mercredi 31 mars 2010

Espace Éthique/AP-HP のコロックを聞く



3月29日(月)、保健省で開かれたコロックに参加した。WHOから生命倫理のための協力センターに指定されているエスパス・エティック (Espace Éthique/AP-HP) という組織ができて15年目を迎えるのを記念するコロックであった。WHOの協力センターは世界に5か所(内、ヨーロッパには2か所)ある。そのミッションは、保健の 倫理原則の作成に貢献する、能力開発の活動を行う、専門家の協力体制を作る、保健の倫理の領域におけるプロジェクトに協力するとなっている。午前のテーマ は、今日の倫理の枠組み、倫理への関与について、午後は保健衛生の具体的な危機における倫理からのアプローチになっていた。午前中だけの参加となったが、その印象を簡単にまとめてみたい。



Roselyne Bachelot-Narquin
(ministre de la Santé et des Sports)


コロックは保健省大臣のロズリン・バシュロー・ナルカンさん(写真中央)の挨拶で始まった。司会者のエスパス・エティックの代表者エ マニュエル・ヒルシュさん(パリ第11大学)(写真左)が、彼女の政治家としての信条やこれまで如何にこの分野に理解を示してきたかについて、エスパス・ エティックの歴史に照らしながら淡々と紹介していた。バシュロー大臣は一語一語噛みしめるように話していた。静かに広がりを見せるその世界には、倫理とい うテーマのせいなのか、あるいはフランスというお国柄なのか、哲学的な香りが流れていた。

聞こえてきた鍵になると思われる言葉は、倫理と 責任、共有する価値、正義、不公正に対する戦い、不足に対しての行動、末端から中心へ、専門家を超えて、倫理法の再検討、開かれた精神と討論、科学的真 理、厳密な省察、倫理の低下の拒否、主権国家フランス、国際基準と国際的な省察など。国のミッションは、最良の医療を提供すること。そのためには、主権国 家ではあるが、医療(治療と研究)に関しては国際的な規準に合わせなければならない。その上で倫理的視点を維持していくことが重要であると結んでいた。政治家の微笑みだけとは思えない素敵な笑顔を見せながら、« Je vous souhaite une fructueuse journée. » (実り多い一日になりますように!) という言葉を残して会場を後にしていた。




それから8人の方が自らの考えを発表した。以下順不同で。

倫理は哲学の領域に入るが、あくまでも実践と深く結び付いている。bioéthiqueという言葉は1970年にアメリカのがん研究者だった Van Rensselaer Potter (1911–2001) が初めて使ったとされることが多いが、実は1927年にドイツの神学者Fritz Jahrによってカントの道徳的視点を動物にまで敷衍する形で使われている。

WHOの方の発表によると、世界では未だに医療行為の30%はその内容がはっきり記載されていないという。このことは、今後有効な治療をすることはもちろんだが、それと同時に倫理的にそれが正しいのかを考えることが重要になるだろう。その意味するところを考えるヒントがいろいろなところに転がっていた。

遺伝学の専門家は医療のミッションをこう説明していた。第一に、現在の最高の医療を提供すること。この場合の「提供」だが、一方向の行為ではなく、一緒に働く (travailler ensemble) と捉えるべきもの。第二には、医学を前に進めるイノベーションをすること。治療とイノベーションを念頭に置きながら、看護・治療、研究、教育を一体のものにすることが求められる。この二つのミッションについては多くの方が指摘していたが、当然の目標になるだろう。

そのための教育は、まず学問的知識を吸収すること、どのように人に接するのかを学ぶこと、それから現場から一歩引いて考え、瞑想する機会を持つセミナーを取り入れること、さらに質問に答えるだけではなく、ある状況に対して質問を考え出すことを取り入れ、この両者を絡ませることなどが提唱されていた。

