dimanche 28 novembre 2010

記号学の現状を聴く La sémiotique : un état des lieux



La sémiotique : un état des lieux
Entretien avec Paul BOUISSAC

記号学の現状について、トロント大学ポール・ブイサックさんの意見を聴く。
2005年11月のインタビューになる。


samedi 27 novembre 2010

篠遠喜人著 『十五人の生物學者』 を読む ― 戦前の科学の雰囲気を垣間見る


篠遠喜人著 『十五人の生物學者』 (河出書房、昭和十六年七月、1圓20錢)


日本の実家の本棚から失礼してきたこの本に目を通す。
ここで取り上げられている科学者は、本書の表記で以下の15人になる。

 ヒッポクラテス (紀元前460―377)
 アリストテレス (紀元前384―322)
 テオフラストス (紀元前371―287)
 ディオスコリデス (40―90)
 アルドロヴァンディ (1522―1605)
 ヴェザリウス (1514―1564)
 ハーヴィー (1578―1659)
 リンネ (1707―1778)
 小野蘭山 (1729―1810)
 宇田川榕菴 (1798―1846)
 ラマルク (1744―1829)
 ブラウン (1773-1858)
 ダーウィン (1809―1882)
 メンデル (1822-1884)
 ベイツソン (1861―1926)


この中にハッとする小さな記述が見つかった。

「メンデルは先生としては最も適任で、明朗快活で進歩的であつた。今言うところの科學精神のよくわかった人であつたらしい」

この本が出版されたのは昭和16年だが、当時「科學精神」なるものが論じられていたことを知り驚く。また、科学史に対する関心の高さを示すところがあり驚く。同時に、それが時代の空気に浮かれている可能性がないか心配もしている。現在の状況を把握しているわけではないので比較はできないが、興味深く読んだ。

「わが國における科學史の研究の熱はこのごろ非常に高まり、科學史の名をもつ本があとからあとからと生れる。これはわが國の科學の發達にとつてまことにけつこうなことである。どうかこれが、單なるうわべの熱でなく、ほんとの科學史の研究が日本においても進むことを願うのである。新しい科學史の要求するものの一つは、それぞれの學問をうんだ歴史的な社會的な環境を分析し、そこにあるいろいろな條件の互のつらなりをさぐり、發見發明の基礎、理論發展の過程と限界とを理解することである。ダーウィンはそうした立場からも研究され、人文發達史上の代表者とされて居るのである」


mercredi 24 novembre 2010

Yair Neuman著 "Reviving the Living" を読む (2)

 

プロローグ

1.ここで扱われる知は、生物学や意味論の他に、免疫学、哲学、物理学、数学などの幅広い領域に及ぶ。この本が想定している読者は、専門家というよりは生物系に対する新しいアプローチを受容しようとする教養ある読者である。

2.この本のスタイルは、インフォーマルで省察や瞑想を取り入れ、時に挑発的でもある。所謂、学問的な論文とは異なり、思索を刺激し、楽しみながら読めるようにしている。

3.人文科学の伝統は、過去の学者の考えを研究することに明け暮れるもので、一種の死体愛(necrophilia)である。もちろん、過去の研究は重要な営 みではあるが、退屈なもので、科学が哲学なしに発展した理由にもなっている。科学が前を向いているのに対し、哲学は後ろを向いている。一つの原因は「対 話」だが、解は死体からは得られない。スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek,1949-) が言ったように、偉大な哲学者は対話ではなく、この世界について独自の見方を提出することに興味を示す。ソクラテスはアゴラに出て、生きた人間から現在の 問題についての解を得ようとした。哲学の研究を過去の分析にするのではなく、今ここにある問題に対峙して、前に向けた視点を提示することに充てるべきだと 考えている。

4. 学際性は評判が悪いことがある。それは異なる分野の成果を摘み取りしてごった煮にする例があるからだ。残念ながら、膨大な知を持った人間だが、昔よりも脳 機能が進化したり、道徳的行動が増えることはないように見える。われわれの脳が増大する情報に対応できなくなっているのである。そのため、どんどん小さな 領域に入り込み、全体としてのシステムという視点が失われることになる。

例えば、全身麻酔時に無意識に感じる痛みは免疫系を介するという仮説を出したことがあるが、麻酔医は免疫学の論文は読まないし、免疫学者も麻酔学には興味を 持っていない。そのため興味深い仮説も注目を集めることがない。他の例として、術後に見られる腸癒着がある。この現象の解決にも多様な視点が必要になる。 ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski, 1941-1996)氏は、有能な監督になるためには心理分析、神学、哲学などの他、人間の経験を理解するために必要となる分野について学ばなければなら ないと言っている。これらについて無知なわれわれに残されたものは、直観だけなのだろうか。

ベルグソンは『思想と動くもの』の中で、直観についてこう言っている。
「絶 対的なものは直観によってしか与えられないが、それ以外のものは分析による。ここで直観というのは、対象の中にある特異で、それ故表現し得ないものと一致 するためにその中に入り込む共感のことである。反対に、分析とは対象をすでに分かっている要素へと還元する操作のことである」
分析的手法や還元主義を用いる科学は、直観とは対極にあることがわかる。しかし、科学においても直観の果たす役割は否定できない。それではどのようにして全 体の感触を得ることができるのか。一つは鳥の目を以って全体を見渡すために、ノマドのように異なる領域を歩き回ることの重要性を認識することである。これ はわたしの発見ではなく、フラクタルの父といわれるブノワ・マンデルブロ(Benoît Mandelbrot, 1924-2010)博士が言っていることでもある。
「確立された学問の知的繁栄には、好き好んでノマドになった稀な学者が必須になる」
その代表例として、グレゴリー・ベートソン(Gregory Bateson, 1904-1980)を挙げることができるだろう。

