これまでの WHO の対応を評価する記事が NYT に出ていたので紹介したい。
4月29日の WHO の事務局長マーガレット・チャン (Margaret Chan) 氏の発表で世界は揺れたが、このところ CDC が学校の再開を推奨したり、ケーブル・ニュースでも大きく取り上げなくなり、落ち着いてきたかに見える。しかし、チャン氏はまだ警戒レベルを下げることは考えていないようだ。なぜなら、このレベルは致死率ではなく、地理的な広がりをもとにしているからだ。チャン氏のこれまでの対応は評価するものの、警戒レベルを致死率も考慮に入れてものに改変する必要を唱える者もいる。
チャン氏によると、今回の対応には2003年に香港で発生した SARS での経験が生かされているという。彼女はその現地責任者として事に当たった。2005年に行われた WHO による方針変更で事務局長は自ら警戒レベルを決定できるようになり、世界の公衆衛生分野で最も力のある人になった。
2006年にそのポストに就いたチャン氏は、運転もタイプも料理もしない。1947年香港に生まれ育ち、教師になる。1969年、将来夫になるデヴィッド・チャン氏がカナダの大学に行くと心配になった彼女は母親に相談、後を追うことにする。デヴィッドが医者を目指すことになると、彼女も医学を目指すことにする。小児科を学び、1978年香港の公衆衛生局に就職。1997年に発生した鳥インフルエンザに対応。140万羽の鳥を屠殺する決断をし、感染を終息させる。彼女はこれで注目を集める。
2003年の SARS 感染時には初期の対応に批判も出たが、総合的には支持された。この時の経験が今回の素早い対応になったと言われる。彼女は言う。今回のように新しい感染の場合には全体像を掴むのが難しく、常に謙虚でなければならない。この10日間の彼女の対応に対する評価は高い。
Managing a flu threat with seasoned urgency (The New York Times, May 9, 2009)
samedi 9 mai 2009
インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 12 「2009年は1918年とは違う」
今回と1918年のパンデミックの比較について、医学史、公衆衛生の専門家、Patrick Zylberman とのインタビューが昨日のル・モンドに出ていた。
今回の感染をどのように見ていますか?
最も興味深いのはメキシコでの死亡例が、若年者であることです。そのため小児や老人ではなく16歳から40歳までが標的となった1918年のパンデミックを思い出します。
二つの感染を比較するのは時代錯誤ではないでしょうか?
その通りです。2003年のSARS の時には、すべての医者、疫学者、公衆衛生の専門家はスペイン風邪の再来をホロコーストのように語りました。それは手をこまねいている政治家や市民に準備させるために強調する必要があったからです。
しかし、1918年と今回の状況は全く違います。ウイルスの病原性だけがパンデミックの指標ではありません。1918年とは違い、われわれはウイルスについての知識を持っています。抗ウイルス剤やワクチン製造が可能ですし、重症例を治療する抗生物質もあります。完全ではないかもしれませんが、疫学的監視システムが1995年以降出来上がっています。
われわれは1918年の経験から何を学びましたか?
1997年の鳥インフルエンザの際の香港当局の素晴らしい対応を見てください。数人が死亡した後に鳥の屠殺を決定しました。SARS の時は最初まごつきましたが、その後はアジアとカナダ政府が状況のコントロールに成功しました。
経験から学んだことは確かです。それが充分であるかどうかですが、2006年にロンドンの大学で行われた研究によると、フランスやイギリスなどの国は比較的準備ができているが、ヨーロッパ全般ではそうではないようです。
1918年当時の人はパンデミックに対する切迫感を持っていたのですか?
当局は完全に不意を突かれたのです。忘れてならないのは、まだ第一次大戦が続いていたことです。アメリカなどの戦地から離れた国では、まだ対処すべき相手を知りませんでした。ヨーロッパで4%、サモアでは20%にも達した死亡率をもたらしたものは、当局の対応のまずさになります。
1976年の例のように、当局の過剰な反応が感染そのものよりも深刻な被害を生むということになりませんか?
1976年のアメリカでの感染は、「全く起こらなかったこと」 になります。ニュー・ジャージーの軍基地で数例が見つかり、1918年の記憶が蘇りパニックになります。1920年以来アメリカにはなかったH1N1株による感染でした。フォード大統領は全国民にワクチンを指示することになりますが、ワクチンの事故とウィルスが消えたことにより2ヶ月後には中止になりました。ワクチンの指示は科学的と言うよりは感情的なものだったのです。
現在の衛生当局の対応は感情的でしょうか?
現在のWHO の対応が過剰だと批判する人がいますが、それは正しくありません。なぜなら、すべての政府は、WHO の指針により計画を立てているからです。2003年以来、感染やバイオテロリズムへの対応に関するすべての話し合いで大きな問題になるのが、WHO がその司令官であるべきか、ということです。ヨーロッパは好意的です。アメリカはやや好意的ですが、アジアはそれほどではありません。
前パンデミック状態がこれから感染が広がり始める貧しい国にどのようなインパクトを与えるでしょうか?
それは大きな不安です。秋に第二波が北半球を襲う場合、衛生状況がよくなく治療法もない国は富める国に比べ多くの被害を受けるでしょう。感染の伝搬を遅らせる手段として、10-20%の抗ウイルス剤を共有することが考えられます。世論が共有することに反対する可能性もあり、政治的には微妙でしょう。
危機管理のために公的な関心が生まれることは、われわれの社会の進化の指標でしょうか?