倫理というと過去に眠っている古臭いものと考えられがちだが、実際にはわれわれの生活のあらゆるところの中心にあるアクチュエルなものである。会場から、倫理的な問いかけの中で日常の医療に携わるのが理想だろうが、実際には忙しくそのような時間がなく困っているという質問が出ていた。これに対しては、こう答えていた。倫理を常時頭に入れて行動するのは不可能だろう。ある間隔をおいて、一度引き下がって内省の時間を持つことはできるのではないだろうか。その時に倫理的な修養が生きてくるはずである。

不安という概念や災害という人生の事件に対する時大切になるのが、日常的な意志になる。赤十字は戦争という状況の中で倫理に目覚めたアンリ・デュナンにより始められ、国境なき医師団もその延長線上にある。倫理で重要になるのは、自由な選択と情報を与えられたうえでの選択。一つの方向性を見出すには公開討論という場を活用することが重要になる。そこでは医学、科学、法学、経済、、など領域を超えた出会いがあり、一つの問題を一緒に考えることにより、最終的には新しいものの見方が生まれる可能性がある。そうなるように、この場を運営しなければならない。このような学際的な交わりについては多くの人が取り上げていた。倫理の性格を考えると避けられないキーワードになるだろう。

ただ、アメリカの大学で働いた経験のある方は、フランスの大学は規律が厳格 (disciplinaire)なので、multi-disciplinaire になりにくい特徴があるとやや皮肉を込めて指摘している方がいた。私自身は、現在領域を跨ぐようなプログラムにいるせいか、この点には必ずしも同意できなかったが、アメリカとの比較で言えば、やはりダイナミズムは落ちるのかもしれない。

倫理的な資質として重要な点について、マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878-1965)から3つの要素が引用されていた。

1) 内的生活 (la vie intérieure)
2) 他人の内面を想像しようとする共感 (l'empathie)
3) 科学的知識などの外的世界(l'extérieur)

このことに関連して、連帯感 (solidarité) という言葉も出ていた。

災害の場合には、被害を受けやすい人がいる。それは身体的な条件だけではなく、むしろ社会的・経済的要因によることが多い。この要因を考慮に入れた対応が求められる。予防原則 (principe de précaution) も念頭に置く必要がある。

行政の課題として、分散している保健と研究担当の省をまとめること、同様にいくつかの組織が出している生命科学・医学の研究費を一か所に統合すること、その上で研究責任者に対しては成果に応じた対応がされることなどが出ていた。現在、大学はアメリカ流に学長に権限を集中した自立した組織になったので、大学の運命は各大学に任されている。どのような人をリクルートしようが、どのような報酬を払おうが自由になったのだ。このシステムを通じて世界的な大学になることが求められている。病院も大学と結びついた研究病院にして、イノベーションを高めなければない。

これらの外的条件の整備とともに、あるいはその前に重要になるのは、科学知をもとにした共感や瞑想という個人の内的生活の充実になるのではないだろうか。



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dimanche 28 mars 2010

AAAS 2010 から: "Unscientific America"、そしてエリック・ランダ―博士講演



この本は理由は思い出せないが昨年手に入れたもの。今日のアメリカの動きを追っているが、それが遠くに感じられたのか、その見方にあまり深みを感じなかったからだろうか、少しだけ読んでそのままになっていた。それを再び手に取ることにしたのは、今回のAAAS会議でどなたかがこの本に触れていたからである。

改めて若手のライターと科学者のコンビの手になるこの本を読んでみると、アメリカの空気を吸った後のためか、以前よりはよく入ってくる。文章の構造や言葉がわかりやすく、easy read である。大きなテーマは、以前ここでも取り上げたことのある CP Snow の 「二つの文化」 の命題とも関係している。すなわち、自然科学と人文科学との乖離の現状とそれが齎す問題点、さらにはその対策とでも言うべきものだが、この本で人文科学に当たるものは自然科学以外のすべてを指していると考えてもよいだろう。

