dimanche 31 mai 2009

ガレノスの一生、そして 「私はなぜ書くのか」




Claude Galien

(129 ou 131, Pergame - 201 ou 216)


紀元2世紀から1000年以上に渡って西洋医学に影響を及ぼし続けたガレノスとはどんな一生を送ったのだろうか。年表で見てみたい。

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129年: ペルガモンに生まれる
146年(17歳): 医学の勉強を始める
151-156年(22‐27歳): 最初のアレキサンドリア滞在
157-161年(28-32歳): ペルガモンの剣闘士の医者になる
161-162年(32-33歳): 2回目のアレキサンドリア滞在
162-166年(33-37歳): 最初のローマ滞在
166年(37歳): ペルガモンに戻る
168年(39歳): 皇帝からアクイレイアに召喚される
169年(40歳): 2度目のローマ滞在始まる
172-174年(43-45歳): 「治療法」の最初の6巻を執筆
193-194年(54-55歳): 「治療法」の最後の8巻を執筆
216-217年?(87-88歳?): おそらくカラカラ帝の治世が終わる1年前、ローマで亡くなる

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Méthode de Traitement (Gallimard 2009)




穏やかそうだが好奇と遊び心を宿したその目が印象的である。彼は「私はなぜ書くのか」(" Pourquoi j'écris ")についてこんなことを言っている。

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親愛なるユーゲニアノス様

かなり前にヒエロン様のために私の「治療法」の執筆に取り掛かりました。しかし、この方が突然旅立たれ少ししてから亡くなったことを知らされましたので、この本の執筆を諦めました。あなたもよくご存知のように、この作品も他の作品も有名になりたいがために書いたことはなく、友人を喜ばせ、自分自身を磨くために書いてきました。それは現在にとって有用なだけではなく、プラトンの言葉を借りれば「忘れっぽい老年」を見越しての記憶の倉庫の役割を果たすものです。

実際のところ、大衆の賞賛はしばしば生きている者にとって役に立つ代物でしょうが、死者には何の役にも立ちませんし、一部の生きている者にとっても同様です。哲学を拠り所とした静かな生活を選び、その身を養うだけの蓄えを持っているすべての人にとって、有名人になることは非常に大きな障害になるでしょう。それは度を超えて最も美しいものを遠ざけることになるからです。あなたもよくご存知のように、わたしも厄介な人たちにしばしば悩まされてきました。時として本を読むこともできないくらい長期に亘り休みなく。

私は若い時からなぜか大衆受けする有名人を酷く軽蔑してきました。そこには神からの霊感があるのか、あるいは狂気のようなものなのか。何とでも呼んでください。同時に、私には真理と科学への渇望がありました。なぜなら人間はそれ以上に美しく神聖なものを獲得できないと信じていたからです。私の名前をどの著作にも付けなかったのはそのためです。ご存知のように、あなたがよくされるような公衆の面前での極端な賞賛をしないように、そして私の著作に名前を付けないようにお願いしてきました。これらすべての理由から、私の「治療法」の執筆を断念しました。

私の短い論文に私の発見の重要な点を書き留めましたが、まだ完全な形にはなっておりません。しかし、あなたやわれわれの多くの仲間が、私が患者に対して実践していたことを著作の中に見出したいと望んでいるので、まだ不足しているところを現在の論文に加えようと思います。

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Galien de Pergame. Souvenirs d'un médecin



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