もちろんです。技術的なところから公的なところへの問題の移行は、素晴らしい進化と言えます。これも現在の社会が1918年とは全く違うという理由になります。転機は新興性の病気(特にエイズ)に対する懸念が生まれた1980年代や20世紀末の食料安全の危機でした。
メディアはどのような役割を果たしていますか?
メディアの役割は決定的で、政府もそのことをよく知っています。危機にあって、情報は抗ウイルス剤と同様に感染に対して抑制効果を持つ重要なものですが、管理が難しいものでもあります。予防的な報道はパニックを限定的にしますが、人々を受け身の状態から脱するように促すものでなければなりません。これは準備が最も遅れている領域のひとつになります。
それはなぜでしょうか?
政府が情報のコントロールを手放すのを嫌がることとメディアがこれらの問題をほとんど理論化していないからです。
"Grippe : 2009 n'est pas 1918" (Le Monde, 8 mai 2009)
今回の感染をどのように見ていますか?
最も興味深いのはメキシコでの死亡例が、若年者であることです。そのため小児や老人ではなく16歳から40歳までが標的となった1918年のパンデミックを思い出します。
二つの感染を比較するのは時代錯誤ではないでしょうか?
その通りです。2003年のSARS の時には、すべての医者、疫学者、公衆衛生の専門家はスペイン風邪の再来をホロコーストのように語りました。それは手をこまねいている政治家や市民に準備させるために強調する必要があったからです。
しかし、1918年と今回の状況は全く違います。ウイルスの病原性だけがパンデミックの指標ではありません。1918年とは違い、われわれはウイルスについての知識を持っています。抗ウイルス剤やワクチン製造が可能ですし、重症例を治療する抗生物質もあります。完全ではないかもしれませんが、疫学的監視システムが1995年以降出来上がっています。
われわれは1918年の経験から何を学びましたか?
1997年の鳥インフルエンザの際の香港当局の素晴らしい対応を見てください。数人が死亡した後に鳥の屠殺を決定しました。SARS の時は最初まごつきましたが、その後はアジアとカナダ政府が状況のコントロールに成功しました。
経験から学んだことは確かです。それが充分であるかどうかですが、2006年にロンドンの大学で行われた研究によると、フランスやイギリスなどの国は比較的準備ができているが、ヨーロッパ全般ではそうではないようです。
1918年当時の人はパンデミックに対する切迫感を持っていたのですか?
当局は完全に不意を突かれたのです。忘れてならないのは、まだ第一次大戦が続いていたことです。アメリカなどの戦地から離れた国では、まだ対処すべき相手を知りませんでした。ヨーロッパで4%、サモアでは20%にも達した死亡率をもたらしたものは、当局の対応のまずさになります。
1976年の例のように、当局の過剰な反応が感染そのものよりも深刻な被害を生むということになりませんか?
1976年のアメリカでの感染は、「全く起こらなかったこと」 になります。ニュー・ジャージーの軍基地で数例が見つかり、1918年の記憶が蘇りパニックになります。1920年以来アメリカにはなかったH1N1株による感染でした。フォード大統領は全国民にワクチンを指示することになりますが、ワクチンの事故とウィルスが消えたことにより2ヶ月後には中止になりました。ワクチンの指示は科学的と言うよりは感情的なものだったのです。
現在の衛生当局の対応は感情的でしょうか?
現在のWHO の対応が過剰だと批判する人がいますが、それは正しくありません。なぜなら、すべての政府は、WHO の指針により計画を立てているからです。2003年以来、感染やバイオテロリズムへの対応に関するすべての話し合いで大きな問題になるのが、WHO がその司令官であるべきか、ということです。ヨーロッパは好意的です。アメリカはやや好意的ですが、アジアはそれほどではありません。
前パンデミック状態がこれから感染が広がり始める貧しい国にどのようなインパクトを与えるでしょうか?
それは大きな不安です。秋に第二波が北半球を襲う場合、衛生状況がよくなく治療法もない国は富める国に比べ多くの被害を受けるでしょう。感染の伝搬を遅らせる手段として、10-20%の抗ウイルス剤を共有することが考えられます。世論が共有することに反対する可能性もあり、政治的には微妙でしょう。
危機管理のために公的な関心が生まれることは、われわれの社会の進化の指標でしょうか?
もちろんです。技術的なところから公的なところへの問題の移行は、素晴らしい進化と言えます。これも現在の社会が1918年とは全く違うという理由になります。転機は新興性の病気(特にエイズ)に対する懸念が生まれた1980年代や20世紀末の食料安全の危機でした。
メディアはどのような役割を果たしていますか?
メディアの役割は決定的で、政府もそのことをよく知っています。危機にあって、情報は抗ウイルス剤と同様に感染に対して抑制効果を持つ重要なものですが、管理が難しいものでもあります。予防的な報道はパニックを限定的にしますが、人々を受け身の状態から脱するように促すものでなければなりません。これは準備が最も遅れている領域のひとつになります。
それはなぜでしょうか?
政府が情報のコントロールを手放すのを嫌がることとメディアがこれらの問題をほとんど理論化していないからです。
"Grippe : 2009 n'est pas 1918" (Le Monde, 8 mai 2009)
jeudi 7 mai 2009
インフルエンザA (H1N1) (Grippe porcine; Swine flu) - 9 旅行に関する制限について
旅行制限に関して WHO が5月1日に出した声明をアップデイトして本日発表した。その要旨は以下の通りである。
旅行は安全か?
