科学史を学問の一分野とした「科学史の父」と称されるジョージ・サートンと医学史研究家のヘンリー・シゲリストとの間で1930年代に行われた論争について触れたい。その前に、両者の簡単な紹介から。
1884年、ベルギーのゲントに生まれる。ゲント大学で最初哲学を学んでいたが数学に転向し、1911年に学位を取得。学生時代から小説、詩、エッセイを物し、オーギュスト・コントやアンリ・ポアンカレに傾倒し、科学哲学の基には科学史がなければならないと考えるようになる。1913年に最初の論文を科学史の雑誌 Isis に発表。第一次大戦の勃発でオランダ経由でイギリスへ亡命後、1915年にはアメリカに渡り生涯を彼の地で過ごす。1915年から1918年までハーバード大学で講義。レオナルド・ダビンチまでの科学の歴史を辿るプロジェクトが始まる。1919年に二つ目の論文を Isis に発表。1924年にはアメリカの市民権獲得。1940年にはハーバード大学教授になり、1951年退官。その後も1956年に亡くなるまで講義を続ける。彼は科学の継続性や魔術との近縁性を強調した。彼の主著 "Introduction to the History of Science" は3巻、4236ページに及ぶ。
1891年パリに生まれる。1917年、チューリッヒ大学医学部卒業。スイス軍で医療に携わった後、医学史の研究に打ち込む。チューリッヒ大学、ライプチッヒ大学を経て、1931年ジョンズ・ホプキンス大学へ移り、翌年にはウィリアム・ウェルチの後任として医学史研究所の所長に就任。1933年、後に "Bulletin of the History of Medicine" となる "Bulletin of the Institute of the History of Medicine" を発刊。1947年に退官するまでに8巻に及ぶ医学史を執筆。生前にはその1巻だけが1957年に出版される。
Aucun commentaire:
Enregistrer un commentaire