良心にさえなまれることもあったが、その根源を考えようとする所には向かわず、そこから逃げていた。しかし、この問題は私のテーマでもある人間存在の根本に深く関わっている。逃げることはできないだろう。

医学の進歩により、これまでは考える必要のなかったことまで考えざるを得なくなり、生命倫理の問題として取り上げられるようになっている。例えば、臓器移植の領域では脳死の判定や最近では病気腎移植の是非が問題になった。人工授精や代理母の問題も出ている。遺伝子治療やクローンの問題もある。これらの基礎には生命をどのように捉えるのか、人生の意味をどこに置くのか、人間の尊厳とは一体どういうことを言うのかなどの哲学的な問が横たわっている。

さらに、倫理の問題は医学に限ったことではない。例えば、報道における倫理のあり方。情報を捻じ曲げて広めることに倫理的な問題はないのか。それをどのように判断し、修正していくのか。あるいは、どのようなやり方でも経済活動は許されるのか、という経済活動における倫理もある。スポーツにおける薬物使用の問題。教育における教師の倫理など、数え上げると限がない。つまり、倫理の問題を切り離して人間活動を考えることができないということになる。

この問題に入る前に、まず言葉の問題から調べてみたい。倫理は英語では "ethics"、フランス語では "éthique" と言われる。この語源はギリシャ語の "èthos" にある。古代ギリシャではこの言葉をいくつかの意味合いで使っていた。

第一には、ある動物種のこの世界における在り様を意味していた。魚は泳ぎ、鰓で呼吸し、鳥は飛び、さえずる、という具合に。この意味は、現在の生態学、動物行動学にあたる "ethology", "éthologie" の中に生きている。第二には、一人の人間が生物としてこの世にどのように存在しているのか、という意味合いがある。それからその人間がある時代、ある社会においてどのように振舞うのかという、社会の風習、習慣、法律などの下での人間の行動を意味していた。

現代的倫理を意味する "èthikè" は "èthos" の形容詞に相当し、アリストテレスが振る舞いに関する知識を意味する "èthikè théôria" という表現で最初に使っている。この知識に対する態度には大きく二つの方向性が考えられる。一つは、振る舞いの在り様を客観的に事実として調べ記載する方法で、現在科学が使う手法でもある。もう一つは、そこで観察されたことについての価値判断、善悪の判断を加え、ある条件下でどのような行動が望まれるかまで考えようとする態度があり得るだろう。

そこで倫理と道徳との関連になるが、両者の相違については専門家の間でも意見の一致を見ていないようである。この二つの概念は同じものとする人もいるようだが、すべての言葉はある特別な意味を表すために造られたと考えている者にとっては、そこには違いがあるはずだという立場に立ちたい。道徳の語源を調べてみると面白いことがわかってくる。古代ギリシャでは、個人、あるいは集団がある風習や習慣の下に如何に振舞うのかを意味していたが、ローマ時代にキケロが "èthos" をラテン語に訳す際にフランス語の "mœurs"(風習)に当たる "mos" という言葉を選び、その複数形 "mores" から "moralia" という言葉を新たに造った。すなわち、このモラリアという言葉が古代ギリシャの倫理 "èthikè" に当たり、現代における混乱はキケロの造語に由来すると言えそうである。

現代における道徳という言葉には倫理とは違った意味合いが含まれていると考える人がいる。彼らの考えでは、道徳には社会的規範、過去から引き継がれた伝統、さらには宗教的な価値観が含まれていて、固定的なニュアンスがある。それを拒絶するのも受け入れるのも個人に任されている。これに対して倫理という場合には、新しい時代に生まれた問題についてどのように対応するのか、という作り上げる道徳、現在進行形の道徳というニュアンスが含まれている。一つの宗教で支配されているような社会ではないので多様な考え方があり、そのために議論の対象として常にわれわれの目前にあるのが倫理ということになる。人種的にも宗教的にも文化的にも異なる人が共に生きていくためには、人間の在り方に関して共通する価値観を見出し、創り上げていくことが求められている。それが倫理に課せられた大きな仕事ということになる。まさに、人間存在に関する深い洞察が求められる仕事になるだろう。



lundi 15 juin 2009

インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 36

世界の状況
6月15日、GMT 17:00現在
WHO report


世界の76国で35,928例、死亡163例 ← 66国で19,273例、死亡117例 (6月3日)