今回の件に関して、WHOは旅行制限することを推奨していない。今や世界では多くの人が仕事や余暇で世界を動いている。旅行制限しても感染の伝搬阻止にはほとんど役立たないどころか、世界のコミュニティにとって有害でさえある。
現在世界に感染が認められるので、感染を止めることよりは早期に発見して治療することに重点が置かれている。旅行者の症状を知ることにより感染を追跡することは役立ちはするが、その伝搬を減少させることはできない。なぜなら、症状が出る前に感染させてしまうからである。
数学モデルに基づく研究によると、旅行制限は感染伝搬の阻止には全く効果がないか、あっても限られたものにしか過ぎないという結果が出ていて、SARS の時にそれが確認されている。WHO は旅行者の水際でのスクリーニングを推奨するか?
いいえ。それは効果があるとは考えないからです。しかし、その決断はそれぞれの国に委ねられています。そのような措置(入国や出国の拒否など)を取る場合、WHO に公衆衛生の面からその理論的根拠を報告しなければなりません。旅行者は常に尊厳と人権尊重を以って扱われなければなりません。
旅行時の注意事項は? 病気の場合には旅行を延期すること。帰国する場合には専門家に相談すること。日常生活でも行わなければなければならない一般的な予防処置により、自らと周囲の旅行者の感染を予防することができる。
lundi 4 mai 2009
アダム・ザガイェフスキさんとともに
先月、1週間ほど滞在したポーランドのクラクフは、いろいろな印象を私の中に残した意義深い滞在になった。その町での散策の途中に入った書店で、アダム・ザガイェフスキさん (Adam Zagajewski、1945年6月21日-) に出会う。翌日、彼の詩集 "Eternal Enemies" とエッセイ集 "A Defense of Ardor" を持ってヴァヴェルの丘に上り、カフェで開く。エッセイの中で彼の移動の歴史が語られている。Lvov で生まれ Gliwice へ。Gliwice から Krakow へ、Krakow から Berlin (2年間) へ、そこから Paris で20年ほど。Paris から Houston で年4か月の生活。そして Krakow に戻った。
彼の詩集に次のような言葉がある。
I returned to you years later,
gray and lovely city,
unchanging city
buried in the waters of the past.
(from "Star")
わたしがこの町に入って最初に感じたことがここにある。
今動いている世界から動きの止まっている町へ入った。
今動いている世界の昔の姿がここにある。
それが懐かしさを呼んだのかも知れない。
心を落ち着かせたのかも知れない。
それはまさに、今激しく流れる川面の奥深く、静かに蠢く過去なのかも知れない。
superficial とはよく言ったものだ。
川面で流れに身を任せ、時の流れに身を任せる。
その底には我々個人の、そして人類の過去が眠っている。
川の中に身を沈め、そこを眺めてみようではないか。
川面が全く違って見えてくるかもしれない。
多層的に生きたいものだ。
その意思だけは持ち続けたいものだ。
こんな言葉もある。
I would have liked to live among the Greeks,
talk with Sophocles' disciples,
learn the rites of secret mysteries,
(from "The Greeks")
過去に生きる、生きたいと欲する。
それは何と無駄な時間だろうか、と思っていたのはほんの数年前。
そこからしか未来は見えないと思い始めて、まだ数年にしかならない。
この世で大切なこと、それはどこからものを見るかだろう。
その視点が変わるだけで、この世が全く新しいものになる。
その視点が多いだけ、この世は豊かに見えてくる。
多層的に生きたいものだ。
その意思だけは持ち続けたいものだ。
彼の詩集に次のような言葉がある。
I returned to you years later,
gray and lovely city,
unchanging city
buried in the waters of the past.
(from "Star")
わたしがこの町に入って最初に感じたことがここにある。
今動いている世界から動きの止まっている町へ入った。
今動いている世界の昔の姿がここにある。
それが懐かしさを呼んだのかも知れない。
心を落ち着かせたのかも知れない。
それはまさに、今激しく流れる川面の奥深く、静かに蠢く過去なのかも知れない。
superficial とはよく言ったものだ。
川面で流れに身を任せ、時の流れに身を任せる。
その底には我々個人の、そして人類の過去が眠っている。
川の中に身を沈め、そこを眺めてみようではないか。
川面が全く違って見えてくるかもしれない。
多層的に生きたいものだ。
その意思だけは持ち続けたいものだ。
こんな言葉もある。
I would have liked to live among the Greeks,
talk with Sophocles' disciples,
learn the rites of secret mysteries,
(from "The Greeks")
過去に生きる、生きたいと欲する。
それは何と無駄な時間だろうか、と思っていたのはほんの数年前。
そこからしか未来は見えないと思い始めて、まだ数年にしかならない。
この世で大切なこと、それはどこからものを見るかだろう。
その視点が変わるだけで、この世が全く新しいものになる。
その視点が多いだけ、この世は豊かに見えてくる。
多層的に生きたいものだ。
その意思だけは持ち続けたいものだ。
dimanche 3 mai 2009
革命の闘士、聖パウロ Saint Paul, militant révolutionnaire
先月ポーランドのクラクフに1週間ほど滞在した。その町のショッピングモールにあった書店で久しぶりに Le Point を手に取った。この雑誌の存在を知ったのは4年半ほど前に仏検を受ける前に寄った本屋さんでのこと。読書欄や思想・哲学欄など、全体の構成がわたしの好みに合ったのだろう。それ以来、折に触れて読むようになり、謂わば Le Point という窓からフランスを眺めていたことになる。この経験がわたしを知らない間に変えていたのではないかと思えるくらい大きな影響があった。