5.人間は習慣の動物である。習慣は新しい出来事を古い眼鏡で見る危険性を内包している。この本では情報処理の視点から生物学に迫る時に無視しがちな意味についての論を展開している。さらに、生物をチューリングマシンとして見て、相互作用を無視する考え方を批判している。つまり、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928-)、アラン・チューリング(Alan Turing, 1912-1954)、クロード・シャノン(Claude Shannon, 1916-2001)、フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)等を批判し、ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin, 1895-1975)、ベートソン、ヴァレンティン・ヴォロシノフ(Valentin Voloshinov, 1895–1936)、ジャン・ピアジェ(Jean Piaget, 1896-1980)、カール・ポランニー(Karl Polanyi, 1886-1964)、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)などの伝統を引き継ぐことになる。これらの学者は生気論の信奉者ではなく、ここでも新生気論を排除する。生物の階層の間に生まれる意 味の形成を重視する。そのため、polysemy、dual coding、boundary conditions、 transgradience、mesoscopic などの新語を導入する。どうか、既存の眼鏡では見ないようにお願いしたい。

6. 本書の構成。第1部では還元主義とその限界について、遺伝学と免疫学を例に論じる。第2部は意味の形成について、言語研究の3分野(syntax、 semantics、pragmatics)を関連付けて論じる。第3部では意味の形成を根源的な視点から論じる。第4部と結論部では高度に抽象的で詩的 な視点から意味の形成について省察する。

7.Cat-logues の部分は、想像の猫バンバとの会話で、この本のテーマをユーモラスで批判的に省察するためのものである。 




mardi 23 novembre 2010

Yair Neuman著 "Reviving the Living" を読む (1)



生物意味論(biosemiotics)について読んでいる時に免疫系についても触れている本として現れた。本の説明によると、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980)、ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin, 1895-1975)、マイケル・ポランニー(Michael Polanyi, 1891-1976)らの系列に入る仕事になるという。著者が嫌っている一つの専門に閉じ籠った仕事ではなく、シリーズの名前にもあるように異なる領域を 跨ぐ思考を行い、生物系における意味の形成について論じたいようだ。それは二つの極のバランスを如何に取るのかという論理に絡んでくる。秩序と不秩序、過 去と現在、抽象と具象、静的と動的の間にある論理である。

緒言では、現在行われている還元主義に基づく生物系の理解の仕方に対する不満が述べられている。もちろん、生物学や言語学における進歩を否定するものではな いが、生物は細胞の寄せ集めではない。全体は部分の相互作用だけではなく、環境との相互作用によりそこにある。言語はそれを使う人から成るコミュニティが なければ存在しないように、遺伝子も単独で取り出してしまうと意味を失う。コンテクストが重要になるのだ。その語源はラテン語の contexere で、編み合わせるという意味である。コンテクストを理解すること、それは「もの・こと」が織り合わされネットワークを作る様を理解することである。この本の目的は、遺伝子中心の還元主義の下で死んでしまった生物を蘇らせることである。

そのために取るべき道はあるのだろうか。それは非科学的なところに逃げ込むのではなく、複雑科学へ進むのでもない。新しい道へのヒントをバフチンの次の言葉から得ている。
「構成部分が外的な繋がりで時空間において単に結合しているだけで、統一された内的意味を持たない時、一つの全体は機械的であるという」
つまり、生物のような機械的でないものは、必然的に一つの意味を創り出すものであることを意味している。生物の全体を理解しようとする時、「意味」は鍵になる概念なのだろうか。 この疑問に肯定的に答えようとするのが本書である。

これまで次のような仕事はされているが、この本で扱うような意味での「意味」は主要なテーマにはなっていない。

Jesper Hoffmeyer, Signs of Meaning in the Universe (1997)
Anton Markos, Readers of the Book of Life (2002)
Marcello Barbieri, The Organic Codes (2003)

そして、「意味」は科学から完全に排除されている。現代生物学において中心的な位置を占めるのは遺伝子と情報になるが、クロード・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916-2001)の情報理論からも「意味」は排除されている。

本書では、遺伝学、免疫システム、自然言語を例に取り、生物系は意味を創り出すシステムであることとその視点の有用性について論じるという。これから読み進めてみたい。




lundi 22 novembre 2010

チャード・ルウォンティン 「三重らせん」 を読む "Triple Helix" by Richard Lewontin



今年の春に読んだこの本を振り返ってみたい。 Richard Lewontin の "The Triple Helix" 「三重らせん」を振り返ってみたい。著者のチャード・ルウォンティンさんスティーヴン・ジェイ・グールドさんと共著で 「サンマルコ大聖堂のスパンドレルとパングロス風パラダイム:適応主義者のプログラムの批判」(Proc. R. Soc. Lond. B 205, 581-598, 1979) という進化生物学の有名な論文を書いている。この論文は適応主義万能の考えを徹底的に批判したもので、この世界は可能な限りの最善な状態にあると言い張る善良なパングロス博士(ヴォルテールのカンディードに出てくる)の論理の批判とも通じるため、論文のタイトルに使われている。

