Yair Neuman, Reviving the Living, Meaning Making in Living Systems (2008)
生物意味論(biosemiotics)について読んでいる時に免疫系についても触れている本として現れた。本の説明によると、グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980)、ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin, 1895-1975)、マイケル・ポランニー(Michael
Polanyi,
1891-1976)らの系列に入る仕事になるという。著者が嫌っている一つの専門に閉じ籠った仕事ではなく、シリーズの名前にもあるように異なる領域を
跨ぐ思考を行い、生物系における意味の形成について論じたいようだ。それは二つの極のバランスを如何に取るのかという論理に絡んでくる。秩序と不秩序、過
去と現在、抽象と具象、静的と動的の間にある論理である。
緒言では、現在行われている還元主義に基づく生物系の理解の仕方に対する不満が述べられている。もちろん、生物学や言語学における進歩を否定するものではな
いが、生物は細胞の寄せ集めではない。全体は部分の相互作用だけではなく、環境との相互作用によりそこにある。言語はそれを使う人から成るコミュニティが
なければ存在しないように、遺伝子も単独で取り出してしまうと意味を失う。コンテクストが重要になるのだ。その語源はラテン語の contexere で、編み合わせるという意味である。コンテクストを理解すること、それは「もの・こと」が織り合わされネットワークを作る様を理解することである。この本の目的は、遺伝子中心の還元主義の下で死んでしまった生物を蘇らせることである。
そのために取るべき道はあるのだろうか。それは非科学的なところに逃げ込むのではなく、複雑科学へ進むのでもない。新しい道へのヒントをバフチンの次の言葉から得ている。
「構成部分が外的な繋がりで時空間において単に結合しているだけで、統一された内的意味を持たない時、一つの全体は機械的であるという」
つまり、生物のような機械的でないものは、必然的に一つの意味を創り出すものであることを意味している。生物の全体を理解しようとする時、「意味」は鍵になる概念なのだろうか。 この疑問に肯定的に答えようとするのが本書である。
これまで次のような仕事はされているが、この本で扱うような意味での「意味」は主要なテーマにはなっていない。
Jesper Hoffmeyer, Signs of Meaning in the Universe (1997)
Anton Markos, Readers of the Book of Life (2002)
Marcello Barbieri, The Organic Codes (2003)
そして、「意味」は科学から完全に排除されている。現代生物学において中心的な位置を占めるのは遺伝子と情報になるが、クロード・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916-2001)の情報理論からも「意味」は排除されている。
本書では、遺伝学、免疫システム、自然言語を例に取り、生物系は意味を創り出すシステムであることとその視点の有用性について論じるという。これから読み進めてみたい。
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