彼らはこの乖離を、科学と一般社会、科学と政治、科学とマスメディア、科学とエンターテイメント、科学と宗教などに分け、現在進行中の卑近な例を引いて論じているので、参考になることが多い。結論は、両者の歩み寄りが必要ということで、そのためには科学の方も積極的に努力しなければならないと語りかけている。読み終わってこの本のタイトルを見ると、科学を営みとしていないアメリカ人がどんどん科学から離れている現状をややセンセーショナルに表現していることがわかるが、これは日本でも変わらないだろう。昨年暮れに事業仕分けがあり、ノーベル賞学者、大学学長、学会などが慌てて表に出ていたが、喉元過ぎればの状態なのか、その後の科学の側の動きが伝わってこない。

この本の著者は、科学が例えばお金を欲しい時だけ政治に近づくという姿勢では理解されることはなく、政治が必要としている時には日常的にアドバイスをするという友好的で永続的な関係を築かなければならないと考えている。そのためには、コミュニケーション能力に長けた人材(ここでは懐かしいカール・セーガンがよく出てくる)を養成しなければならないことも指摘している。これは他の世界との関係でも同様で、例えば、米国科学アカデミー(日本学士院のようなもの)は映画産業との関係構築のためにロサンゼルスに事務所を開く努力をしているという。

今や新聞はその存続が危ぶまれるようになっている。その大きな原因はネットと見ているようだが、その影響でまず科学に関するセクションが削られ、科学記者も解雇の対象になっている。テレビも同じ状況のようである。ネットに情報は溢れているが、その気にならなければそこに辿り着かない中、科学が否応なく日常に顔を出す機会が圧倒的に減ってきている。このような事態を見ると、科学者が考えなければならないことは山ほどありそうだ。

前回の大統領選の時に、6人の市民(中心人物 Matthew Chapman の高祖父はチャールズ・ダーウィンとのこと)がアメリカの科学を復活するために政治と対話しようと呼びかけ、数週間の内にノーベル賞学者を含む4万近い人から賛同を得て立ち上げた組織を ScienceDebate 2008 と名付けた。しかし、このディベートに大統領候補マケインとオバマを引き込もうとしたが、二人ともそれを無視したという(文書では回答したようだが)。アメリカでも科学の話題に政治家は積極的に参加しなかったようだ。しかし、選ばれた後のオバマ大統領はブッシュ時代の科学との対決姿勢を一変させ、科学をその相応しい場所 (its rightful place) に置くと言明している。そのための第一歩として、ノーベル賞受賞者として初めての大臣を務めるスティーヴン・チュウ (Steven Chu) エネルギー省長官を筆頭に、多くの錚々たる科学者を政権に登用していて、その志の高さを感じさせる。



Dr. Eric Lander

Director, The Broad Institute of MIT & Harvard U
Co-Chair, President's Council of Advisors on Science & Technology
(February 20, 2010)


AAAS会議3日目に PCAST の代表でヒト・ゲノム解析の第一人者でもあるエリック・ランダ―博士 (数学博士とのこと) がオバマ政権での13ヵ月について報告していた。大統領の言う科学に相応しい場所がどこなのかを探り、そこへの道を作ることが彼の仕事のようだ。大統領の科学についての演説は PCAST のリンクから見ることができる。しかし、これはマスコミではほとんど取り上げられなかったという。上で触れたマスコミの現状の一端を見る思いだが、ウェブの整備によりそれを知ることができたことはせめてもの救いだろうか。ランダ―氏のお話に出てきた主な点を以下に。

* 科学予算はGDPの3%以上を目標にする (現在2.66%。日本は総額では圧倒的に少ないが、GDP比は3.6%と世界一
* 基礎研究には時間がかかり民間は金を出さないので、政府が支援する
* 教育にも力を入れ、STEM (Scientist, Technologist, Engineers and Mathematicians) プログラムを目玉にする
* 毎年のサイエンス・フェアを利用し、スポーツ選手やアーティストと同じように科学者を紹介したり、ホワイトハウスに招いたりして、科学者が "cool" な仕事であることを若い世代にアピールする
* 情報が鍵になるので、その伝達に関わるところを支援する。
それから、火星に人を送る計画も口にしていたように記憶している。その心は、最近の宇宙飛行はルーチン化して誰も興味を示さなくなった。宇宙開発の初期のように、家中の人がテレビの前に齧りつくようなチャレンジングなことをやりたいということらしい。