パングロスの立場は、鼻は眼鏡をするために、足はズボンをはくためにあるだと考えるもので、適応主義者は今あるものすべてに本来の役割があるはずだと考える。しかし、ルウォンティンさんはベニスにあるサンマルコ大聖堂の穹隅を例に取り、穹隅は丸天井を造る時にアーチにより結ばれる柱の上にできるもので、それ自体に本来の役割があるわけではないのと同様に、すべてのものに本来の役割があると考える立場を批判した。

ところで、 「三重らせん」 では遺伝子、生物、環境のそれぞれの関連がテーマになっている。生物のあり様は遺伝子だけではなく、その環境により決められている。同様に、それまで独立してあると考えられていた環境も、その中に存在する生物の影響を受けていることなどが書かれてある。細胞や臓器、ひいては生物の個体を決めているのは生まれつき持っている遺伝子だとする遺伝子絶対主義があるが、後天的に環境の変化により遺伝子が化学的修飾を受けることによっても生物のあり様が変化する。このエピジェネティクスと言われる機構の関与が強調されている。少し幅広く生物現象を見ようとする視点がそこにある。

17世紀に起源を持つ還元主義の成功を未だに引き摺っている現代科学だが、その成果から考えると致し方ないところもある。ここでは個々の部分に分けて解析するが、部分と言うからにはそれを取りだした全体があるはずである。そこで問題になるのが、どのレベルをそれぞれの全体にするのかという点になる。その選び方により、全体像が変わってくる可能性がある。そもそも全体に分割可能な線が引かれているわけではない。例えば、臓器別に考える場合でも臓器間には目には見えない繋がりがあるはずである。この問題は生物だけではなく、学問をどう見るのかを考える時にも大切になるだろう。部分の切り取り方により、学問全体の見え方が変わってくることが予想され、普段あまり意識されていないが、考え始めると大きな問題になる。

この本の中に興味深い話が出ていた。それは原因(cause)と "agency" (何かが起こるために及ぼされる作用のようなものか) との違いに関わるもので、医学においてその混同が著しいと言っている。その例として、人間の死因が取り上げられている。死因の必要条件と十分条件について、こう書いている。人の死因としてがんや心臓病などがあるが、がんや心臓病に罹ったからと言って必ずしも死を意味しない。逆に病気がないからと言って永遠に生きるわけでもない。病気を治し、根絶することを目指している医学だが、人は死から免れることはできない。せいぜい少しだけ命が延びるだけだ。もしそうであれば、これらの病気は agency とでも言うべきもので、死の真の原因は体を構成する成分の摩耗など、病気とは別にあるのではないかと考えている。

19世紀のヨーロッパでは感染症が人の命を奪っていた。死因は感染症だったと言われている。今では当時のように感染症で亡くなる人は減っているが、これは医学の進歩のせいだろうかと問い掛ける。病原体が分かったからだろうか。しかし、ロベルト・コッホが病気は病原体によると発表した後でも感染症で亡くなる人は減っていない。抗生物質のせいだろうか。そうではなさそうだ。なぜなら、第二次大戦後に本格的に抗生物質が使用される前に感染症は90%以上減少していたからである。それでは公衆衛生状況の改善だろうか。しかし、ほとんどが空気感染であることを考えると、必ずしも当たっていないだろう。

それでは19世紀の人の死因は何だったのか。それはいかなる医学的な努力も叶わなかったもの、すなわち、社会的な要因であった。19世紀から20世紀にかけて見られた賃金の上昇、栄養状態の改善、さらに労働時間の短縮により、人々は死ななくなった。十分な栄養と休息を取り、ストレスの少ない生活環境が感染症によるとされる死を減少させたと考えている。すなわち、感染症は死因ではなく、単なる "agency" にしか過ぎなかったと結論している。19世紀のヨーロッパの死因であった栄養障害と過剰労働は今でも第三世界の死因として生きている。agency だけではなく、真の原因を探すことが人間の条件を改善する上で大切であるというメッセージを送っているように見える。


dimanche 21 novembre 2010

基本に返ること、そして鈴木大拙的努力



"
L’Homme qui marche I"
Alberto Giacometti (1901-1966)


先日の「世界哲学デー」で挨拶に立ったフランス国民教育相のリュック・シャテルさんは、演壇の横にあったジャコメッティの「歩く男」の像を示しながら次のようなことを話していた。

「この像は人間の弱さを表していると言われますが、人間が歩くという姿は道行き、旅そのものである哲学の姿と重なるのではないでしょうか」

彼の下にある国民教育省が理性と伝統に基づいて考え抜いた末、これからのフランスをより強いものにするために哲学教育を充実をすることを決めたことについては前回触れた。新しいことを実行するまでの過程をごく当たり前にこなしている様を見て、頭の中がすっきりするのを感じていた。翻って日本の状況を見るとどうだろうか。同質のことが行われているかと問われれば、悲観的にならざるを得ない。明治以降、西欧のやり方を積極的に取り入れて今日の日本になったが、肝心の精神の運動まで消化吸収する余裕はなかった。そのつけは大きく、未だに尾を引いているように見える。確かに、日本や東洋には独自の文化があり、西洋式のやり方をそのまま取り入れるのは問題だという意見もあるだろう。しかし、この機会に考え直してみたい。

