遠くから日本を見るようになり、これまで感じていたことが益々鮮明になってくる。それは、日常的な行動の中に科学精神が見られないこと、しかもそのことを批判的に指摘する視線がないことである。つまり、理論的、理性的に考え、行動することが日本では行われていないように見えることだ。物事は理屈ではない、とよく言われてきたが、それは結果であって、最初から理性や理論を基にした思考を否定るするものではないし、そうであってはならないだろう。
まず徹底的に理性と理論を用いること、その上で最善の解を引き出すことだ。その後で初めて、それ以外の要素を入れて考え直すことでなければならないだろう。どんなことに出会っても最初のところに霞がかかって全く見えない状態であれば、ただ流れに任せるだけになり、最早何をやっても学び取ることのないままに終わるだろう。最初に何かがなければならないのである。
ここで改めて、徹底的に科学精神を使うことの重要性を強調したい。そこでは多くの学問が活かされなければならないだろう。まず専門家が出てきて自由闊達な議論を尽くさなければならないだろう。すべてはそれから始まるべきである。その上で付け加えたいのは、使われる理の底には溌剌とした生の躍動がなければならないということである。科学精神を推し進める根には内なるエネルギーの迸りがなければならないということである。
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