PCAST の責任としては3つの engagements をあげていた。一つは stewardship と言っていたが、科学の進む方向に道筋をつけ導くこと。ここで注意すべきは、大プロジェクト中心の支援と個人に対する支援のバランスで、そのバランスを欠くと将来に禍根を残すだろう。 第二は経済への視点で、膨大な予算を扱うのだから経済学者との共同作業が必要になるというもの。その扱いを間違えると科学の直接跳ね返ってくる。第三は上にもあげた教育の問題。

会場にはアメリカの科学界が政権に送り込んでいる人の話を聞くという空気がどこかに流れているのを感じていた。お役所の人に来ていただいてお話を伺うというのとは全く違う。彼自身もエネルギッシュだが、このような関係そのものが非常にダイナミックである。科学の中の境界を超えるだけではなく、科学と社会との関係にも重点を置いて活動してきたAAASの実績の成せる技なのだろうか。日本の場合には完全にあなた任せで、予算を勝ち取ったなどという感覚は皆無に近い。政治との接点はおそらく少数の個人に任されていて、科学界やその構成員がその過程に関わっている意識がないところではそれは無理だろう。アメリカの空気に少しだけ触れ、日本の科学界もその構造自体を見直さなければならない時期に来ているように感じていた。政治も変化している時期なので、科学の方も動きやすいのではないかと想像する。

これは余談だが、ランダ―氏はオバマ政権の13ヵ月というところを13年と言い間違えたのに気付き、プレスは私が何を考えているのか早速書くだろうと冗談を飛ばしていた。こういう瞬間が気に入っているのだが、今この時に全身で対峙しているのがわかり、今が生き生きとしているのを感じるからだろうか。


このお話の底流には、科学と社会が一体になることにより、われわれの未来をより豊かなものにできるという信念があり、そのために動き出しましょうというメッセージが込められている。


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現在のアメリカの状況についての感触を以下のサイトで掴むことができるかもしれない。

A Dangerous Divide: The Two Cultures in the 21st Century
(The New York Academy of Sciences) 
3ページ目にビデオのリストがあります。


AAAS 2010 から: AAAS会長ピーター・アグレ博士講演

president of AAAS
director of the Malaria Research Institute at Johns Hopkins University
2003 Nobel Prize in Chemistry
(February 18, 2010)


初日の夜は、ピーター・アグレさんの会長講演があった。始まる前に会場の様子を見ていたが、先日も触れたように人 間が生き生きしている。礼儀はもちろんあるが、その前に人間があるという印象である。講演では自らの人生と研究を振り返りながら、終始社会に貢献しようとしている姿が浮かび上がってきた。いくつか興味を惹いたことがあったので記しておきたい。

彼の先祖はノルウェイからの移民で、父親は化学の学者だった。研究室に顔を出しているうちに父親が最初のヒーローになった。それからノーベル賞を2度もらっている(化学賞と平和賞)ライナス・ポーリングとその一生をアフリカはランバレネの医療に捧げたアルベルト・シュヴァイツァーを人生のヒーローにあげていた。アグレさん自身もジョンス・ホプキンスで医学教育を受けているが、シュヴァイツァー博士に関しては、内に秘めた情熱とそれを実行に移す生き方に惹かれたようだ。

ポーリングに関しては化学者として尊敬しているのはもちろんだが、それと同じかそれ以上に平和賞のもとになった社会活動に身を捧げる科学者としてのポーリングに敬意を払っている様子が伝わってきた。例えば、イスラム圏のアメリカに対する感情はほぼ完全にネガティブだが、アメリカの科学に対しては必ずしもそうではないというデータから、人類の福祉のために政治家にはできないが科学者にはできることがあるのではないかと指摘していた。彼自身の歩みを振り返ると、その考えを実践していることがわかる。