まず彼らが哲学教育の基本に据えた三本柱は以下の通りだ。

1)言葉を正確に使うこと(これは語彙だけではなく、構文も含む)
2)人類の偉大な遺産を読み込むこと
3)論理的な思考と討論に習熟すること

この中の言葉を正確に使って考えるということはどのように捉えられているだろうか。日本文化には言葉では説明できないことがあり、それがよいところだという考え方もある。しかし、譬えそうだとしてもそこで止まっていてよいだろうか。まずその日本特有の状況を表現しようとすることがなければ相互理解は難しいだろう。外に開くという時、単に物が行き来すればよいというのではなく、そこで行われている精神活動が外に開かれることがなければ未開の国と変わらない。そこを訪れた外国人がその状況を相対化して紹介するというこれまでと変わらない状態が続くことになるだろう。外から見ていると、このことがより強調されてくる。日本の、そして東洋の精神を西洋の理性の枠組みに置き換えて説明しようとした鈴木大拙的な努力はこれまで以上に求められるだろう。この点についての認識が政治家にも専門家にも乏しいように見える。例えば、文系の世界に入って気付いたことに研究成果の多くが日本語で発表されていることがある。譬えそれが日本特有の問題であれ、外国語で発表するという了解がされていないように見える。まだ経験が浅いので正確な観察ではないかもしれないが、、

この問題の解決は最終的には教育になるのだろう。われわれの社会をどのような方向に持って行くのかを決める時、真に自由で開かれた精神による論理的な討論を行う必要がある。そのためにはフランスも力を入れるという訓練が求められるだろう。外に開くというとすぐに小学校から英語を、となるが、英語を求めるのはむしろ専門家に対してではないだろうか。そして、言葉とともに精神を磨くことがその基礎に据えられなければないはずである。この重要性に気付き、それを現実のものにする歩みを始めなければ、これからの一世紀も日本は埋もれたままでいるような気がする。



この週末、暇にまかせて日本記者クラブで行われた講演会を見てみた(こちらから)。演者はオランダのジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンさん。彼の本では「人間を幸福にしない日本というシステム」(1994年)というのを出たばかりの頃に読み、頭の中がすっきりした記憶がある。

彼(ら)の話を聞くと、なぜすっきり感が襲うのだろうか。ひとつには、そこに大きな枠組みのようなものがあり、その中にいろいろな現象が位置付けられているように見えることが挙げられる。それと日本のメディアに接しているだけでは伝わってこない事実や視点が示され、現実を見る目に曇りがないように見えることも大きいだろう。その態度にはものごとを少し離れて見た後に自らの頭で考えようとする哲学的なところが見て取れる。また、日本のジャーナリストには感じることのない independent mind も見ることができる。

なぜ日本のマスメディアはこの基本的なことができないのだろうか。その大きな問題は、何が事実なのかを最初に徹底的に明らかにしなければならないという意識が希薄なこと、それからその事実をどのように見るのかという広く言えば世界観が確立されていない、あるいはその視界が狭いことがあるような気がしている。科学の経験があれば、最初のデータを集める段階が重要で、それが信頼できるものかどうか、それをどう解釈するかがその後を決めることになるのは自明のことである。しかし、それが文系の世界、日常のレベルでは行われていないように見える。ここで言うところの科学精神の欠如の一つの現れになる。それを理解していないのか、それはさておき自らの役割はある考えを進めるために動くことだとでも考えてやってきたための習い性なのか。理性的で論理的な判断が可能になるのは、現実がどういうものなのかが炙り出されていることが条件になる。この当たり前のことがなぜできないのか、不思議である。それができた上で初めて冷静で創造的な議論が始まらなければならない。政治は理論ではない、現実は理論通りに動かない、と言うのはこれらができた後の話になるだろう。道は長く険しく見えるが、今やるべきことは当たり前の至極単純なことのはずである。





samedi 20 novembre 2010

フランスにおける哲学教育の一断面



先日のこと。街で見た講演会のポスターにあった演者 Fernand Schwarz さんのページを調べている時、「哲学デー」なるものがこの世にあることを知ることになった。さらに調べを進めると、何とその翌日の11月18日が「世界哲学デー」だという。

 "La Journée mondiale de la philosophie"

今年は「国際文化和解年」にもなっていて、「世界哲学デー」が合流した。文化和解年というのも初めて聞く名前だ。

 "L'Année internationale du rapprochement des cultures"

世界哲学デーはユネスコ主催で、2002年から毎年11月に開かれていたことを知る。今年は世界80ヵ国でいろいろな行事が行われる予定で、38ヵ国の状況はこちらから。アジアではタイ、パキスタン、バングラデシュ、インド、カンボジア、タジキスタン、アゼルバイジャンが参加。残念ながら日本は入っていない。道理でグーグル検索でも「世界哲学デー」が現れないわけである。哲学や文化和解への日本の感度はかなり低くそうである。

ユネスコ本部でのプログラムを見てみると、結構充実している。
例えば、こんなシンポジウムがある。

 「女性哲学者と『政治的に正しい』こと」
 「問われる文明の概念:知的、文化的、政治的問題点」
 「理性とその戦い―啓蒙主義、近代の合理主義、革命、昨日今日」
 「普遍性と多様性を問う」
 「人間の条件を再考する―グスタヴ・ギヨームジャン・ピアジェへのオマージュ」
 「教育の哲学―哲学の教育:知識の伝達から能力の育成へ」
 「ムハンマド・イクバールの著作―人間実現の一提案」
 「アル・ファーラービー:異文化間の啓蒙思想家」
 「哲学、文化の多様性、文化の和解」

