lundi 11 mai 2009
「フランス絵画の19世紀」展に寄せて ― 注意深さと悦びについて ―
絵画を味わうとは一体どういうことだろう。そもそもなぜ絵画と向き合うのだろうか。芸術作品と意識して向き合うようになってからまだ時間は経っていないが、その切掛けになった出来事から現在に至るまで過程を振り返りながら今の段階で言えることを改めて考えてみたい。
音楽との付き合いは長いが、絵画や彫刻などの造形芸術との意識的な接触はまだ10年にも満たない。その引き金が引かれたのは、5-6年前から積極的に始めたフランス語との出会いではないかと思っている。その教材に使われている芸術作品をフランス語で読むという過程や、その頃から努めて通うようになった展覧会という空間において、大げさに言うと美の発見の悦びを感じるようになっていた。フランス語との接触により、今ここにあるものに止まらず、これまでに蓄積されてきたすべての事に敏感になり、注意深く観察するようになっていた。この注意深さこそ、芸術作品と触れ合う時に大切なことではないのか。この注意深さこそ、ただ流れているだけにしか見えない日常の中に隠れている非日常を見る目をもたらしてくれるのではないのか、と気付くようになっていた。芸術作品を味わうということは、注意深さという性質を通して人生を味わうことと同義ではないかと思い至った瞬間になる。
2005年のある夏の日。古本屋に置かれていた堀田善衛(1918-1998)の「美しきもの見し人は」(朝日選書、1995年初版)を手に取った私は、その序にあった次の言葉に反応していた。
「元来、ヴァレリイの言うヨーロッパ、それを構成する三つの主柱、すなわち、ギリシャ、キリスト教、科学精神といったものの、このどれ一つをとってみても、なみの日本人としての生活感情を生なままで、それをもったままで近づいて行って、ごく自然にこの三つのものの、どれ一つとして自然にわれわれのなかへ入って来てくれるというものではない、と思われるのである。 [・・・]
正直に言って、誰しも何等かの無理をしなければならないのである。つまり、勉強、ということがどうしてもともなう。そうして、この無理と努力の報酬としての感動がある、というかたちになっていることが大部分の例であろうと思われる」
当時は科学の領域に身を置き研究に打ち込んでいたが、まずヴァレリー(Paul Valéry ; 1871-1945)の言っている「科学精神」という言葉に新鮮な驚きを感じていた。それから、ギリシャ、キリスト教が体の一部になっていないわれわれが、ヨーロッパ芸術を味わおうとした時に出会うであろう無理についても納得していた。しかし、堀田は「私の努力は、なるべく努力をしない、勉強をしない、ということに注がれることになる」と続けている。自分の感性を信じ全身を晒すという堀田の態度は、わたしが作品に接する際にそれまで取ってきたものと重なるところがあり、大いに力づけられたことを思い出す。
予習をしない。自分の感性を信じ、全身を作品の前に晒した時に起こる内なる揺らぎを注意深く観察する。そこで自分が揺れる作品、悦びをもたらしてくれる作品、何かの意味を感じる作品が飛び込んでくるのを待つことになる。自分の感性に触れないようなものは無視してしまう。芸術のために生きているわけではないのだから。生きるために芸術を味わうのだから自分の感性を信じるしかないだろう。そして、自分を揺らした作品についてさらに探ることになる。探りたくなるのである。芸術家やその周辺の人物について、絵の主役や脇役や背景について、他の人の見方について、さらにそこに流れる音楽について、などなど限がない。この自発性が生まれた時、芸術は一気に近い存在になってきた。それを手がかりに世界がどんどん繋がり、広がり、深まりを見せてくる。その全体を改めて見渡す時、深い静かな悦びが訪れてくるのだ。
ところで、今回の「フランス絵画の19世紀」展で取り上げられているアカデミズムとは一体どのような絵画を言うのだろうか。実はこの展覧会のお陰で、これまでに出会っていた「ホラティウス兄弟の誓い」、「マラーの死」、「ナポレオンの戴冠式」、「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」のジャック・ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David ; 1748-1825)、「横たわるオダリスク」、「ナポレオン」、「ヴァルパンソンの浴女」、「泉」、「トルコ風呂」のドミニク・アングル(Dominique Ingres ; 1780-1867)、それから最近友人になったばかりのジュール・バスティアン・ルパージュ(Jules Bastien-Lepage ; 1848-1884)がこの派に属していることを知ることになった。一番新しいバスティアン・ルパージュについてはほぼ1年前、オルセーで「10月、じゃがいもの収穫」(Saison d'octobre, récolte des pommes de terre)を目にしながら通り過ぎようとした時、何かを訴えかけられているように感じて戻ったのが発見の切掛けになった。いずれも若い時であれば全く興味を示さなかったであろう画家になる。