ところで、手に取った Le Point の Idées 欄にこの方が登場し ていた。キリスト教徒を虐殺したユダヤ教徒から教会を建てる闘士への変身。昨年6月28日から今年の6月29日までを 「聖パウロの年」 として祝うことにした、と2年前にベネディクト(ブノワ)16世が宣言したという。そして、彼に宿る3つのものを見た時、強く反応していた。
1) une énergie sans mesure (過剰なエネルギー)
2) un génie militant hors du commun (並はずれた戦闘的天才)
3) une flamme mystique dont il existe peu d'exemples (例を見ない神秘主義的煌めき)
一体どういう人物なのか。どんなことをやった人なのか。一気に興味が膨らんでいた。
パウロ Paul de Tarse (? à Tarse – v. 65 à Rome)
文化交わる現在のトルコに当たるタルススに生まれ、Paul de Tarse (タルススのパウロ) と呼ばれる。ローマ化したユダヤ教徒の家に生まれ、ヘブライ語名は Saül (サウロ)で、ラテン語名が Paul となる。生後8日で割礼し、ギリシャ語とヘブライ語を話し、戒律を厳しく守るよう教えを受け、エルサレムではガマリエルのもとで勉強もしている。二十歳のサウロはモーセ五書 (Torah) をよく理解する研究者としてのユダヤ教徒であった。
古代多神教と生まれつつあったキリスト教との間の架け橋的存在であったことも、キリスト教における主要人物の一人で、初期の布教、イエスの教えの解釈に多大な貢献をしたこともすでにわかっている。その彼が今なぜ興味を持たれているのだろうか。19世紀がそうであったように、21世紀の政治的状況が関係しているのかも知れない。その辺りを知るために彼の一生を見てみたい。
自らを神の子と名乗っていた若きサウロは、イエスの弟子たち一派を悪意を持って見ていた。そして、最大の暴力を持って彼らと対することになる。教会を破壊し、家々を襲っては住人を牢獄に投げ込んだ。さらに、キリスト教徒に迫害を加えるべくダマスカス (Damas) を目指し、彼らを引き連れてエルサレムに向かう途上、事件が起こる。光がさし、「サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエスの言葉を聞く。それから3日間眼が見えなくなるが、奇跡的に視力を回復したのはダマスカスのシナゴーグでイエスこそ神の子であると説教した時である。
この過激にして急激な新しい信仰への回心、完全なる豹変 (retournement du tout au tout) こそ、パウロを特徴づけるものだった。それからはすべてが入れ替わる。ユダヤ教徒がキリストの弟子に。迫害が伝道へ。守っていた戒律は、割礼であれ、安息日 (shabbat) であれ、食事の戒律であれ、すべて廃止へ。ユダヤ的なるものをすべて廃棄し、イエスこそすべての規準になった。
この完全なる回心を伝えるため、彼は稀に見るエネルギーを傾けることになる。地中海沿岸を三度に渡り踏破し、そこで教会を建て、共同体を組織し、集団の士気を高め、そこを離れるものを叱咤した。演説はうまいとは言えなかったが、その情熱に支えられた信念で持ちこたえた。怒りっぽく、権威主義的で情熱家であった彼は、生まれながら組織を作るのが上手かった。
そして、推定53歳から58歳にかけての三度目の旅
これでキリスト教が飛躍を遂げることになる。それ以来、彼の以前に人間を分けていたすべての違いは時代遅れとされ、キリストの中に人間の規範を見るようになる。そもそも "catholique" とは、古代ギリシャ語では "selon le tout" すなわち "universel" を意味するという。異教徒の伝道師パウロは、ユダヤ教の世界と新しい信仰との関係を体系的に壊していく。苦労を重ねた後、ネロによるキリスト教徒迫害の時に断頭されている。
それ以来、西洋史の流れの背後で彼が新らしい姿で影絵のように現れることになる。その理由はいろいろあるだろうが、一つには彼が書いたものが少なく、教義 のような形でも体系立っても書かれていないことがある。さらに、言い回しが矛盾していたり、論理的につながらなかったりしているため、その解釈が自由にな され、多様な人物像が出来上がることになった。事実、カトリックの思想家、アウグスティヌス (saint Augustin ; 354 - 430)、ジャック・ベニーニュ・ボシュエ (Jacques-Bénigne Bossuet ; 1627 - 1704)、パスカル (Blaise Pascal ; 1623 - 1662) のみならず、プロテスタントのマルティン・ルター (Martin Luther ; 1483 - 1546) やジャン・カルヴァン (Jean Calvin ; 1509 - 1564) などがパウロを描いている。さらに予想もされなかったことだが、19世紀になり社会の変革を期待するすべての作家がそれぞれの聖パウロ像を作るようになった。
彼に興味を持って書いている人には、19世紀ではサン・シモン (Claude Henri de Rouvroy de Saint-Simon ; 1760 - 1825)、オーギュスト・コント (Auguste Comte ; 1798 - 1857)、エドガー・キネ (Edgar Quinet ; 1803 - 1875)、ヴィクトル・ユーゴ (Victor Hugo ; 1802 - 1885)、ピエール・ルルー (Pierre Leroux ; 1797 - 1871) などの大物がいる。しかし、注意深く読んでいる人の中には彼を賛美するだけではなく警告を発する者もいる。例えば、エルネスト・ルナン (Ernest Renan ; 1823 - 1892) は彼のことを 「文明の最も危険な敵の一人」 とまで言い、ニーチェ (Friedrich Nietzsche ; 1844 - 1900) も 「憎しみの論理の天才」 と規定している。