それから「新しい哲学の実践」というセッションがある。
 "NPP : Nouvelles Pratiques Philosophiques"
これは哲学教育の実際的な問題を扱うもので、テーマが興味深い。
昨日、今日の二日の予定で、次のような出しものがある。

 「哲学と魂の手入れ」
 「哲学的実践と市民の問題」
 「哲学的議論の教育実践」
 「子供のための哲学プロジェクト」
 「教師が哲学する時」
 「道徳のジレンマの実際」
 「NPPの今日的意義」
 「この問題をどう理解するか」
 「小学校と専門課程における哲学教育」
 「学校から都市へ:哲学を広めよう!」
 「マネジメント側への言葉」

プログラムの詳細はこちらから。




オープニング・セレモニーは予定時間から20分ほど遅れて始まった。挨拶をするユネスコ事務総長のイリナ・ボコヴァさんとフランス国民教育相のリュック・シャテルさんは来ているのだが、会場にいる関連した方々とゆったりと挨拶を交わしてからであった。このゆったり感は社交と成熟が根を下ろしていることを感じさせ、悪くない。また、所謂偉い人もわれわれと同じ平面にいて交わるので、権威主義的なところや仰々しさがないのもよい。ブルガリア出身のイリナさんは初めはフランス語で、その後に英語で要約をしていた。いずれも彼女にとっては外国語だが、そのメッセージは非常にクリアなものであった。

ユネスコの使命は、教育、文化、科学、そしてコミュニケーションの分野において自由な熟考(la réflexion libre)と対話を促進することであるという。この "réflexion" だが、私がフランス語を始めて強く反応した言葉の一つになる。日本語訳は難しいが、あることを考える時にその思考を自分自身にも向け直し、それによって自らの考えを深めることである。熟考、考察、反省と訳してもこの精神の運動が伝わってこない。

さて、この使命を実現するためには批判的な精神と相互理解を通して人間の精神をより強靭なものにしなければならないが、すべての基礎には哲学があると考えている。哲学には時間と空間を跨ぐ豊かさと多様性があり、複雑な現代において何が現実であるのかを分析する能力を高める時にもその豊かさが有効になるだろう。ユネスコは正義と平和のために、これまでにも増して教育の質を高め、それぞれの考えを評価し、豊かにする環境を整えなければならない。開かれた場での自由な討論などは特に重要になる。哲学はわれわれの時代の要請であり、そこから新しいヒューマニズム(un nouvel humanisme)を構築することが彼女自身の重要な方針になっている。




リュック・シャテルさんのお話も言葉がしっかりしていて、引用が広範、しかもそれが消化されているので聞いていて気持ちがよくなる。日本では味わえない時間でもある。彼の論点も基本的にはイリナさんと同じだが、当然のことながらフランス国内での教育に対する向き合い方が中心で、まずよい教育とは何かを考え、それに向けての処方箋が語られていた。ここで感じたことは、人間が持つべき基本的な考え方(規範)や抽象的な概念を教えることが大切であると考えている点である。例えば、市民の権利、自由、平等、社会、権力の独立、他者の理解、思想・表現の自由、などなど。このような基本が身に付いた人間をつくることを目指していることが見えてきた。そのために哲学教育の改革と充実をするという。その柱として次の3つを挙げていた。

1)言葉を正確に使うこと(これは語彙だけではなく、文章の構成法も含む)
2)人類の偉大な遺産を読み込むこと
3)論理的な思考と討論に習熟すること

全国の高校では哲学をこれまでの3年だけから1-2年目まで広げる実験的な教育もされているようで、そこでのポイントは学際性になる。哲学教師だけではなく、科学、文学、社会科学の教師も同時に参加させること。そして、この世界に自らを開き、多様な文化と共有の概念を理解し、最終的には偏見を乗り越えることを目指すようだ。人間如何に生きるべきかを考える時、「今、ここ」から距離を取り、哲学することが求められる。このことを国を挙げて実践しようとする、まさに哲学の国フランスの教育相に相応しい挨拶であった。




帰宅してラジオをつけると、リュックさんがこの方針を出したこと、それから子供が委縮しないようにするために小学校で成績を付けるのを止めることにしたというニュースが流れていた。理性的、理論的に考え、その結果出てきたことを行動に移すというごく当たり前のことが動いているのを見ることになった。この前段がないところには後段もないだろうし、その結果から学ぶこともないだろう。少し前に別ブログで指摘した科学精神を徹底することの大切さと繋がるフランスの試みであり、日本も学ぶべきところが多いように感じていた。

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる 」(15 novembre 2010)


vendredi 19 novembre 2010

何もしていないように見えるが、デフォルト・モード・ネットワーク DMN: Default Mode Network



今年2月のScientific Americanの記事を振り返ってみたい。米国セントルイスにあるワシントン大学の Marcus Raichle 博士による "The Brain's Dark Energy"(脳のダークエネルギー)というエッセイになる。これは宇宙に存在するエネルギーのかなりの部分がよくわかっておらず、ダークエネルギーと呼ばれていることに因んでの命名らしい。

結論を大雑把に言ってしまうと、次のようになるだろうか。われわれの脳は意識して何かをしていない時にも活動していて、意識している時の20倍ものエネルギーを消費している。このベースラインの活動を示す領域はデフォルト・モード・ネットワーク (default mode network: DMN) と名付けられ、記憶に関与したり、将来の出来事への準備に関わっている。さらに、アルツハイマー病、うつ病、自閉症、また統合失調症において、DMN と重なる領域に異常が見られることから、DMNの異常と病気が結びつく可能性も示唆されている。