彼が関わった有名な事件として、2004年、リビアの子供をHIV感染させたとしてブルガリア人看護師とパレスチナ人医師に銃殺刑が宣告された一件がある。この時、カダフィは名誉ある撤退を模索して米国科学者のチャネルに接触してきて、彼もそこに関わったという。その他にも数件、人権の擁護に関わる事件に関与している。科学者が人助けをできることは、単純に "feel good" であると淡々と語っていた。それからキューバや北朝鮮など、科学者の意志は高いが、孤立していて実質的に進めることが難しい国との協力関係を築こうとしている。

彼のノーベル賞に繋がった分子がマラリアの治療の標的分子になり得る可能性を示した時、初めての話を聞くことになった。ポーリングがマラリア多発地帯に見られる赤血球が変形する鎌状赤血球症の原因は、ヘモグロビンという分子の異常によることを1949年に明らかにした。これは病気が分子の異常によって起こることを示した初めての報告になり、分子遺伝学、分子医学という領域が発展する契機にもなった重要な研究である。私が初めて知ったのは、その研究が Harvey Itano という "Nisei" によって行われたこと、しかも彼が "Nisei" であったため、カリフォルニア大学バークレー校を優秀な成績で卒業したにもかかわらず、直ちに収容所に送られたことであった。アグレさんは Itano 氏の立場にシンパシーを示しながら、その時の写真とともに彼は今は退官してサンディエゴに住んでいることを紹介していた。彼の世界の見方の一端を知らされた瞬間であった。これは余談だが、こちらに来る前のシャルル・ド・ゴールでマラリアのポスターを見ていたので、この話を聞いた時に、あれっと思っていた。

彼がノーベル賞受賞の知らせを受けた2003年の朝、母親に連絡した時のこと。彼の妻に母親が、あまり頭でっかちにならないようにさせてくださいと言ったという。その意味について、具体的に人の役に立つことをすることが大切だと彼女は考えているのだと解説していた。彼の歩みの根っこには、彼の母親の哲学が生きているのかもしれない。


dimanche 21 mars 2010

これからは哲学・観想が求められる時代



« Tant de mains pour transformer ce monde et si peu de regards pour le contempler ! »
 
Julien Gracq, Lettrines (1967)

「この世界を変容するために多くの手が煩わされているが、そのことを観想するための眼差しの何と少ないことか!」 
(ジュリアン・グラック 「花文字」、1967年)


エジプト出身で半世紀以上パリのアパルトマンで暮らし、2008年にパリで没した小説家アルベール・コスリさんのインタビュー Conversation avec Albert Cossery (Editeur : Joëlle Losfeld, 1995) の冒頭を読んでいる時、上の言葉に出会った。これを見た瞬間、私が哲学に入った時の心象風景を思い出し、暫し思索に浸っていた。

この言葉は現代の状況が抱える大きな問題を的確に指摘しているように見える。端的に言うと、それは哲学の欠如に行き着く。現代社会を動かしているもののひとつに科学がある。それは科学に内在するモーター、すなわち科学者の興味や技術的に可能となるフロンティアに向かって突き進む特質を持っている。そこには価値判断は入らず、科学の自律性に則って動き続ける傾向がある。そのため社会の役に立つもの、利便性を満たすものという短期的な視点から選ばれる目的のために科学が技術として使われ、社会は否応なく変容させられることになる。このような科学の持つ特質ゆえに求められる営み、すなわち科学の意味や科学の進むべき方向、その帰結についての思索、観想、議論をしようとする空気があまりにも希薄なのである。