ニーチェが言うように、彼は歴史を体系的に改竄することに成功した。キリストの前に存在したすべてのものは、掃き捨てられ修正された。それ以来、過去も未来も新しい歴史の歩みに沿って考えられるようになる。彼は過去を一掃するという恐ろしい装置を創造したのだ。ユダヤ教の過去も消え去るものとされたが、その論理が単にユダヤの教義だけではなく、その肉体の排除をも可能にすることにはならなかったのだろうか。1992年にスタニスラス・ブルトン (Stanislas Breton ; 1912 - 2005) は、パウロ主義 paulinisme がアウシュヴィッツに絡んでいたと躊躇することなく指摘した。
しかし、彼は今でも多くの人を魅了し続けている。20世紀においてもアラン・バディウ (Alain Badiou ; 1937 - )、ジョルジョ・アガンベン (Giorgio Agamben ; 1942 - )、スラヴォイ・ジジェク (Slavoj Žižek ; 1949 - ) などの仕事の中に生きている。
革命の英雄のモデル、政治装置の確立者、普遍の発明者など複雑で多面的な要素を持つ聖パウロ。これから先、どのような新たな接触が生まれるのか注意していきたい。
samedi 2 mai 2009
豚インフルエンザ (Grippe porcine; Swine flu) - 3
昨日遅く、こちらの日本大使館から通報が入った。それによると、5月1日夜、国内で2名の感染者が確認され、感染が確認される可能性が極めて高いとされる1名とあわせ、3名がパリ市内に入院中。いずれもメキシコからの帰国者で国内での二次感染ではない。すべてが軽症で、抗インフルエンザ薬で治療中とのこと。仏保健大臣は、彼らに接触した者についての追跡作業を行うと発表。
ル・モンドにも関連記事があり、確認されたのは49歳と24歳の方。
世界の感染状況で下のWHOの発表と異なる国は (おそらく、こちらが新しい)、
Mexique :343
Canada : 41
Costa Rica : 2
France : 2
Pays-Bas : 1
Allemagne : 5
Grande-Bretagne : 10
今日のNYTから。
アメリカでの感染が、前日の11州109例から金曜の昨日は19州141例に増えている。それから、メキシコから上海経由で香港に入った25歳の旅行者が感染していることが判明。6年前に襲ったSARSの記憶が蘇っているという。アジアの密集した社会では一旦広がると手がつけられなくなる可能性があるので要注意だろう。
WHOによると、5月1日現在の世界の感染者は11カ国257例から、13カ国367例に増えている。内訳は以下の通り。
USA (141; 死亡1)
Mexico (156; 死亡9)
Austria (1)
Canada (34)
Germany (4)
Israel (2)
Netherlands (1)
New Zealand (4)
Spain (13)
Switzerland (1)
UK (8)
Hong Kong (1)
Denmark (1)
ル・モンドにも関連記事があり、確認されたのは49歳と24歳の方。
世界の感染状況で下のWHOの発表と異なる国は (おそらく、こちらが新しい)、
Mexique :343
Canada : 41
Costa Rica : 2
France : 2
Pays-Bas : 1
Allemagne : 5
Grande-Bretagne : 10
今日のNYTから。
アメリカでの感染が、前日の11州109例から金曜の昨日は19州141例に増えている。それから、メキシコから上海経由で香港に入った25歳の旅行者が感染していることが判明。6年前に襲ったSARSの記憶が蘇っているという。アジアの密集した社会では一旦広がると手がつけられなくなる可能性があるので要注意だろう。
WHOによると、5月1日現在の世界の感染者は11カ国257例から、13カ国367例に増えている。内訳は以下の通り。
USA (141; 死亡1)
Mexico (156; 死亡9)
Austria (1)
Canada (34)
Germany (4)
Israel (2)
Netherlands (1)
New Zealand (4)
Spain (13)
Switzerland (1)
UK (8)
Hong Kong (1)
Denmark (1)
vendredi 1 mai 2009
豚インフルエンザ (Grippe porcine; Swine flu) -2
今朝、新型インフルエンザに関する通報がこちらの日本大使館から入っていた。それによると、WHOの警戒レベルが5になったこと、フランスでの現状は 「可能性が疑われる事例」 が32例(内2例は疑いが濃厚)であること、さらに関連情報をチェックするようにとの注意が添えられていた。
今日のNew York Times から。
WHOは、今回の感染を引き起こしているインフルエンザ・ウイルスの正式名をH1N1型と発表した。米国内の状況は、昨日(木曜)の段階で12州で114例が確認され、水曜の10州91例から徐々にではあるが拡大している。しかし、今後どのように進展するのかは明らかではない。
米国疾病予防管理センター(CDC)の責任者によると、警戒レベルを5に上げたWHOの判断に同意し、アメリカの準備は怠りがないとしている。また別の専門家の話として、今回メキシコで23か月の子供亡くなったことから直ちに今回のウイルスが危険であることにはならないとしている。アメリカでは毎年、36,000人がインフルエンザで死亡しており、その中にはそれまで健康だった75-150人の子供が含まれているという。
このウイルスの起源についてはまだ不明だが、これまでのウイルスより悪性という証拠はまだない。1918年, 1957年、1968年のパンデミックを起こしたウイルスに見られる遺伝子の変異は、今のところ見られていないという。
昨日ホワイト・ハウスは、オバマ政権の一員が4月中旬にメキシコに旅行した際にこの病気に罹っていたこと、妻と子供に感染したが現在は本人も回復し復職していること、さらに大統領とは接触していなかったことなどを明らかにした。
カナダでの感染が15例増え、計34例になった。