1929年にドイツの精神科医ハンス・ベルガー (Hans Berger; May 21, 1873 – June 1, 1941) が脳波を初めて報告した時に、われわれの脳は目覚めて何かをしている時だけではなく、常に相当の活動していることを指摘しているが、長い間無視されてきた。しかし、1970年代後半にポジトロン断層法 (PET: positron emission tomography) が、また1992年には fMRI (functional magnetic resonance imaging) が導入され、脳の活動が代謝活動や血流量の変化として観察できるようになってきた。このような検査では、調べたい現象がよりはっきりわかるようにコント ロールとなる条件での活動をノイズとして差し引くことが行われる。そのためベースラインの活動に注意が行かなかったのはよく理解できる。

しかし、Marcus Raichle 博士のグループはコントロールの条件で活動している脳の部位を興味を持って研究していた。よく調べると、コントロールの条件で脳の全エネルギーの60-80%が消費されているのに対し、テスト時のエネルギー消費の増加は5%以下にしか過ぎないという。さらに、視覚を例に取ると、網膜で受けた情報量を100万とすると、視神経から運ばれる時には600に激減し、視覚野と呼ばれる脳の担当領域に到達した時には最初の100万分の1 になっていることが明らかになった。この結果から、脳が外界の情報を受け取るためには視覚に関係する以外の領域が働いているのではないかと彼らは考えた。

その後の研究でテスト時に活動が上がるだけではなく、減少する場所もあることも明らかになり論文を投稿したが、掲載を拒絶されたエピソードも紹介されている。現在のところ、下の図で紫の部位がDMNとして認められている。




これらの領域が意識の根本に迫るヒントを与えてくれるのではないかという期待がある。また、DMNについての国際共同研究が進行中で、2008年の報告によるとコンピュータでのテストをする前にDMNを観察していると、テスト30秒前にはその人が間違いを犯すかどうかがわかるという。これから起こる状況に対応するためにはある準備がされなければならないが、その準備状況がDMNに現れているというのだろうか。さらに、アルツハイマー病で異常を示す領域がDMNとよく一致することから、DMNの病気として捉えられる日が来るかもしれない。まだ新しい分野のようで、すべての現象を説明できる理論の確立を求めて終わっている。これからの進展に注目 したい。

ところで、日頃から行っている瞑想だが、私の場合には起きているとも眠っているとも言えない怠惰な状態に入りたい時にそう称しているに過ぎない。これは一体DMNの活動によい効果を及ぼしているのだろうか。その時が来ないと結論は出ないのだろうが興味が湧いている。

mercredi 17 novembre 2010

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる



遠くから日本を見るようになり、これまで感じていたことが益々鮮明になってくる。それは、日常的な行動の中に科学精神が見られないこと、しかもそのことを批判的に指摘する視線がないことである。つまり、理論的、理性的に考え、行動することが日本では行われていないように見えることだ。物事は理屈ではない、とよく言われてきたが、それは結果であって、最初から理性や理論を基にした思考を否定るするものではないし、そうであってはならないだろう。

まず徹底的に理性と理論を用いること、その上で最善の解を引き出すことだ。その後で初めて、それ以外の要素を入れて考え直すことでなければならないだろう。どんなことに出会っても最初のところに霞がかかって全く見えない状態であれば、ただ流れに任せるだけになり、最早何をやっても学び取ることのないままに終わるだろう。最初に何かがなければならないのである。

ここで改めて、徹底的に科学精神を使うことの重要性を強調したい。そこでは多くの学問が活かされなければならないだろう。まず専門家が出てきて自由闊達な議論を尽くさなければならないだろう。すべてはそれから始まるべきである。その上で付け加えたいのは、使われる理の底には溌剌とした生の躍動がなければならないということである。科学精神を推し進める根には内なるエネルギーの迸りがなければならないということである。


lundi 15 novembre 2010

梅原猛編 「脳死は、死ではない。」、そしてこの生の価値


梅原猛編 「
脳死は、死ではない。」 (1992年)


この話題は当時横目で見ていて、少数意見が併記された異例の政府臨調報告になったことを覚えている程度だった。この本には、その少数意見を出した方々が集まり対談した内容と梅原氏の講演、最後に臨調の報告書が添えられている。古本だったので、おまけに当時の新聞切り抜きがいくつか挟まっていた。このお話を読みながら、いろいろな思いが巡っていた。

彼ら少数派はどうしても脳死は人の死とは認められないとし、臓器移植推進派と激しく渡り合った様子が語られている。結論から言うと、この臨調はあくまでも臓器移植を進めるために必要だった儀式ではなかったのかという疑い(よりは確信に近いもの)が梅原氏の中に生まれる。脳死を死として臓器の確保を容易にしようとする動きだったと結論している。その過程で、彼ら少数派は臓器移植とは一体どういうことなのか、死をどのように捉えればよいのかという根本的な、言ってみれば哲学的な問を仕掛けるが、医学の側を含む推進派はそれを無視することが多かった。それは医の側が医学を取り巻く根本的な問題をほとんど考えてこなかったからではではないかと疑っている。この点に関して言えば、医学にはこのような問題を考える能力がないので、医学教育の中に哲学、倫理、その他の全人的な要素を取り込む必要があると主張している人もいたが、全く同感である。