アカデミズムの流れを理解するためには、フランス革命(1789-1794)に始まる歴史を18世紀にまで遡って見直す必要があるだろう。アカデミズムの第一世代はこの革命を掻い潜っており、芸術と謂えども社会の動きとは無縁ではなく、特にこの時代は政治との関係を抜きに芸術を見ることはできないとさえ言えるからである。フランス革命以前の社会は、聖職者、貴族、平民からなる階級性が固定化し、それに伴って聖職者、貴族に対する年金支給や免税措置などにより富が偏在する絶対君主制のアンシャン・レジームであった。この時期にディドロ(Denis Diderot ; 1713-1784)、ダランベール(Jean Le Rond d’Alembert ; 1717-1783)による百科全書、さらにルソー(Jean-Jacques Rousseau ; 1712-1778)、ヴォルテール(Voltaire ; 1694-1778)に代表される考え方が浸透するようになる。それは、社会習慣や権威に身を任せる姿勢を理性や科学精神、批判精神をもって検討し直すことにより、客観的真理の発見を求め、人間を解放しようとするものであった。そして、それは自然に社会秩序を改革する期待へとつながっていった。しかし、理性や科学に信を置く啓蒙思想、物質主義に対し、不合理なもの、曖昧なもの、感情などの人間的側面を賛美、信奉する人たちも残っており、古代への憧憬も現れていた。このような対立は科学絶対主義の時代にも見える現代でも確認することができ、人類の歴史と寄り添うものかもしれない。いずれにせよ、これらの思想的背景のもと、理性に基づき平等な新秩序を構築しようとする革命勢力とアンシャン・レジームを維持したい反動勢力が激しくぶつかることになる。
革命後にできた第一共和政(1792-1804)は、ナポレオン(Napoléon Bonaparte ; 1769-1821)の第一帝政(1804-1814)により10年ほどで終わりを迎える。革命指導者同様、ナポレオンも芸術が政治の有効な武器になることをはっきりと理解しており、大々的にプロパガンダに利用した。芸術には財政的援助を惜しまず、自らのためになる芸術家を厚遇することにはなったが、芸術が政治により管理されるという側面を伴っていた。野心家であった新古典主義の総帥ダヴィッドはナポレオンに接近し、その才能でナポレオンのための絵画制作、儀式の一切を取り仕切るようになる。しかし、それは自らの芸術の規範を政治のイデオロギーのために譲ることにはならなかっただろうか。その後の彼は政治の波に翻弄される人生を送ることになる。
1795年、学問、芸術の組織が再編され、フランス学士院(Institut de France)が生まれる。その中の芸術アカデミー(Académie des Beaux-Arts)は教育機関(École des Beaux-Arts)と展覧会(サロン)の運営に関わり、これがアカデミズム発祥の母体になる。アカデミー・メンバーは学生の教育、就職、サロンへの推薦、若手の登竜門であるローマ賞の選考などを介して美術界の権威として振舞うのみならず、社会の規範として大きな影響を及ぼすようになる。そのため当時のジャーナリズムや社会の人々から持て囃され、社会の中心に位置する金持ちや政治家などに迎合するポピュリズムの傾向を持つようになる。若い芸術家に対しても、意識するかしないかは別にして、社会への適合という大人しさを植え付け、自由な生命の迸りによる芸術を抑制する効果を持つようになったとしても不思議ではないだろう。
エミール・ゾラ(Émile Zola ; 1840-1902)の芸術論(Écrits sur l’art)などに目を通しても、サロンのレベルが年々低下することを嘆いていたり、見るに堪える力を持っているのはほんの一握りの画家でしかないという手厳しい評価を下していたりする。このような主流派のアカデミズムに対して、今日われわれの好みに叶う多くの芸術家は周辺的な場所に身を置きながらも自らの命を紡ぐように芸術を磨き上げていた。そして、当時の時代の寵児たちがほとんど忘れられている今、時代を超えて人に訴えかける力を持つのは、真に人間の底から絞り出されたものだけであることが証明されることになるのである。
今回展示される絵画は、堀田善衛が言うところの、われわれが体では理解できないヨーロッパ精神を湛えた芸術になる。出かける前に予習することなかれ。アカデミズムや印象派や新古典主義や浪漫主義やレアリズムについて調べることなかれ。それは作品を自らの友にする上で重要ではないだろうから。白紙の状態で出かけて身を晒すこと。そこで何が自分の中に入ってくるのかを観察することをお勧めしたい。日常から切り離した自由な精神をもってその場に入ると、以前に見たことのある作品が驚くほどの美しさや意外性をもって迫ってくるかもしれない。19世紀に生きた芸術家の作品の中に新たな友人を見出すことができるかもしれない。それから展覧会の秘かな楽しみとして、絵そのものだけではなく、会場の空気や作品が飾られている場全体の景色を鑑賞することもお忘れなく。写真を撮るような感覚で見る方向や角度を変えながらその場を切り取ってみると、不思議な風景が現れるかもしれない。
ポーランドの女性詩人ウィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska ; 1923- )が “Nothing twice” と謳っている。この世のすべては一回限りなのだ。その一回性を意識できる目を持つことにより、今回の展覧会が新たな発見の場になる可能性がある。さらに、その目を日常に持ち込むことができれば、われわれの生が生き生きとしたものに変貌を遂げるだろう。日々、芸術の中に生きることになるだろう。その時、注意深さを介して芸術と日常が繋がるこの上ない悦びが訪れるような気がしている。
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