メキシコでの感染は312例で、うち12例が死亡している。
なお、以下のサイトで世界とアメリカの豚インフルエンザの発生状況がわかる。
世界の発生
WHO (OMS)
7月30日の状況:
11ヶ国が257例の報告をした。内訳は以下の通り。
USA (109; 死亡1)
Mexico (97; 死亡7)
Austria (1)
Canada (19)
Germany (3)
Israel (2)
Netherlands (1)
New Zealand (3)
Spain (13)
Switzerland (1)
UK (8)
アメリカの発生
Centers for Disease Control and Prevention (CDC)
今日のNew York Times から。
WHOは、今回の感染を引き起こしているインフルエンザ・ウイルスの正式名をH1N1型と発表した。米国内の状況は、昨日(木曜)の段階で12州で114例が確認され、水曜の10州91例から徐々にではあるが拡大している。しかし、今後どのように進展するのかは明らかではない。
米国疾病予防管理センター(CDC)の責任者によると、警戒レベルを5に上げたWHOの判断に同意し、アメリカの準備は怠りがないとしている。また別の専門家の話として、今回メキシコで23か月の子供亡くなったことから直ちに今回のウイルスが危険であることにはならないとしている。アメリカでは毎年、36,000人がインフルエンザで死亡しており、その中にはそれまで健康だった75-150人の子供が含まれているという。
このウイルスの起源についてはまだ不明だが、これまでのウイルスより悪性という証拠はまだない。1918年, 1957年、1968年のパンデミックを起こしたウイルスに見られる遺伝子の変異は、今のところ見られていないという。
昨日ホワイト・ハウスは、オバマ政権の一員が4月中旬にメキシコに旅行した際にこの病気に罹っていたこと、妻と子供に感染したが現在は本人も回復し復職していること、さらに大統領とは接触していなかったことなどを明らかにした。
カナダでの感染が15例増え、計34例になった。
メキシコでの感染は312例で、うち12例が死亡している。
なお、以下のサイトで世界とアメリカの豚インフルエンザの発生状況がわかる。
世界の発生
WHO (OMS)
7月30日の状況:
11ヶ国が257例の報告をした。内訳は以下の通り。
USA (109; 死亡1)
Mexico (97; 死亡7)
Austria (1)
Canada (19)
Germany (3)
Israel (2)
Netherlands (1)
New Zealand (3)
Spain (13)
Switzerland (1)
UK (8)
アメリカの発生
Centers for Disease Control and Prevention (CDC)
jeudi 30 avril 2009
豚インフルエンザ (Grippe porcine; swine flu)

今日の Le Monde、New York Times から。
WHOの発表によると、ウイルスの伝搬は収まりを見せておらず、警告レベルを4から5へ上げた。最高が6で、世界的流行 (パンデミック)の状態を指すので、その前段階ということになる。各国に早急な対処を求めている。世界的に感染が確認されたのは148例で、死者は>10。症状は普通のインフルエンザと変わりないらしい。感染様式は呼吸器を介して人から人で、いずれの例も豚からの感染は確認されていない。しかし、ロシア、中国では豚の輸入を中止、エジプトでは当局が家畜の豚を殺す決定をしたため、当事者との間で悶着が起こっているようだ。WHOはまだ移動の禁止には踏み込んでいないが、フランスはメキシコへの飛行を中止するようにEUに要求している。
2500人ほどが感染(内、99例は感染確認)、168人の死者(8例は感染確認)を出しているメキシコでは、集会、商業活動の禁止、学校、美術館、ジム、映画館、レストランの閉鎖、サッカーゲーム観戦の禁止を打ち出し、これから始まる祝日には家に留まるよう求めている。ただ、警察署、銀行、空港、バス、地下鉄はそのままとのこと。
アメリカ(ヒューストン)では、23か月のメキシコからの子供が初めてこの病気で亡くなった。現在、10州で91例の感染が確認されている。火曜には5州64例だったので確実に増えている。大統領もテレビ演説で注意を呼び掛けたようだ。専門家はウイルスが新しいのでほとんどの人は免疫がないため、感染がこれからさらに広がると予想している。現段階の感染者の2/3は18歳以下で、学校は感染者がいる場合にだけ閉鎖するように指示されているが、これからより厳しい方策が取られるかも知れない。国境は感染防止効果が明らかでないとの理由で閉鎖されていないが、これに関してはマケイン、リーバーマン両上院議員が疑問を投げかけている。
カナダでは19例の感染。スイスでも初めての例が報告され、ドイツ、スペイン、イギリス、オーストリアに続いた。
mercredi 22 avril 2009
哲学する時間としてのフランス留学
2007年秋からパリにおいて科学哲学を学びながら考える生活をしています。仕事を終えた後でのこのような経験も何かのお役に立つのではないかと考え、執筆を引き受けることにしました。
2007 年春までは、自分の仕事は永遠に続くものだと無意識のうちに思いながら自然科学の分野で研究生活を送っていました。ところが定年が目の前に見えた時に初めて、この世には自らの力ではどうしようもないものがあることを感じ、そこから自らの終りにも想いが向かっていました。同時に、仕事で使われている頭の領域が極めて狭いことにも気づくことになり、すべてが終わる前の時間をできるだけ広く頭を使うように過ごしたいと思うようになっていました。大げさに言うと、それまでは仕事に追われて手がつけられなかった人類がこれまで積み上げてきた遺産に触れることなくこの世を去ることが耐え難いことのように思えたということになります。学生時代に聞いたリベラル・アーツという懐かしい響きも蘇っていました。