それと同質の出来事を思い出す。それはもう15年ほど前になるだろうか。がんの根治療法の是非について慶応大学の近藤誠氏とがん外科医との間で激しく行われた討論のことである。近藤医師は「患者よ、がんと闘うな」などの著書でもわかるように、がんになった後の根治治療には否定的で、亡くなるまでの間の生活の質を大切にする立場をとっている。同じような考えを持っている医者もいたとは思うが、はっきりとした形で発言したのは彼が最初ではないだろうか。いずれにせよ、根治療法を主張する側の論拠は、がんの治療法は手術と放射線と薬であり、患者を見つけたらがんを徹底的にやつけるのが医者の務めだというもので、あくまでも自らの専門の枠内での論理に終始していた。がん治療をより広いコンテクストに入れて考えることができず、自らの考えの中にないものは拒否するだけの苦しい議論になっていた。

脳死の場合もこれと同様に、自らの領域に閉じ籠り、その中の考えを当然のものとして受け止め、それを理解できないのは科学的でないとして退けるという態度に徹していた。自らの営みから出て、自らの頭で考えるという哲学的態度が欠如している証左だろう。これは医学の領域に限らず、あらゆるところに見られる現象ではないだろうか。哲学が可能になる条件として、個人の自立・自律が必要になる。これができていないとどうしても身内の論理に無批判に従うことになり、しかもそのことにさえ気付かなくなる。ルドヴィク・フレックの言う Denkkollective (ある考え方を共有した研究者の集団で、しばしば集団が内に閉じている) の中に安住し、そのために過ちを犯す可能性が出てくる。これは常に注意しておかなければならない点だろう。

日本の審議会は議論をするための場ではなく、指名を受けた専門家が全会一致の了承をするためにありがたく出向くところになっている(可能性がある)。ある脳死臨調委員は少数意見を述べるのに勇気を要したと書いている。日本の一級のインテリとされる方の発言である。本当に自立・自律が問われているようだ。

ここで何度も繰り返しているが、哲学は役に立つのかという問をいつまでも出している段階ではないだろう。それはわれわれの生活に必要不可欠なもので、多くの方がそれを実践しなければならないはずのものである。その欠如が多くの問題を生み出しているように私には見える。脳死の議論を読みながら、ここにもその一例があるのを見る思いであった。

ところで、肝心の梅原氏の主張で気になるところがあった。それは、脳死は人の死ではないとしながらも、臓器移植によってしか助からない人がいて、自らの意志で臓器提供をする人が現れた場合、それを認めると考えている。あれほど強硬に主張した前段を覆して、死 んでいない人からの臓器提供を認めることになる。この本には五木寛之氏と梅原氏との対談が載っているが、その中で五木氏は梅原氏の態度を批判しているように見える。五木氏の態度は、人間は結局のところ病気には勝てないので、老いを認め、病を認め、死を迎え入れる思想が必要になると考えている。一つの病気がなくなっても他の病気が出てきて、人間は常に病気と共にあることになる。それぞれの病気の消長はあるが、病気の総数は変わらないという説もある。五木氏はその事実を受け入れた哲学が必要になると考えている。当然移植なども拒否する立場だろう。五木氏が悲観主義と言うこちらの考えの方が矛盾が少ないように見える。生と死を巡る永遠の哲学に向かわなければならないのだろう。この生に横たわる多くの基本的な問について真に哲学することなく終わるのは、生の価値を十全に活かし切っていないように見える。


vendredi 12 novembre 2010

創造を完成させる瞑想



鳥の鳴き声が聞こえ始めたのでシャッターを開ける
陽の光が見えない完全な水墨画の世界
雲が足早に東へ流れてゆく
朝の鳥たちの鳴き声はよく響く
その鳴き声の主を言い当てられたら素晴らしいだろう
それにしてもいろいろな声がある
太い嗄れ声の鳥もいる
そう言えば学校にもこんな声を出す女性がいた
それはそれで魅力的なのだ
どうしてこんなにいろいろな生き物がいるのだろうか
古代人がそこに創造主を見たとしても何ら不思議はないだろう




この春にこの本を読んだ
不可知論者の天体物理学者と牧師の免疫学者の対論である
その中で神と言ってもいろいろな見方があることを知る
例えば 物理的に手を下し世界を創った神
この免疫学者は神は直接手を下さないという
あくまでも言葉で世界を今の形にあらしめたと考えている

興味深かったのは天地創造の部分
世界は6日でできあがったとされるが 7日目をよく忘れる
その日神は何をしたのか
神は休んでいたのである
そして この日こそが創造の頂点にあるのだとこの免疫学者は指摘する
創造が完成するのは神が何もしなかった日だと言う
すべてをやり終えた後 何も言わず 行われたことを眺め 振り返り 瞑想する
それこそが創造を完成させるものだと言う
われわれの日々の営みにも通じるのではないだろうか



遠い昔の出会い


Science 328: 680, 2010


Il y a du Néandertal en nous
(われわれの中にはネアンデルタール人がいる)


これは今年5月7日のル・モンドにあった記事のタイトルである。
同じ週のScience誌の記事と併せて思い出してみたい。

ル・モンドでは、上の文章の後に、少なくともアフリカ人でなければ、と続く。その意味は後で明らかになる。もしアフリカ人でなければ、DNAの1-4%はネアンデルタール人 (Homo neanderthalensis) 由来だという。Science誌に発表されたのは、クロアチアの洞窟から出た4万年ほど前の3人の女性ネアンデルタール人の骨の解析結果である。