この問題を解決するには、どのような方法が望ましいのだろうか。まず、科学を取り巻く問題について思索することを広く科学者に求めるのは、彼らを取り巻く状況を考えると少々酷に見える。それほどまでに科学者の生存は厳しいものになっている。それでは誰がその役を担わなければならないのだろうか。すぐに頭に浮かぶのは、この問題を専門にしている科学哲学者だろう。哲学なしに十分に科学ができると考えている科学者が科学哲学者と接触することは、これまではほとんど皆無であった。しかし、まだ数年の経験ではあるが、科学哲学で扱われる問題は科学者にとっても貴重なものを齎すと確信するに至った現在、この状況は変えるべきものとして映っている。これからは科学者が異分野に心を開くと同時に、科学哲学者の側も自らの枠を出て科学と直接交わることが求められるだろう。ここで気になるのは、科学哲学者の数、特に科学の内容に精通した哲学者の数である。形而上学的な視点からの考察を専門にする哲学者の場合、科学を熟知している場合に陥るかもしれない科学に偏った判断を避けることに繋がることもあるだろうが、その逆の可能性もある。

第二の候補として、科学者の中で科学を上から見ながら哲学的に科学を捉え直したいと考えている人たちが考えられる。このような志向の科学者はこれから益々貴重になるだろう。私の短い経験によると、少し時間はかかるかもしれないが、ある程度の基礎的な教育を受けた方が得られるものが大である。その意味でも、理系教育(大学、大学院)における科学哲学教育、あるいはすでに科学者になっている人たちにも開かれた教育システムが必要になるだろう。ここから生まれる人材も含め、科学者や哲学者などが領域を超えて科学の世界に働き掛けることによってしか現状に変化を齎す方法はなさそうに見える。

このような新たな観想の視点は、科学の営みの中で蓄積されてきた生のデータがどれだけわれわれの知に反映、還元されているのかという大きな疑問に向き合う時にも大切になる。科学の将来について考えているシドニー・ブレナー博士の次の言葉にもその問題意識が表れている。

"The first thing we have to consider is how to convert the vast amount of information that we are accumulating into knowledge." 

(An interview with... Sydney Brenner.
Nat Rev Mol Cell Biol 9: 8-9, 2008)

「まず第一に考えなければならないのは、 われわれが蓄積している膨大な情報を如何にして知識に変換するかということである」


この問題解決には、科学のデータを読むことができる科学者が乗り出さなければならないだろう。科学が社会から隔絶され、目に見える技術的な進歩が出た時にだけ注目される今の状況を考えると、科学と社会を結ぶ定常的な関係構築が必要になる。その意味でも、科学の営みからどのような知が生まれ、その知によりわれわれの存在にどのような新しい光が当たっているのかを明らかにし、科学を超えた言葉で社会に向けて広く説明することが大切になる。その努力を怠っていると、最終的に科学自身の首を絞めることに繋がるだろう。ただ、ブレナー博士も指摘しているように、データを集めるためのグラントはあるが、データをまとめ、比較し、それらの繋がりから何らかの意味を理解するためのグラントはない。したがって、この仕事で自立することは非常に難しくなる。本気でこの問題を扱おうとする場合、お金をどのように配分するのかという基本的なところに還らざるを得なくなる。

私自身が科学から哲学に移ってきた背景には、これらの問題意識と通低するものがあった。哲学の中だけで活動するのではなく、哲学的視点を用いて科学を広く考え、科学の現場と接触することを視野に入れている。哲学がこれまでに培ってきた膨大な成果を取り入れながら科学の問題を考え、観想していくという息の長い歩みになる。このような営みには、単に科学の身を守るという効果だけではなく、科学自体が豊かになる可能性が秘められていると確信しているからでもある。

さらに視野を広げると、同様の問題は科学や医学に限らず、政治、経済をはじめとする社会のあらゆる局面で見られるはずである。これらの問題に対処するためにも、対象を広く捉えて観想する姿勢の重要性を説く哲学に目を向けることが不可欠になると考えている。


samedi 20 mars 2010

アジア、そして世界における科学を考え直す時


新しく来た科学雑誌に目を通す。これまでアメリカで定期的に開かれている会議が海外でも開かれるようになっていることは知っていたが、アジアの場合には中国で開かれることが多くなっている。今回目に付いたのは Cold Spring Harbor Lab の会議だが、これからそのような機会が益々増えるのではないかという印象を持った。欧米の会議を日本でやる必要はないという考え方も理解できるし、日本にいるとそのような考えになるのは自らを振っても納得がいく。しかし、国際的な基準しかない科学のような世界では、外との日常的な接触が不可欠になるのではないだろうか。