もう一つ、今から思うと重要だったことに、実に不思議なフランス語との出会いがありました。未だになぜかわからないのですが、2001年春にフランス語がわたしの前に突然現れたのです。それ以来、何かのためではなく、ただその言葉に触れることで感じる無垢なる悦びがそこにあるというだけでフランス語を続けてきました。目的なしにそのもののためだけにやるということは、わたしの人生で初めての経験かもしれません。
このような背景のもと、最初に思い描いていたことは、フランスで哲学関係の研究室に出入りしながら、自分の持っているすべての時間を自由に使って人類の遺産を発掘し、自らの思索を深めたいという漠然としたものでした。しかし、どのような具体的な方法があるのかわからずに試行錯誤を繰り返していたようです。結局、希望を満たすような形でこちらに滞在するには学生になる以外に方法はないというところに落ち着きました。何と入学手続き締切ぎりぎりのこちらに来る数か月前というタイミングでした。
留学先としては科学哲学関係のところを探していたのですが、メールでは埒が開かず二度ほどこちらに足を運んでいます。学生になることなど考えてもいなかったこともあり、こちらの大学の状況は何も知りませんでしたので、実際にこちらに来ることで得られた情報は計り知れないものがありました。もしこちらに来ていなければ事は進んでいなかったのではないでしょうか。この間、フランスの大学の状況を知るために日仏学院内のCampusFranceを訪問したことがあり、そこでフランク・ミシュランさんから伺ったご意見には大いに勇気づけられたことを思い出します。結果的には、パリ第1大学、第4大学、第7大学、それにエコール・ノルマルが参加しているLOPHISS(Logique, philosophie, histoire, sociologie des sciences:科学の論理学、哲学、歴史学、社会学)というコースがあることがわかり、第一大学のJean Gayon 教授にコンタクトを取ったのが始まりになります。
大学院は教授の勧め通りマスターコース1年目から始めました。フランス語を始めて5-6 年、こちらの大学でフランス語を学びましょうなどと考えていた者にとっては大変な学生生活になりました。フランス語はもちろんですが、マスター1年目は幅広く学ぶことが求められていますので全く新しい情報が怒涛の如く浴びせられる講義に圧倒され、最初の半年はこれから先どうしようかと考えていました。コースごとの小論文や学年のメモワールは大変ではあるのですが時間をかけられるので何とか処理できたのですが、筆記試験と口頭試問には苦労させられました。しかし、教授の助言は的確だったと思います。1年目のこの経験がなければ、2年目で求められるインタラクティブなクラスには全く付いていけなかったと容易に想像できるからです。お陰様で最近あったマスター2年目のプロジェクトを発表する会も何とかクリアし、現在は2年目のメモワールに取り掛かっているという状態です。
フランス留学がどのような影響を与えているのか、まだその途中なのではっきりとはわかりません。ただ、若い時にアメリカで研究生活を送り、その影響下で長い間過ごしてきた者にとって、功利主義的な傾向の少ない考え方に目を開かされていることだけははっきり言えると思います。ものを考える時にまず枠組みのないところから始めることの大切さを思う時、今フランス的なものの見方があらゆるところに求められているのではないでしょうか。そういう複眼的な視点が得られたことは今回の留学の大きな贈り物のように感じています。これから先どのようなことになるのかわかりませんが、日本とフランス、あるいは科学と哲学の境界でどのようなことができるのかを模索しながら進みたいと考えているところです。
ポーランドのクラクフにて(2009年4月21日)
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フランス政府留学局(CampusFrance) のホームページ
「フランス留学体験談」 のために
2007 年春までは、自分の仕事は永遠に続くものだと無意識のうちに思いながら自然科学の分野で研究生活を送っていました。ところが定年が目の前に見えた時に初めて、この世には自らの力ではどうしようもないものがあることを感じ、そこから自らの終りにも想いが向かっていました。同時に、仕事で使われている頭の領域が極めて狭いことにも気づくことになり、すべてが終わる前の時間をできるだけ広く頭を使うように過ごしたいと思うようになっていました。大げさに言うと、それまでは仕事に追われて手がつけられなかった人類がこれまで積み上げてきた遺産に触れることなくこの世を去ることが耐え難いことのように思えたということになります。学生時代に聞いたリベラル・アーツという懐かしい響きも蘇っていました。
もう一つ、今から思うと重要だったことに、実に不思議なフランス語との出会いがありました。未だになぜかわからないのですが、2001年春にフランス語がわたしの前に突然現れたのです。それ以来、何かのためではなく、ただその言葉に触れることで感じる無垢なる悦びがそこにあるというだけでフランス語を続けてきました。目的なしにそのもののためだけにやるということは、わたしの人生で初めての経験かもしれません。
このような背景のもと、最初に思い描いていたことは、フランスで哲学関係の研究室に出入りしながら、自分の持っているすべての時間を自由に使って人類の遺産を発掘し、自らの思索を深めたいという漠然としたものでした。しかし、どのような具体的な方法があるのかわからずに試行錯誤を繰り返していたようです。結局、希望を満たすような形でこちらに滞在するには学生になる以外に方法はないというところに落ち着きました。何と入学手続き締切ぎりぎりのこちらに来る数か月前というタイミングでした。
留学先としては科学哲学関係のところを探していたのですが、メールでは埒が開かず二度ほどこちらに足を運んでいます。学生になることなど考えてもいなかったこともあり、こちらの大学の状況は何も知りませんでしたので、実際にこちらに来ることで得られた情報は計り知れないものがありました。もしこちらに来ていなければ事は進んでいなかったのではないでしょうか。この間、フランスの大学の状況を知るために日仏学院内のCampusFranceを訪問したことがあり、そこでフランク・ミシュランさんから伺ったご意見には大いに勇気づけられたことを思い出します。結果的には、パリ第1大学、第4大学、第7大学、それにエコール・ノルマルが参加しているLOPHISS(Logique, philosophie, histoire, sociologie des sciences:科学の論理学、哲学、歴史学、社会学)というコースがあることがわかり、第一大学のJean Gayon 教授にコンタクトを取ったのが始まりになります。