この研究は、ライプチッヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・パーボ (Svante Pääbo) 博士が中心となり行われた。実は、パーボ博士はすでに現代人とネアンデルタール人との間に交わりはなかったと発表している。今回の結果は以前のものと矛盾することになる。

彼らはまず、今回のクロアチアの材料をスペイン、ドイツ、ロシアから見つかっているネアンデルタール人のDNAを比較して、それがネアンデルタール人に特徴なものであることを確かめている、それからチンパンジーのDNAとも比較し、どこがより古い遺伝子の変化であるのかを調べている。

古い材料を扱う時に問題になるのは、取り出された遺伝子の95%以上を占める微生物由来の夾雑物。それから現代人のDNAも混じっていたという。これはコンピュータ解析の方法を工夫することにより解決。それから、対照群としてどの現代人を採用するのかという問題がある。今回は、進化的にネアンデルタール人とは異なるとされているフランス人、中国人、パプア・ニューギニア人、南アフリカと西アフリカの2人の計5人を選び、解析した。結果は冒頭に示したように、 2人のアフリカ人を除いた現代人のDNAには1-4%ほどネアンデルタール人由来のものが見られる。絶滅した彼らから受け継いだDNA子がわれわれの中に入っていることが明らかにされた。

これまでの有力なシナリオはわれわれの祖先はアフリカの特定の場所で生まれ、そこから中東やヨーロッパに移動する過程で交わることもほとんどなくネアンデルタール人を絶滅していったというもの。さらに多くのアフリカ人が調べられ、両者の接触がなかったことが確実になれば、現代人の祖先がアフリカを出て、ヨーロッパやアジアに向かう前に交わったことになる。イスラエルのカルメル山の洞窟に現代人が10万年ほど前から住んでいて、おそらく8万年前には寒波に襲われたヨーロッパを逃れてネアンデルタール人がこの地に下りてきたと推定されている。今回の結果は、このような場所で両者が交わった可能性を想像させる。

進化の過程で、ネアンデルタール人とわれわれは27~44万年前のどこかで別の道を歩み始めたとされている。人間を特徴付けている遺伝子があるとすれば、両者の遺伝子を比較すれば何らかのヒントが得られるかもしれない。今回の研究では、調べた30億塩基の中で78塩基に置換が見られたというから、その割合は非常に小さい。しかし、その遺伝子の役割は重要であることが想像される。

例えば、創傷治癒、精子の鞭毛運動、皮膚・汗腺・毛根、さらに骨格形成などに関わる遺伝子に差が認められたり、2型糖尿病にも関連する遺伝子領域や認識に関わる遺伝子(人間で変異が見られるとダウン症候群、統合失調症、自閉症などになる)にも差異が認められたという。ただ、ここで明らかにされた変異が実際にどのような変化をもたらすのか、そしてその遺伝子の生理的な役割は現在のところ不明である。


このような背景を頭に入れて上の写真を見直すと、心躍るものがある。
このおじさんはその時一体どういう態度を示したのか。
その出会いの場に自分も立つことができれば・・・などという妄想が湧いていた。

jeudi 11 novembre 2010

ハーマン・マラーという科学者 Un scientifique qui s'appelle Hermann Muller



トーマス・モーガン(1866-1945)の最も優秀な弟子にして最も師に逆らったハーマン・J・マラー Hermann Joseph Muller (December 21, 1890 – April 5, 1967)。X線による変異の研究により1946年にノーベル賞を貰っている。遺伝子を想像上の概念と考えている人が少なかった時代だったが、この研究の過程で遺伝には物質的基盤があることを信じるようになる。ウィキで見るとその人生は大きく揺れ、複雑である。その一つの側面に次のようなものがある。

遺伝子や遺伝という現象を扱うとそれを使って人類に対する貢献をしたいという考えが生まれるのだろうか。彼の師のモーガンに見られた優生学的思想が彼の中ではさらにはっきりした形になってくる。例えば、精神病を持つ家系の不妊手術を勧めている。彼の場合は共産主義に共感を持っており、ナチがやったような人種差別思想に基づくものではなく、むしろ理想主義の色彩を持ったものであった。しかし、彼の1940年代の講演を読むと、教養の程度と子供の数が逆相関するというような表現が出てくる。不妊手術により家族の苦痛を和らげようという考えがあったのだろうか。この考えを実行に移すために、スターリンともコンタクトを取っていたようである。この時期は、優生学的に劣っているとされる人を減らそうとする、ある意味ではネガティブな態度であった。しかし、第二次大戦後はその態度を完全否定するのではなく、ポジティブな態度への転向を図った。ナチのように身体的に優れた人種を創るという考えではなく、利他主義や他人への関心を示す心を持った道徳的に優れた人種を創れないかと考えたようである。その流れの中で精子バンクを提唱したのだろう。

科学の進歩により生まれる概念的、技術的な新たな可能性を前にした時にどのように対処しなければならないかのだろうか。このような歴史を見ていると、科学の成果を瞬時の熱狂だけで受け止めるだけではなく、その中に含まれる数々の問題を、冷静に、幅広く、深く、科学精神を以って考えることが求められるだろう。これからの科学の発展が齎すであろうさらに多くの問題に対し、ある枠を離れてものを見直すという哲学的な態度を以って臨むことが求められるだろう。