Japan (605) ← (385)

USA (17,855; 死亡45) ← (10,053; 死亡17)
Centers for Disease Control and Prevention (CDC)
Mexico (6,241; 死亡108) ← (5,029; 死亡97)
Canada (2,978; 死亡4) ← (1,530; 死亡2)
Costa Rica (104; 死亡1) ← (50; 死亡1)

Chile (1,694; 死亡2)
Columbia (42; 死亡1)
Dominican Republic (93; 死亡1)
Guatemala (119; 死亡1)

mardi 2 juin 2009

ジョージ・C・ウィリアムズという進化学者、あるいは統合への精神運動 George C. Williams, ou l'esprit synthétique


George Christopher Williams
(b. May 12, 1926)


最近、ナイルズ・エルドレッジ (Niles Eldredge, b. 1943) がこの方について語っているのを読む機会があった。エルドレッジは1972年にスティーヴン・ジェイ・グールド (Stephen Jay Gould, 1941-2002) とともに進化は漸進的に進むのではなく変化のない平衡状態に挟まれるようにしてある急激な変化の時期を経て起こるものとする断続平衡説 (Punctuated equilibrium; Équilibre ponctué) を提唱した古生物学者である。

エルドレッジ氏の話によると、イギリスの進化遺伝学者のジョン・メイナード・スミス (John Maynard Smith, 1920–2004) がウィリアムズがアメリカの科学アカデミー会員にもなっていないことに驚きを持っていたという(1993年には会員になったが)。エルドレッジ氏自身が1980年代にウィリアムズを訪ねた時には研究費が当たらないことを嘆いていて、信じられない思いを抱いたという。進化がグループにではなく個人、さらにはその遺伝子に対する選択を介して行われるという考えの持ち主で、リチャード・ドーキンス (Richard Dawkins, b. 1941) にも大きな影響を与え、性選択や老化に関しても重要な仕事をし、進化医学の理論的基盤も築いている。このように進化生物学に大きな足跡を残したウィリアムズへの評価の低さは驚くべきであるとしている。彼は照れ屋ではあるが、細心の注意をもって深く思索する人間であると正当に評価している。

これを読んだ時、いろいろな思いが巡っていた。これは私がアメリカにいた時のことになるが、彼が研究生活を送っているストーニー・ブルックには就職先の一つとしてインタビューに行ったことがあり、親しみとともに懐かしさが蘇っていた。それから生物学分野での理論的な仕事に対する評価の低さはアメリカでもあるのか、という思いが湧いていた。生物学と言えば実利に結びつく成果が求められ、それ故にそのような仕事がまず評価されるのは洋の東西を問わないのかも知れない。これに関連して思い出すのは、免疫応答の理論的基盤になっている "two-signal model" を1970年に提唱し、それを今も改変し続けているメルヴィン・コーン氏 (Melvin Cohn, b. 1922) が理論的な仕事に対する理解が低いことを漏らしていたことである。これらのことを目の前にして、統合に向かう精神運動に対する評価を考え直さなければならないのではないか、と考えていた。


lundi 1 juin 2009

ラマルク主義についてのワークショップがテルアビブ大学で


The Twenty-Third Annual International Workshop on
the History and Philosophy of Science

"Transformations of Lamarckism: 200 Years to the Philosophie Zoologique" (Sunday-Wednesday, June 7-10, 2009)

Organizer:
The Cohn Institute Tel Aviv University
The Edelstein Center
The Hebrew University of Jerusalem
The Van Leer Institute of Jerusalem


プログラムはこちらから。