大学院は教授の勧め通りマスターコース1年目から始めました。フランス語を始めて5-6 年、こちらの大学でフランス語を学びましょうなどと考えていた者にとっては大変な学生生活になりました。フランス語はもちろんですが、マスター1年目は幅広く学ぶことが求められていますので全く新しい情報が怒涛の如く浴びせられる講義に圧倒され、最初の半年はこれから先どうしようかと考えていました。コースごとの小論文や学年のメモワールは大変ではあるのですが時間をかけられるので何とか処理できたのですが、筆記試験と口頭試問には苦労させられました。しかし、教授の助言は的確だったと思います。1年目のこの経験がなければ、2年目で求められるインタラクティブなクラスには全く付いていけなかったと容易に想像できるからです。お陰様で最近あったマスター2年目のプロジェクトを発表する会も何とかクリアし、現在は2年目のメモワールに取り掛かっているという状態です。
フランス留学がどのような影響を与えているのか、まだその途中なのではっきりとはわかりません。ただ、若い時にアメリカで研究生活を送り、その影響下で長い間過ごしてきた者にとって、功利主義的な傾向の少ない考え方に目を開かされていることだけははっきり言えると思います。ものを考える時にまず枠組みのないところから始めることの大切さを思う時、今フランス的なものの見方があらゆるところに求められているのではないでしょうか。そういう複眼的な視点が得られたことは今回の留学の大きな贈り物のように感じています。これから先どのようなことになるのかわかりませんが、日本とフランス、あるいは科学と哲学の境界でどのようなことができるのかを模索しながら進みたいと考えているところです。
ポーランドのクラクフにて(2009年4月21日)
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フランス政府留学局(CampusFrance) のホームページ
「フランス留学体験談」 のために
mercredi 1 avril 2009
JBS ホールデンに触れる "What I Require from Life" by J.B.S. Haldane
今日届いたこの新刊書を摘み読みする。
"What I Require from Life: Writings on Science and Life from J.B.S. Haldane" (Oxford UP)
この科学者との最初の出会いは、わずか数年前でしかない。それは神田の古本屋で彼の伝記(日本語訳)を読み、その激しくも充ちた生き様に接した時である。その本のタイトルはどこかに控えているが、今すぐには思い出さない。おそらく、Ronald Clark 著の "JBS: The Life and Work of J.B.S. Haldane" (1968) ではないかと思う。いずれ触れ直す機会があるだろうと思い、その時は仕入れずに店を出た。そして今回、科学雑誌の書評欄で彼の本が紹介されているのを見て読むことにした。
この本は弟子にあたる方(ヒューストンをベースにしているが、パリ大学の客員教授にもなっている)が師の文章を編んだもので、マルクス主義者の時代(1937-1950)とインド時代(1957-1964)に分けられている。その中から前期の文章をいくつか読んでみた。ひとつは「科学の普及のための文章をいかに書くか」、もう一つはこの本のタイトルにもなっている「この人生に何を求めるのか」というもので、いずれも難しい言い回しを避けながらもスパイスの効いた文章となっていて興味深かった。人生と向き合っている様子が伝わってくる。
前者で印象に残ったのは、遺伝学の文章にダンテの神曲から7つの引用をして批判されたことを挙げ、人間の思想の連続性を示すことの大切さを説いているところである。科学の普及のためには普段教えられていない人間の知や営みの統合を強調することが必要になり、そこに真の価値があるとしている。これは私がここ数年感じてきた、科学をする場合に使う頭の領域が余りにも小さく、それだけで終わることに対する違和感とも共通するものでもある。
それから「人生に何を求めるのか」では、次の4つを挙げている。一つは、仕事。アリストテレスが幸福を喜びの総和ではなく、止むことのない活動と定義していることを引いている。二つ目は、自由。書き、話す自由。三つ目は、健康。そして最後は、友情。同じ平面に立ち、相互に批判できるような関係。これらは誰もが求めることだろう。しかし、彼はこれに冒険を加えている。危険のない人生はマスタードのない牛肉だと言っている。これはこちらに来てわかるようになった比喩になるだろう。
"Life without danger would be like beef without mustard."
さらに、求めるのではないが望むものとして、本のある部屋、良質の煙草、自動車、毎日の風呂、庭、プール、近くにある海岸か川を挙げている。しかし、これらがなくても十分に満足して生活できるようだ。彼自身は求めるものを得ていると考えているが、仲間も同じように幸福を感じていなければ自分も満足できないという人間のようである。これは口だけではないということが伝わってくる。
最後に、この人生に求めるものとして死の条件について語っている。記録が残っている人間の最後として、次の三つの理由を挙げ、ソクラテスの死を最も羨むべきものと考えている。まず、自らの信念に基づいて死を選んだこと。それから、自らの求めるところをやり遂げ、しかもまだしっかりした状態(おそらく70歳くらい)で亡くなっていること。そして、最後は冗談を言い、笑って死んだことである。彼自身はすべてを満たすことは難しいと考えているが、もし二つを十分にやり遂げることができれば、友人は嘆きこそすれ、憐れむことはないだろうと結んでいる。
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