日本の場合には世界を視野に入れた戦略的な思考が苦手で、世界に訴えかけるような姿勢に乏しい印象がある。島国の中に落ち着いてしまうとそういう視点を日常的に持つのが難しくなるのかもしれない。先月サンディエゴであったAAASの会議ではアジアの科学コミュニケーションの現状を扱ったセッションがあり、日本、中国、韓国の代表者が発表していたが、アジアの特徴は国が前面に出ていることだろうか。中国は国がすべてを決めている。科学を知らない農民が多いので、とは責任者の発言。それから韓国、そして日本の順に国の影響が少なくなるような印象を持った。アジアにおける国の関与の大きさにはアメリカの司会者も目を見張り、同じ科学とは言いながらここまでその姿が違うのかと驚いていた。

すべてを国がやる中国のスタイルがよいとは言えないだろうが、これから世界の中で生きていこうとする気概と戦略を持っているように感じた。大陸にある中国には日本人にはない世界の中の中国という感覚が自然に身に付いているのかもしれない。アメリカで活躍する中国人科学者の数も多く、彼らはアメリカ社会に積極的に入ろうとする姿勢が強い。人口においても圧倒する中国は科学の世界でも大国になりそうな予感がしている。その上で日本はどのような道を取るべきなのだろうか。それを考える際には単なる言葉の羅列ではなく、動きを伴った大胆さが求められるように思う。


samedi 6 mars 2010

AAAS 2010 から: "The environment as a source of infection"



感染症の源泉になっている環境についてお話したのは、メリーランド大学とジョンス・ホプキンス大学のリタ・コールウェル博士。以下は簡単なメモ。

まず第一に、国際的な移動をする人の数が年々増えていることを指摘。
それから、具体例として砂漠の砂の移動をあげていた。サハラ砂漠、北アフリカの砂がイタリア方面に運ばれ、その中には微生物が大量に見つかっている。感染症だけではなく、喘息の増加も指摘されている。日本であれば黄砂の影響。




2002年の全人口における死因を見ると、心血管系疾患が29%、感染症19%、がん13%、呼吸器・消化器系疾患10%となっている。




しかし、5歳以下の小児を見ると、新生児期の病気37%、急性呼吸器感染症19%、下痢性疾患17%となり感染症の割合が増している。



John Snow
(1813-1858)

1854年、ロンドンでコレラが大流行したが、ジョン・スノーはその伝搬が水によるものと特定し、公衆衛生の歴史に大きな足跡を残した。疫学の父とも言われる。その際に、彼は現場の人との話、ロンドンの地図と統計を用いてコレラ発生が水道ポンプの位置と一致することを明らかにした。コレラ菌の発見はその30年後の1883年にコッホによるとされるが、実際には1854年にイタリア人医師フィリッポ・パチーニ(Filippo Pacini, 1812-1883)によって記載されている。その間無視されていたようだ。

世界の国別コレラ発生を見ると、例えばアフリカのモデル国であっても、政情が不安定になり公衆衛生が等閑にされると一気に広がる。また地球規模の環境の変化が病気の発生を決めることがあるので、ジョン・スノーの地図として、今はサテライト映像を利用して海水温度や海水レベルなどをモニターしている。病気が社会や環境により決められている一例だろう。



John Muir
(1838-1914; founder of the Sierra Club)


シエラ・クラブの創設者、ジョン・ミューアの 「自然の中にあるすべてのものは全宇宙と繋がっている」 という言葉を紹介していた。ディスカッションの中での発言からいくつか。ヒトのメタジェノミクスがNIHで始まったところだが、環境の広範なメタジェノミクスも必要になる。水が汚染されたままでワクチンを投与しても効果は見込めない。むしろ、きれいな水の方がワクチンより効果があり、濾過器(ナノテクノロジーによる)の普及が必要になる。



Dr. Rita Colwell (U Maryland & Johns Hopkins U)